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第一章 ヒトツボシ・7

「それと、何だ?」 「……なんでもないです。あ、これ、俺のバイト先のケーキ。よかったら鞍に、って思って」  恐る恐る言って、小さな箱を差し出した。  おそらく、あいつが素っ気ない態度を取ったので自らに非があるとでも思ったのだろう。その詫び、というところか。鞍の態度だけ見ていれば、自分が不快にさせたと取っても無理はない。 「そうか、ありがとな?渡しておくよ」  両手で箱を受け取る。手数をかけたのはむしろこちらの方なのだが。 「ま、茶でも淹れるから少し上がってけよ。今日はまだ明るいしな?」 「え」 「縁側に腰掛けるくれぇなら問題ねぇだろ?ちょっと待ってな」  目で場所を示し、座るよう促す。  急須と湯呑みを縁側まで運び、茶を淹れてやる。野鼠のような少年は、こくり、と美味そうに啜った。 「はぁ」 「悪いな。別にあいつぁ、お前等を避けたわけでも迷惑がったわけでもねぇとは思うんだが」  自分の非力もあって、偶然関わり合った少年にまで気を遣わせてしまったことがなんだか申し訳なく、ついそんな弁解を溢した。 「え。ああ、うん、大丈夫」  にこり、と笑いつつ野鼠が返す。  野鼠、というのも失礼か。それにしても近くで接すると、実に変わった気を持っているのが分かる。  これでも長いこと妖として生きてきた身、下界慣れしてしまったとはいえ、今を生きる人間の前世や持っている気質などは大体判断できる。当然、人間に化けた妖などはすぐに見分けられる。  見てくれは非常に愛らしいが至って平凡な性質であろうこの少年の奥底に、微かではっきりとは分からないが、とにかく若干異質な気が潜んでいるのに気付いた。  聖職、に近い。僧侶か、神主か、巫女か。 「どうかした?」 「あぁ、いや。宮城、と言ったな。下の名前は?」 「和宏。兄貴の方は光一郎」  話す様子も、この現代で今まで俺が目にした十代の少年と何ら変わるところはない。故に、僅かに感じる気は、少なからず違和感を伴った。  その正体に思いを巡らせ、考え込んでいると、思い出したように和宏が口を開いた。 「なぁ、鞍って全然笑わねぇのな。いつもああなの?」 「ん?まぁ、な。お前等みてぇに、仲の良い兄弟でもいりゃあ違ったのかもしれねぇけどな?」 「ふうん。なんかさ、あいつ見てると、兄貴がうちに来た頃思い出すんだよな。周囲に馴染めない、っていうかさ」 「家に来た、頃?あの兄ちゃんはお前の本当の兄貴じゃないのか?」  少し、意外な気がした。にしてはずいぶんと仲が良さそうだったが。 「うん、うちの母さんが連れてきたんだ。兄貴のほんとの両親は、事故で亡くなったって」  過去を懐かしむように遠くを見つめ、和宏が言う。 「初めてうちへ来た頃はさ、笑い方もぎこちなくて。俺は兄貴が出来たのすっげぇ嬉しくて、いっつもくっついて歩いてたけど、兄貴は鬱陶しかったんじゃないかな」  なるほど。ならば兄の方は、鞍と境遇が似ているのかもしれない。 「今は兄貴の方が俺にべたべたしすぎで、逆にうざいくらいだけど」  苦笑しながら、はにかんだように言う。 「だから鞍ともできれば仲良くなりたい、って思ったんだよな。そんなふうに相手を拒否って生きてたら楽しくねぇだろ?鞍にしてみればよけいなお世話かもしれないけど」 「……いや。そいつぁ有難ぇな」  思わず、感謝の言葉が口を突く。  もしかしたらこの兄弟との出会いは、あいつの現状を打破する大きな切欠となり得るのかもしれない。そんな予感を懐かせた。  と共に、俺自身がこの和宏という少年に少なからず興味を持った。  昔の血が騒いだというわけでもないだろうが、何か無意識のうちに渇望して止まなかったものを、少年が裡に持ち合わせているような気がした。それが、彼の根底にある異質な気と関わりがあるのか無いのか、この時はまだよくわからなかったが。 「そういう訳だからさ、俺がまた会いたがってたって伝えてよ。ウチの両親今海外にいて、俺と兄貴の二人だけだからいつ遊びに来てくれてもいいって。あ、俺がまたここに来てもいいけど」 「ああ、わかった。ってか、そういうことなら是非俺とも仲良くしてほしいもんだな。可愛い子はこっちもいつでも大歓迎だ」  茶化すように言うと、和宏は面白いほどみるみる頬を紅潮させた。 「なっ、なに言ってんだよ!俺男だし、別に可愛くなんかねぇっての!まぁ、鞍と一緒にいるんだから親しくしてやんなくもないけど」  つん、と怒ったようにそっぽを向く。その様子すら可愛らしい。和宏ほどの容姿なら、決して言われ慣れぬことではないだろうに。 「とにかく!家族や兄弟がいないなら俺達がなってやる、って言っといてよ。俺は、鞍みたいな兄貴欲しいからって」  赤くなったのが照れくさいのか、こちらを見ずに和宏は言いながら立ち上がった。  友達を通り越して兄貴とは。ずいぶんと思い切った事を言うものだな、と思いつつも、 「必ず伝えるよ」  すでに歩き出した背に返した。 「お茶、ごちそうさま!」  返事の代わりに言い残した後、和宏は小走りに境内を横切っていった。後ろ姿を見送りつつ、少年の持つ気の実体を改めて考慮する。  或いは……光、か。  妖という存在が運命のように抱え持つ闇でさえも、照らし出す光。  鞍の事だ、もしかしたらその眩さに最初は目を背けるかもしれない。だが俺では与えられなかった何かを、その光がもたらすこともあるだろう。  そして同時に、俺自身の闇をも……もしかしたら。ふと、そんな夢想をした。  まさか、な。  自分が持つ闇は、鞍が過去から引きずっているものなどとは格が違う。遙かに根深く、濃い。深い地中のような闇だ。そこに届く光など。  しかし。  手探りさえままならぬどんよりとした澱みに、淡い灯明が差し込んだ、そんな思いが、した。まるで黒色の夜空に、ただ一つの星が煌めいたかの如く。

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