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第116話

 馬車に乗ると、そわそわとして落ち着かない。アンリは馬車にいい思い出がないからだ。そして、それを見抜いているのだろう。レオンは注意深く、けれど優しい眼差しでアンリを見つめている。  最初は、隣り合って指先を触れ合わせた。それから、強張った手をほぐすように、ゆっくりと触る。冷えた手をあたためるように、ぎゅっと手を繋いだ。 「冷えているな」  もっと寄れと、アンリはレオンに肩を抱かれ引き寄せられた。余計に落ち着かなくなり、少し身体を離すと、無理にくっつくつもりはないのか、あっさりと小さな隙間ができる。離れたのは自分からだというのに、熱が欲しくて、結局指先だけを絡ませ合う形に落ち着いた。  不安なのは、過去を思い出すからだけじゃない。飼っていた鶏たちを置いてきてしまった。森の近くの小さな町に出て馬車を呼ぶ時に、砂糖を届けてくれる青年に、世話を頼んできたのだった。ちょうど家の前で庭仕事をしていた彼は、快く引き受けてくれた。「母からも貴方の頼みは引き受けるように言われていますから」と。しかし、その母の姿は見えず、家の中から出てくる気配もなかった。  あの青年のことは、よく知らない。しかし使命感で季節ごとに森に足を踏み入れ、わざわざ砂糖を届けにくるような人間だ。鶏のことも、しっかりと世話をしてくれるだろう。それでも落ち着かないのは、何故だろうか。

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