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第66話

 アンリの母もおそらく、パイプ役として嫁がされてきたのだろう。  問題は嫁いだ後だった。彼女はオメガばかりを産み、跡継ぎであるアルファを身ごもることは決してなかった。それでも何年かは夫となったアルファと、きりきりと張られた細い糸の上を歩くかのような生活を続ける。  そして、男体であるオメガのアンリが生まれたことで、張りつめた糸はぷつりと切れてしまった。  跡継ぎとなるアルファどころか、女のオメガすら産めなくなってしまったのかと、肩身の狭い生活を続けていた。  そして父が起こしていた事業のひとつが上手くいかなくなり、余計な食い扶持はいらないと理由で、アンリが九歳を迎えた時、とうとう家を追い出される羽目になったのだ。  雨の降る真夜中に、ろくな荷物も持たせてもらえず、母と二人で凍えながら歩いた時のことを、アンリは今でも鮮明に覚えている。  寒い、疲れたと言っても、母は言葉ひとつ返してくれなかった。もとから静かな人だったが、アンリの言葉に、相槌くらいは打ってくれたのに。  父が母に怒鳴りつけていた言葉の意味を、アンリは知らない。それどころか、アルファとオメガのことも何も知らなかった。  それでも自分が全部悪いのだということは何となく分かって、もともとひねくれていた心が不貞腐れ、どんどん暗い思考の中に埋もれていく。  困らせたかったわけじゃない。しかし素直に母を慰めることもできず、アンリは足が痛いと泣き喚いた。それでも、母は大丈夫とも言わず、それどころか、アンリと目も合わせようとしなかった。

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