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第91話

 時間はたくさんある。姉と話したいこともたくさんあったのに、かける声が出ない。  姉も、今から向かう場所と、そこでどう過ごせばいいのかを喋ったきり、口を開かない。聞こえるのは、馬の蹄が地を走る音と、馬車が揺れる音だけ。  しばらくすると、疲労もあり、アンリは眠り込んでしまっていたらしい。どれほど寝ていたのか、馬車が停まり、身体が前のめりになったことで目が覚めた。 「着いたわ」  そう言って降ろされたのは、薄暗い森の入り口。寝ている内に雨でも降ったのか、鬱蒼と生い茂った木々からは、湿っぽい香りがした。どこからか鳥の鳴き声も聞こえてくる。 「ここからは馬車は入れないの。……真っ直ぐ行けば、小屋に辿り着けるわ」  それだけを言って、姉は踵を返した。必要最低限のことだけを話して、もう帰ってしまうのだろうか。一人で暮らすのは、ほとぼりが冷めるまでと言っていた。  一体いつまでなのだろう。もしかしたら、もう二度と会えなくなるかもしれない。そう考えたら、一歩、踏み出していた。

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