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第29話
「首輪……首輪、しなきゃ……」
熱で朦朧としながらも、せめて取り返しのつかない事態は避けるべきだと、なけなしの理性で手に持っていた首輪を付けようとするが、指が震えて取り落としてしまった。
「首輪は、これか……」
彼がゆっくりと近づき、落とした首輪を拾う。
「だめ……だめだ……」
逃げようと後退っていくと、背中が壁についた。彼が近づいてくる度に、甘い匂いがする。もう何も考えられない。
「すごく甘い匂いがする……」
耳元で囁かれる。どうか唇をそのまま近づけて、早く首筋を噛んでほしい。差し出すように、抱きつくように腕をそっと背中に回した。
身体がぴったりと密着すると、嬉しくなる。彼も自分と同じ匂いを感じている。このままもっと溶け合って、ひとつになりたいと思った。
しかし、一方で理性が警鐘を鳴らす。ここで思うままに流されていけば、互いに待っているのは破滅でしかない。彼とは良い思い出だけを抱いて終わりたかった。アンリは、誰とも番いたくなかった。
ほんの一瞬だけ、理性が勝った。
「や……っ」
力を込めて突き飛ばそうとする。それでも彼の身体はびくともしない。そして、その事実に喜ぶオメガの自分がいる。抵抗はした。それでも駄目なのならば、彼に組み敷かれるしかない。
気づけば涙が零れ落ちていた。骨の髄までオメガでしかない自分を自覚して苦しくなったのか、彼と触れ合えるのが嬉しいのか、それとも甘く痺れるようなアルファのフェロモンが気持ちいいからなのか、もう自分でも分からない。
「……すまない」
いつものように、はっきりと話す声ではない。熱に浮かされた声がだんだんと近づき、首筋に柔らかな熱を感じた。番ってしまうのだと理解するのに、時間はかからなかった。
白い肌に歯を立てられ――待ち望むと同時に恐れていた時は、いつまでもやって来なかった。
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