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第93話

 過去を思い出し、駆け出しながらアンリは考える。  今の、とりとめのない日常のことを。贅沢も大きな楽しみもなく淡々と過ぎていく日々を。  そして、その中に突如現れたあの男のことを。アンリに微笑みかけ、好きだとまで言ったあの男の真意を。  レオンの苗字は、姉の嫁ぎ先と同じだった。あの旧家の関係者なのだろう。そして、その上で姉しか持っていないはずの、父と母、姉とアンリが描かれた紙切れを、ペンダントにしまっていた。  推測される人物は、姉のごく親しい関係に限られるように思えた。よほど仲の良い従兄弟なのか……年齢から考えるに、息子なのか。  アンリの正体を、彼は最初から知っていた。しかし、決して明かすことはなく、ただ共に過ごすことを選んだ。アンリの境遇に同情したのだとしても、わざわざ「好きだ」なんて言う必要はない。  では、あの言葉は何だったのだろう。自分の隣にいるための、口実かもしれない。義理の姉を殺そうとした男の隣で、彼は何を考えていたのか。  ――何かを、探ろうとしたのだろうか。  例えば、アンリが彼女を逆恨みしていないか。森に閉じこもりながら、また彼女に危害を加える計画を、練り続けているのではないか。

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