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第一章 ヒトツボシ・5

 一緒?何を言っているのかよくわからなかった。  あんたには、ちゃんと弟がいるだろう?そう言うと、光一郎は首を横に振った。 「俺はね、ホントは宮城家の実の息子じゃないんだよ。養子なの」 「そう、なのか?」 「うん。驚いた?」  それに答えず、俺はまじまじと光一郎の顔を見ただけだった。本当に、驚かされてばかりだ。 「といっても、だいぶ昔からお世話になってるから、鞍君とは状況が違うかも知れないけど」  くすっと笑って、光一郎は続けた。 「もちろん、最初は慣れなかったよ?突然新しい家族ができた、って言われてもね。けど、和が懐いてくれてね」  里親が見付かってその家にもらわれていく子どもは、俺の在籍していた施設にも当然いた。とはいえ所詮は血のつながりの無い親子。まして向かった家庭に「実の子」がすでにいる場合特に、親密な関係を築くには相当の時間がかかるのではないだろうか。  今の光一郎に、そんな鬱屈は微塵も見えない。俺がまだ、こいつの表面的な部分しか知らないからかもだが。  反面、あの夜の和宏の態度……ほぼためらいもなく俺を家に入れ、馴れ馴れしすぎるほど話し掛けてきた……を思い返すと、もらわれ子という意識が柔和させられるのもさもありなん、とも思える。 「でもあんた達、すっげぇ仲良いみたいだったし」 「徐々にだよ。初めからああじゃなかった」  ぽつり溢した光一郎の瞳の中に、ほんの僅かに寂しげな色が滲んだ気がした。気がしただけかもしれない。 「鞍君見てるとさ、あの頃の俺をちょっと思い出すんだよね」  瞳の気配はすぐにかき消え、光一郎はまたにっこりと笑った。当時のこいつの状態など、こうして見る限り見当もつかない。  もしも幼いときに、俺に引き取り手が見付かって、同じようにどこかの家族の一員となる、なんてことがあったら。現在のように、他人を拒み続けたりはしなかっただろうか。  いや、それも今となっては考えられない。俺は施設でも浮いた存在だったのだ。環境が変わっても、心の奥の虚無感はそう簡単に消え去ったりしないはずだ。  だとしたら。もしかしてこいつも。  要らぬ妄想が頭を過ぎりかけたので、慌てて自身で否定する。そこまで目の前の人間を詮索する趣味は無い。  らしくもない思案を打ち消すように、光一郎の言葉にも異議を唱える。 「まさか。同じ孤児だったからって。気のせいだろ?」 「ふふ、そうかもね」  からかわれているのかとも思った。が、少しだけ。この軽そうでへらへらした男が、見た目とは裏腹に色々なものを背負ってるのかも知れない、という思いが脳裏を掠め始めた。  急に黙りこくって俯いた俺を、光一郎は一瞥すると 「笑うこと、忘れちゃってるんだね、鞍君は」  ぼそり、と呟く。  独り言だろうかと思ったが、たとえ俺に投げかけたものだとしても、どう返答して良いかまるで考えつかない。  忘れているのだろうか。それとも最初から、笑うことなど知らないのだろうか。自分でも分からない。  楽しいとか嬉しいと思った記憶がまったく無い。ただ、気付けば歳を重ね、なんとなくここに生きている。たったそれだけの認識しかなかった。  俺は返事に完全に詰まったまま。    しばしの静寂が流れる。 「クレープ食べるの、付き合ってくれてありがと」  ベンチから唐突に立ち上がり、光一郎が言った。今までの話など無かったように。 「あ、いや。美味かった、よ」  なんでまたこいつと関わらなきゃならないのかと、あんなに思っていたのに。すんなりと言葉を返していた自分に、自分でも驚いた。  更に驚いたことに、俺の言葉に光一郎は、この上ないほど喜ばしい事があったような笑みを見せる。 「よかった、また鞍君に会えて。一緒にクレープも食べられて」  心の底から嬉しそうな様子なので、俺は逆に不審さえ感じる。  なんで光一郎は、俺と再会したことをこんなに喜ぶのか。  巻き添えを食って怪我までして、その上大した礼もせず、にべも無い態度をとった相手に対して。  そうだ、本来ならばご馳走でもしなければならないのはこちらの方なのだ。何か要求しても然るべき……なのに、たったこれだけのことで。  不意に、空恐ろしさを感じる。無論光一郎に、ではない。自分自身の心理に、だ。  他者と打ち解けず、他者を受け入れず、俺は独りなのだと突っぱねてきた。社会にとっても、誰かにとっても、自分は「必要の無いもの」なのだからと。生まれた直後に、顔も名も知らぬ親に捨てられた時から。否、もっとずっと前から。 「存在していてもなんの意義もない存在」  単に身の程を嘆く価値も、認めて自身で始末をつける意気地もないだけの。  そんな俺と出逢えたことを、再会したことを、光一郎は喜んだ。何もできない、してもいない。それどころか迷惑のみをかけられた奴を。  訳知り顔で擦り寄ってくるのは、何かしらの利得を見越しているからだ。当然の事実だって痛いほど身に沁みていた。  けれど……それでも…… 「ねぇ、鞍君?」  光一郎はおずおずと、声と手を同時に出す。  たいして歳など違わないはずなのに、やけに大きく思える掌が、俺の髪をふわりと撫でた。 「また家においでよ。一緒にご飯でも食べよ?」 「なにそれ。同情かよ」 「違うよ。俺がそうしたいの。鞍君さえ嫌じゃなければ、ね?」  顔を上げると、光一郎はやはりバカみたいな笑顔で目の前に立っていた。それを見てふと泣きたいような気分になっていることに気付いて、ひどく動揺した。 「俺さ、一目惚れしちゃったんだよね、鞍君に。だから笑うの思い出す手伝い、したいな」 「は?」  何言ってんだ、男だぞ、俺は。そう言い返すのさえ、どうしてか阻まれた。胸が痛んだ。 「うん」  苦しいような切ないような、今まであまり感じたことのない心の動きだった。なぜ頷いたのか、自分でも理解できない。  送るよ、という光一郎の申し出を固辞し、そのまま公園で別れた。  やたらと己が情けなく、みすぼらしく感じた。  こんな、存在の意味さえ掴めずただあやふやに生きている俺を気にかけてもらうなど、畏れ多いような歯痒いような、そんな思いだった。  ただの気紛れかもしれないし、冗談かも知れない。社交辞令、ちょっとした同情。とにかく、真に受けていいわけがない。にも関わらず、あの手の温もりに縋り付きたくなっている自身が確かにいる。  求めては、いけない。求めれば馬鹿を見るのは自分だ。  わかっているはずなのに、どんなものよりも「それ」を求めてやまないのも自分ではないか、と思う。それが無性に腹立たしく、腹立たしいと感じていることもまた嫌悪した。  辺りはすっかり夕闇に包まれ、木々の輪郭は曖昧に背景と溶け込んでいる。クレープ屋のワゴンもいつの間にか姿を消していた。  自分が今、どんな顔をしているのかさっぱり分からぬまま、惰性のように寺に向かって歩き出した。

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