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第82話

 姉は昔から頑固なのだ。笑顔が見たいというただそれだけの理由で、アンリをパーティーへと誘うくらいには。一年前の出来事に過ぎないというのに感傷的に思い出してしまったのは、彼女がこの家から出ていく日が近いからなのかもしれない。  いくつ欲しいとも言われなかったので、なんとなくで実をもいで、小さな籠の中に詰めていく。手のひらにすっぽりと入るくらい小ぶりな実なので、たくさん採れるだろう。  カゴの大きさを見誤ったのか、それとももぐことに夢中になったのか、気がつけば赤い実は籠に山ほど盛られていた。これだけあれば十分だろう、そろそろ姉に届けなければ。  小走りで中庭を突っ切ろうとした時、声をかけられた。 「落ちたわよ」  それは、久々に聞いた母の声だった。最近は父の仕事を手伝い、領地のあちこちに出かけることも多いらしい。そのため、話すどころか顔を合わせることすらなかった。姉弟の教育は、だいたいが家庭教師任せだった。 「ありがとう」  ふたつ、みっつと、ぽろぽろと落ちていた実を拾い、母は籠に戻してくれた。 「頼まれたのだから、ちゃんと送り届けてあげてね」  そう言って送り出された。アンリは姉から頼まれていたと話しただろうかと、ふと疑問に思う。それとも、姉が焼き菓子を作っていることを知って、そこから推測したのか。母親だから、会話はなくとも、子どもたち二人のことを気にかけて見てくれているのかもしれないなとアンリは考えた。幼子が、無条件で母親を信頼しているように。  厨房に戻っても、扉は閉ざされたままだった。姉はまだ中にこもって試行錯誤を続けているようで、先ほどと同じ使用人が籠を受け取った。  それ以降、アンリが姉に何かを頼まれることはなかった。庭を散歩したり、ぼんやりとしたり、家庭教師の講義がない時間を、ひとりで過ごした。  姉が毒物で殺されかけたということを知ったのは、その日の夜だった。

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