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第一章 ヒトツボシ・8

◆◇◆ 「だ、そうだ」  ケーキを突きながら、苦笑混じりに慈玄が言う。 「馬鹿馬鹿しい」  どうやら俺のいない間に、弟の方がわざわざここを訪ねて来たらしい。まったく、本当にお節介な奴等だ。  和宏のようなタイプなら、学校にも友人が沢山いるだろう。俺みたいな捻くれ者を構う理由などないはずだ。ましてや、兄弟になる、だと?冗談も大概にして欲しい。そんなことを言い出したら、孤児は全員兄弟にしなくてはならない。 「そうか?ありゃあ結構本気に見えたぜ?ま、俺も正直驚いたが」  和宏が持ってきたケーキは、しかし美味いと思った。微かにオレンジの香るココアシフォンケーキだった。甘さもくどくない。  フォークを押しつけてもふんわり押し返される弾力は、こっちがいくら突き放しても付きまとってくる兄弟の様子を思わせる。しかもそれに、心地よささえ感じてしまうのがまた癪に障る。 「せめて、もう一度くれぇ会って話してみたらどうだ?兄弟は行きすぎにしても、友達くれぇにはなれるかもしれねぇぜ?」  友達?そんなもの、欲しいと思ったことはない。  他人と必要以上に関わり合うのは面倒なだけだ。大体において、たまたま出会って興味を抱いたとしても、それは持続するものではない。  飽きれば、あっという間に離れてしまう。友好関係など、いくら築いても虚しさしか残らない。  けれど。  光一郎に会って同じような話をされたことは、慈玄には打ち明けられずにいた。  こいつは一体、俺がどうなれば満足するというのだろう。 「な、鞍」  つらつらと考えていると、普段より低い声で慈玄が切り出した。こいつがこういう声で話すときは、大抵下らない説教だ。うんざりしながら、黙ってケーキを口へ運ぶ。 「無理に誰かと関われ、とは言わない。だが、接してみねぇと分からない事だって結構あると思うぜ?お前が自分の考えを改めなくても、まるごと受け入れてくれる奴だって中にはいるかもしれねぇ。俺は、そうしたいつもりだったけどな?」  ふ、と妙に寂しそうな顔をする。こいつのこんな表情は本当に卑怯だ。 「じゃあそれでいいじゃねぇか。別に俺は、ここを出るつもりはねぇよ、今は」 「いや。むしろ、出てってくれても構わねぇんだぜ?」  意外にも否定されて、少し驚く。なんだ、結局こいつも俺に愛想が尽きたのか。 「いいか鞍、別にお前を見捨ててこういうことを言うんじゃない。だがな、お前がこの寺に来てくれたのだって、ひとつの可能性だったわけだろ?ならば、その可能性を広げる事だってできるはずだ。お前はここへ来て、俺のことを知った。だったら他の奴のことを知れば、別の何かだって見えるかもしれねぇ。違うか?」  言いながらくしゃりと髪を撫でる。ガキじゃあるまいし止めろというのに、時々慈玄はこんなふうに俺の頭を撫でた。はからずも、光一郎の手を思い出す。 「もし何も見えなかったら、いつでもここに戻ってくればいい。そんで、何回でもやり直してみりゃいいんだ」  慈玄の言葉に、俺はなんの反応もできずにいた。  わかっては、いた。  慈玄も、稲城も、光一郎も、和宏も……いや、これまでに出会ったあらゆる相手の中にも、こうして俺を気遣い優しい言葉をかけてくれる人は、いた。しかし、受け入れるのが怖かった。受け入れたとたん、手放せなくなりそうな自分にも気付いていたから。そんなことをしたら、もう二度と一人で歩くなどできそうにない事も知っていたから。  情けない。ひどい臆病者だ。 「とにかく、もう一回会ってみろよ。俺も伝えると約束した手前、無反応って訳にもいかねぇだろ?」 「……ごちそうさま」  空になった自分の皿を持ち、何も答えられないまま俺は居間を出た。慈玄の軽い溜息がかすかに聞こえた。 ◆◇◆  バイトの帰り道、再び桜街の学校前を通る。何かを期待したわけではない。単に、通勤路だっただけだ。  先日となんら変わることなく、生徒達が通り過ぎる。そう、何が変わるわけではない。  アパートでの一人暮らしから生活費の節約のために慈玄の寺へ転がり込んだが、俺の日常は何一つ変わっていない。ただ漠然と働き、食事をし、眠り、また朝が来る。何日何ヶ月何年経とうと、きっと同じことの繰り返しなのだ。  それでいいではないか。  嬉しくも楽しくもない代わりに、辛くも悲しくもない。他人との関わりなど持たなければ、余計な感情に振り回される事もない。今のままで十分だ。改めて、そう思い直そうとした。  一月の寒風は、冬が永遠に続くのではないかという錯覚を抱かせる。マフラーを巻き直し、歩き出す。  学校からひとしきり往くと、木々が延々と立ち並ぶ公園の柵沿いに出る。そこがかの「桜公園」だということは、何度か通ううちに知った。  春になれば陽を遮るほど花開き、葉が茂るであろう枝々も、今は骸骨みたいな細い茶色が格子状に重なっているだけだ。底冷えするこの時期は、人影も少ない。  公園の脇には、洒落た店舗が連なっている。  暖かくなれば女性やカップルで賑わうであろう、雑貨屋やレストランやカフェ。  かたん。  というささやかな音を立て、一軒のカフェの看板が強風に倒れた。なにげなく拾い、イーゼルに戻す。と、そこに書かれた文字に目が行った。 『季節のケーキ・オレンジココアシフォン』 「あー!すみません!!……あれ」  音に気付いたのだろう、ギャルソン姿の大きな瞳の少年がドアを開け、こちらを見た。 「鞍?」  和宏がバイトしている店というのはここだったのか。我ながら面倒なことをしてしまった、と思った。奴は満面の笑みを浮かべ駆け寄り、すっと俺の手を取る。 「それ、こないだ俺が持って行ったケーキだよ。慈玄からちゃんと渡った?」 「あ、あぁ。美味かった」 「そう!よかった!!」  自分が手作りしたもののように、嬉しそうに言う。 「うん……」  一応頭を下げると、更に花がほころんだような笑顔を見せた。どうしてこいつは、単純なことでこんなにも笑えるんだろう。

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