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魔王の事情
キースはただじっと魔王を見つめていた。
魔王もキースを見つめたが、思っていた様子と違うことに拍子抜けしていた。さっき感じたキースの堕落を、この目の前のキースからはもう感じられないからだ。さぞや弱った目で魔王を求めるかと思えば、いつもと同じようにひたすら真っ直ぐに見つめられ、ともすればこのまま斬り合いになりそうだ。
――俺を求めていたのではないのか?
そして人間への恨みをはらすのではないのか。
辺りには見慣れた人間界の景色があり、さっきまでの白い空間ではなくなっている。あの空間を「封印」と呼ぶのならば、今その封印は解かれたということになる。
そっと手を握り締めて魔力を呼んでみるが、それはどこにも感じられなかった。体内に渦巻いているはずの魔力はどこにもなく、身にまとわりついているキースの魔法力しか感じない。
とてもではないが、本来の力など欠片も出せないだろう。
白い空間を出たとはいえ、これではあの空間にいるのと何も変わりはないだろうと、忌々しさに頭が痛くなる。それに輪をかけるように、キースが口を開いた。
「あー……その、なんて呼びましょうか」
一瞬、何を言っているのか分からず、眉を寄せる。間の抜けたことを言う目の前の男は本当にあのキースなのかと、思わずこぼれたのは、その名だった。
「キース――?」
「いや、それは私の名です。貴方の名を聞いてるんですけど」
キースは本気で魔王の名を問うているらしい。
――一体何の真似だ。
苛立ちと共に、感じたことのない感情が魔王を包み込む。それは、戸惑いだった。
魔族にとって名を教えることは、相手を認め受け入れることを意味する。もしくは従属。魔王の名を知る者は、今は誰もいない。
それを真っ直ぐに問うてくるこの人間は、もしや魔王すら組み伏せる策でも持っているのだろうか。この状況全てがその布石であり、ここで名を答えさせ魔王を従属に置く秘策を、キースなら持っているような気もする。
魔王はキースをまじまじと見つめた。
自分が知っている頃よりも、少しばかり髪が伸びたか。キースの黒髪は耳を隠す程もなかったのだが、今はそれよりも下にある。人間の容姿の優劣は分からないが、部下達は人間の中では綺麗だと評していた。大きな目のせいか年若く見えていて、それは今も変わらない。
いつも全身を覆っていた鎧姿はなく、薄い布一枚の服では爪で弾くだけで殺せそうだった。どこか懐かしく思うような魔界の闇と同じ漆黒の瞳と髪色だけは変わらず、これはあのキースなのだと確信させる。
――やはり何か企んでいるのか。
魔力は未だ取り戻せそうにない。キースの魔法力を操れないかと試しているが、それも今すぐには無理そうだ。こうなれば、しばらくはキースの様子を見るしかなさそうだと、魔王は奥歯を噛んで、呟く。
「知らん」
そうすると、キースは曖昧な笑みを浮かべて言った。
「では、今まで通り魔王と呼びましょうか」
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