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第3話

 若く、綺麗な男だった。鶏につつかれてほつれたり、汚れている箇所を除けばの話だが。短く切られた髪が、精悍な顔立ちを引き立てている。身に着けているものも、すべて上等なものばかりだ。  余計に、何故こんな場所で倒れていたのかが分からない。この森で暮らし始めてから、来訪者が訪れたことはほとんどない。たまに、近くの村で暮らしていた少年が遊びに来るぐらいだ。育ちの良さそうな男の雰囲気から、物取りの線は完全に消えた。  男の荷物は、囲いの中の少し離れたところに放られていた。おそらく、鶏に襲われた時に手放した……というよりは、大切なものなので、汚れないように放り投げたのだろう。  麻袋の中に入っていたのは、筆とパレット、それから鉛筆。紙をまとめて本にしたものが数冊ばかり。それだけで創造は働く。同じ年代で、似た道具を持ち歩く男は、かつてアンリが暮らしていた土地にもいた。  倒れていた男は、おそらく貴族や大きな商家といった、裕福な家の出身だろう。昔から、彼らの子どもは教養を必要とする。文学、歴史、音楽――そして、芸術。  お付きの家庭教師やカレッジで学んだ彼らは、その後、しばらくの旅に出る。そして自らの審美眼で、旅の中のもっとも素晴らしい景色を芸術として昇華し、描き、社交界の話題とする。  最初は旅好きの貴族あたりが始めたお遊びだったのだろう。それがいつの間にか通例となり、今や度に出る学生は修学生と呼ばれるようになった。彼らの多くは旅先で素晴らしい景色を見て、あとは金に物を言わせて遊ぶだけ。ほとんどは付き人か、その場で見繕った画家見習いに絵を描かせるだけだった。  しかし、アンリが拾った男は、見習いでも付き人でもなさそうだった。今時にしては珍しく、自分で描こうとしているのだろう。よほど腕に自信があるのか、あるいは一生に一度の思い出の景色を他人に描かせたくなかったのか。  そういえば、ここの近くの、ここではない森には、美しい湖があるという噂だ。きっと、彼は道を間違えたのだ。何の因果か、こちらの森はどれほど奥に進もうと、鬱蒼と木々が生い茂るばかりだった。

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