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魔王とウサギ
「何です?」
「――柔な腕だな。へし折ってやろうか」
「やってみたらどうです」
二の腕を掴んでいた魔王の手が、そろりと肘へ、手首へと降りるが、そこにキースの腕を折るような力はこもっていない。むしろ撫でているような感触に、キースは目を細めた。
――何をしている?
魔王の指はキースの手の甲を這って指に絡んだ。
「な、にしてるんですか」
「へし折れと、貴様が言っただろう」
指を折るつもりなのかと、ぎくりとしながら指先にまで気をはるが、魔王の指はキースの指先を遊ぶように撫でただけで離れやしない。一体何を企んでいるのかと警戒するキースを見つめながら、魔王はキースの指を持ち上げ、不意に口を開いた。
――食われる!
咄嗟に危険を感じて、キースは力づくで手を振り払うと反対の手で持ったままの小刀を魔王の手に投げたが、それは難なく叩き落された。
「――何のつもりですか」
「へし折れと貴様が言った」
「噛み切れとは言ってません」
「そのうち、全身をばらばらにしてやろう」
喉の奥で噛みころしたような、邪悪な笑い声をあげながら魔王は不意に立ち上がり、寝床へとひきこもってしまった。
「これは貰う」
何故か、キースの彫ったウサギを一つと共に。
魔王が寝床へと消えてから、キースは深く息をついた。
「何だったんだ」
魔王はあんなことを言ったが、殺気はなかった。純粋な腕力では元々の素材が違うから敵わないかもしれないが、魔力のない魔王などキースの前では敵ではないのだ。それを、あんな――。
爪で軽く掻かれた手首の裏がうずく。ひやりとした肌の感触はまるで質の良い布のようだった。思い出すだけで背中が粟立つ。
殴りつけたこともあれば切りつけたこともある薄青の美しい肌の感触を知ってしまい、キースはそっと頭を抱える。人と違う、熱を帯びない肌はやはり美しく――。
「何、考えてる、私は」
危険な方向に走りそうな思考を、頭を振って追い出すとまた木彫りに没頭する。そういえば魔王はこのウサギを一つ持っていったが。
「あのウサギどうするつもりなんですかね」
魔王の思考など、分かるはずがない。
嵐は未だ、おさまりそうになかった。
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