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第一章 ヒトツボシ・3

◆◇◆ 「なぁ、鞍の家ってどのへん?この近く?」  歩きながら和宏が聞いてくる。 「いや、少し離れてる」 「え、学校どこ?」  やはり。こいつは俺を同級くらいに思っていたのだ。 「俺はもう学生じゃねーよ。いいだろ、そんなのどーでも」  年下に同い年扱いされるのはどうにも屈辱で、そのせいで返事をするのが億劫になり、少しきつい口調になった。 「!……ん、ごめんな、色々訊いちゃって」  しゅんとして和宏が言う。  わかってはいる。別にこいつが悪いわけではない。俺は元々自分の事を喋るのが苦手で、結果的にこうやって相手を傷つける。それにまったく気付いていないわけでは無いが、どうしても、他人と打ち解けることができない。 「まぁいいじゃない。和も、鞍君ちがどんなとこか行けば分かるんだしさ」  のんびりした口調で光一郎が宥める。しかし、一度漂ってしまった気まずい空気は晴れず、そこからは三人とも無言になった。  すっかり遅くなったので、住宅街はほとんど人通りがない。あと小一時間で日付が変わる時分なのだから当然だ。家々から漏れる光もまばらになった。  やがて家並が途絶え、ガードレールで片側を塞いだ坂道にさしかかった。薄暗い外灯のみが、等間隔にぼんやり道路の灰色を照らしている。高めの塀で囲われている墓地の横を通り過ぎ回り込むと、すでに見慣れてきた古い木製の門が姿を現した。 「お……寺?」  和宏がぽかんと門を見上げ、呟く。 「ここに住んでるの?」 「まぁな」  ギッと軋んだ音を立て門戸を開き、少々不気味なくらい静まり返った境内を抜け、本堂の横手にある玄関へ向かう。寺の本堂はかなり古くてボロいが、こちらは築年数こそそれなりだが普通の和風住宅だ。灯りはまだ点いていた。 「鞍か?ずいぶん遅かったじゃねぇか、一体何してた……」  半分欠伸をしながら、慈玄が玄関先まで出迎えた。 「どちらさん?」  そして訝しげに、兄弟を上がりかまちから見下ろす。  やたらと図体がでかい上、淡いアッシュグレーの長髪に軽僧衣というアンバランスな外見に唖然としたのだろう、兄弟は同じように目を丸くして慈玄を眺めていた。 「あ、あのっ!」  先に我に返った和宏が口を開いた。 「鞍……吉さんが、なんか殴られたらしいのをうちの兄貴が連れ帰ってきて、それで手当てしてここまで送ってきました。宮城といいます」  そう言って、ぺこりと頭を下げる。 「え、何、お前喧嘩なんかしたのか。その上人様に迷惑かけて。まったくろくなことしねぇな」  深く息を吐いて、慈玄が俺を咎めた。 「うるっせぇな。勝手に連れてかれたんだよ」  傷に応急処置を施してくれ、物好きなと思いはしても深夜の道をここまで送り届けてくれたのは、二人の厚意だ。俺とてそんなことは百も承知だが、それでも意地を張って突き放してしまう。こんな言い方をしてしまう自分が本当に嫌だ。 「いえ、本当にその通りなので」  光一郎が困ったようにフォローを入れた。なにも反論すればいいものを。 「いや、なんにせよ悪かったな。こんなとこまでこいつを送ってもらって。あ、俺は慈玄。一応この寺の住職でな」  兄弟に苦笑を向けながら、慈玄は自己紹介した。二人の顔を順に見渡し、光一郎の口元の痣に気付いたようだった。 「? そっちの兄ちゃんも怪我してるな。まさか仲介にでも入ったのか?」 「え、ええ、まぁそんなとこで」 「ははは、そりゃとんだ災難だったな。こいつならそれなりに腕っ節は強いから、助けてやる必要はなかったんだぜ?」  慈玄とこの寺で同居するようになって半年ほど経つが、その間奴の物言いが気に入らず、口ではまず勝てないので手や足が出たことが時々ある。もちろんこんな巨漢に……いやそれ以外にも理由はあるが……敵うはずもなかったが、そこら辺の連中相手くらいなら俺の攻撃は有効だと分かっているのだろう。  笑い飛ばす慈玄に、ところが光一郎は僅かにむっとしたような様子で 「だからといって、黙って見過ごすわけにもいかなかったんですよ。喧嘩なんて、決していいと思えないし」  ぽつりと言った。  慈玄は呆気にとられたように目を見開き、その後くすり、と小さく笑いを洩らした。 「確かに、な。いや、すまない。俺からも礼を言うよ、ありがとな」  正直、俺も驚いていた。赤の他人の諍いなど、少しでも関わり合いになりたくないのが人の性というものだ。悪いが、特に正義感が強いとも見えぬ風貌の光一郎から、こんな台詞が飛び出すとは思わなかった。それとも、見かけで判断するのは早急だったのだろうか。 「まぁ、せっかく送ってもらったんだ。少し上がっていくか?」 「いえ!もう遅いですから帰ります。行こう、兄貴」  慈玄の誘いに、和宏が断りを入れた。  これで二度と会うことはない。そう思ったが、どういうわけかかすかに名残惜しい気がした。  二人が玄関を出る際、なにげなく光一郎と目が合う。奴はにっこりと微笑んで、軽く手を振った。    本当に、バカじゃないだろうか。  俺のせいで、しなくてもいい痛い思いをして、なぜそんな顔が出来るのか理解に苦しむ。  光一郎の仕草に目を逸らし、俺は兄弟に別れも告げず見送りもせず、奥の座敷に逃げるように駆け込んでいた。 「仲の良さげな兄弟だな」  表まで見送りに出ていた慈玄が戻ってきて言う。 「さぁね、俺には関係ない」  何もかも面白くない。ただでさえバイトの件で苛ついていたのに。うっかり低劣な喧嘩を買ってしまった挙げ句、負傷までして初対面の人間にみすみす手当されるなど。  しかも兄弟だ、本当に「仲の良さそう」な。 「お前にも、兄弟でもいればよかったのにな」  追い打ちをかけるごとく慈玄の言葉が突き刺さる。 「必要ねぇよ」  吐き捨てるように言うと、慈玄は何度目かの溜息を深々と吐き、 「あのな。不本意だろうと、親切にしてもらった人にちゃんと礼くれぇ言うのは、いい加減覚えてくれねぇかな。そんなだと、いつまで経ってもお前自身が辛い思いするだけだぜ?」  と、嘆いた。こいつはこいつで、俺のことを大事に思い、尚かつ心配してくれているのはわかる。けれど、どうしても素直になれない。  兄弟……家族、か。  俺には、そんなものにまったく縁が無かった。あの二人の、示し合わせたように顔を見合わせたり、邪険にしているようでお互いを思いやっていたり……といった様子が、ふと羨ましいと思った。そして羨ましいと思った自分に腹が立った。  今更そんな無いものねだりをしてどうするんだ。馬鹿馬鹿しい。ひたすら自分に言い聞かせていた。  布団に潜り込むとき、兄弟の姿がまた頭を掠める。    もう、二度と会うことはないのだ。    繰り返し振り払おうとしたが、そうすればするほど胸の奥がずきん、と痛んだ。

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