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第一章 ヒトツボシ・6

◇◆◇  冬晴れの日が続いていた。陽がある場所は暖かく感じるものの、時折身を切るような冷たい風が吹く。春の訪れを感じるには、もう少々時間がかかるだろう。特に、人間には。  この寺の「住職」という立場におさまって、早どれほどの年月が過ぎたのか。あっという間だった気もするし、記憶を巡らすのも億劫なほど永い気もする。  慈光院の前住職は夫婦でここに住んでいたが(現代では妻帯する僧侶も少なくないらしい)、後継者に恵まれず、本山から、という名目で俺が住まう事となった。特に厳重な縁起がある寺ではないが、数百年程前からここに存在していることは確か。たとえ管理者の役割だけでも、受け継ぐ者は必要であったようだ。  もちろん疑われることも考慮し、それなりに下調べも手回しもしてきたが、既に伴侶に先立たれていた住職は気の良い人物で、ほとんど何も訊かず俺を受け入れてくれた。  その住職が身罷り、事実上俺が役目を引き継いだ。  我々妖は、野生動物と同じようなものだ。人間たちの開発が進めば、住む場所を追われる。天狗の山はなんとか結界を張り、人間の入り込めない領域を確保しているところも多いが、それでも昔に比べれば実に細々としている。だから、ある程度の力を有する妖は、人間に化け、同化し、彼等の生活する下界で暮らしている。人間たちはそれを知らないだけ。  もっとも。俺が下界で生活しているのには別に理由がある。かつて、死なせてしまった愛する者を保護するために、だ。  あいつと初めて会ったのは、今よりずっと遠い昔。あいつがまだ、「烏天狗」と呼ばれるモノ、だった頃のこと。  大山である高尾の長、高尾坊とは古い付き合いだが、その高尾坊が山中散策の折、たまたま拾ったと俺に紹介したのがそもそもの出会いだ。その時はまだ子烏で、人間に化けるのも不完全な状態だった。しかし子どもながらに努力家で、真摯に修行に励んでいた。  とはいえ長自らが子烏一匹にかまけている余裕はない。他の天狗共に贔屓目していると思われても厄介だ。高尾坊は、腹心の稲城(いなぎ)にあいつを預け、見守るだけに留め置いた。  だが、人の世と同じく、集団においての風聞はどこからともなく漏れ聞こえてしまう。  高尾坊は無論特別扱いなど一切していないが、あいつが元来熱心で、術などの上達も早かったのがかえって裏目に出た。小さな烏は、境遇を妬まれ影ながら折檻を受けていた。  されどあいつは泣き言ひとつ言わなかった。ただひたすら「立派な天狗になる」という希望だけを懐いて。山神を守護する役目もある天狗は、あいつにしてみれば憧れだったのだろう。  ところが、とある事件を切欠にあいつはその幻想を打ち砕かれることになる。そして掟を破り、山を出た。  しばらく後に再会したあいつは、生きる目的をすっかり失くしきっていた。  人間たちの動乱の裏で、妖達もまたその頃戦禍となり、死に場所を求めたあいつもひと暴れしたくて好んで飛び込んだ俺も深手を負った。やがて沈静した後、ささやかでも生きる道標を与えられたらと迦葉へ連れ帰ったのだが……まさかあんなことになろうとは。  当然だが、当時のあいつと今現在を生きるあいつの意識はもはや別物だ。従って今更、俺に何ができるという訳でもないが。  だとしても、転生してまで不遇の目に会わせるのは忍びない。せめて、それなりに幸せになってもらいたい、とは願う。  迦葉の長である中峰(ちゅうほう)はいまだに忌々しく思っているようだが、元はといえばその中峰が蒔いた種だ。少しくらいは大目に見てもらう権利がある。無事、あいつの行く末を見届けられたら、今度こそ山に戻り罪を償う覚悟もしていた。  果たしてあいつ……鞍は、未だ迷走の最中にいた。  生まれ変わっても尚自らの存在意義を見失い、周囲を全く信用することができず、ただ漠然と日々を過ごしている。  とりあえずこの寺に引き取り共に暮らしてはいるが、今も感情の動きすら多く表さない。  相手を拒否し、意味もなく敵意のみを向ける。無気力ながらも生活のために働くことはしているが、必要以上の人間関係は持たないらしい。   ── この現代社会は、それでも成り立ってしまうのだからな。  今まで鞍の面倒を見てきた稲城も嘆息していたが、俺自身、正直どうしたら鞍が変われるのか、愛情というものを覚えてくれるのか見当も付かず、甚だ困惑してもいた。  ま、焦っても仕方ねぇか。    そう思いながら、半年ほど同居を続けていた。 ◇◆◇  陽はまだ短い。午後にはもう翳っているようにも見える。  年越しの際とまでは言わずとも、法事でもあれば多少人の出入りはあるものの、通常寺を訪れる者は少ない。昼過ぎとなれば余計だ。  寒さのせいでことさら閑散さが際立つ境内を、俺は細かな枯れ葉をかき集めるようにして掃き清めていた。  すると、門柱の辺りからこちらを伺っている気配に気付く。  自分がここの住人となってから、一応寺の周囲に簡単な結界は張っている。だが、視線の主はそんなものがなくても即刻気付く。物の怪はもとより、人間の生業で言うところの刑事や調査員といったものでさえあり得ない。謂わば、ただの「子どものかくれんぼ」のようなものだった。  野鼠を思わせる丸い瞳が、きょろ、と動く。何か……誰かを探しているようだ。 「鞍なら、バイトでいねぇぜ?」  我知らずくす、と忍び笑いが漏れ、隠れていた野鼠に声をかける。  可愛らしい来客は、気付かれていないと思ったのだろう、遠目からも判る程びくり、と肩を跳ね上がらせた。 「あ、ごめんなさい」  恐縮して姿を見せたのは、先日鞍を送ってきた兄弟の弟の方だ。それこそ、子鼠か子兎のような愛くるしい顔つきをしている。  まぁかつての自分ならば、すぐにでも目を付けただろうな。そんなことを自虐的に思う。 「あいつに何か用か?」 「あ、いえ!怪我、どうしたかなと思って。それと……」  やにわに口ごもり、目を逸らす。

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