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第二章 彗星・2
一人でいた頃は出来合の総菜などもたまに買ってきていたが、和宏はすべて自ら調理するので、少し影響されて俺も副菜などを作るようになった。鍋の蓋を開けると、和宏が作った煮物がある。簡単に魚を焼きサラダを作り、煮物と共に今夜の夕食とした。
「はぁ、やっぱり鞍君の料理は美味しいねぇ」
こんな簡単なものでさえ、光一郎はそう言って食べる。言葉に違わず、実に美味そうに。
「和が作ったもんの方が美味いだろ?現に煮物は和のだしな」
黙々と口に運ぶ俺とは裏腹に、光一郎は過剰なまでに褒める。
「和のご飯は確かに美味しいけど、鞍君のだって全然負けてないよ」
今日は魚を焼いただけだけど。そう反論するが一向にお構いなしだ。こいつの味覚は大丈夫なんだろうか、という気さえしてくる。
「ごちそうさま」
早々に平らげ、すぐに立ち上がり食器を洗う。サラダは余分に作ったから、和宏が戻ったら魚だけ焼けばいいだろう。つらつらと考えていると、後から光一郎がシンクに空いた食器を運んできた。
「和、遅いな」
ふと、口を突いた言葉。
「心配?」
「まさか。小さな子どもじゃあるまいし、女ならともかく高校生にもなった男が一晩二晩留守にしたって別に気にすることでもねぇだろ?」
事実、俺も学生の頃は施設に帰らず、コンビニで立ち読みしたりゲームセンターで何をするでもなくぼんやりしたり、そんな外泊をすることも多かった。なんとなく帰りづらかったのだ。歳を負うごとに、「養護施設」はもはや自分のいるべきところではない気がして。
身分は学生だったから、補導されたこともあった。稲城は「程々にしろ」と嘆息はしたが、別段心配された覚えはない。
所詮は他人同士だ。和宏のことも、その場しのぎに出たものでしかない。
「……そう」
軽く苦笑したものの、光一郎がそれ以上言葉を繋げることはなかった。
*
二人して順に風呂を済ませても、和宏が帰宅する気配はいまだ無い。
「ね、ちょっとゲームでもしない?」
コーヒーを淹れてリビングに戻ると、光一郎が言った。
「和からまだ連絡無いし、明日は土曜日だからちょっと付き合ってよ」
客商売のバイトをしていると忘れがちになるが、言われてみれば翌日は学校は休みだ。和宏もそれを承知で遅くまで出歩いているのかもしれない。
うん、と生返事を返す。弟が戻らないのが不安なのだろうか。
光一郎は時々、ひどく怯えたような、寂しげな様子を瞳に覗かせる。無論、表情にまでそんな様子を滲ませることは少なかったが。おそらく、元々孤児であるが故に一人になるのが怖いのだ、と、思う。
俺のように、最初から親の顔さえ覚えていないなら話は別だが、光一郎は違う。小学生時分に事故で両親を亡くした、と聞いた。いつもそばにいた人間が突如消え失せる恐怖は、十分トラウマとなり得るだろう。
いや、稲城の施設にもそういう境遇の子どもはいたが、事故や災害孤児の皆が皆、こんなふうに一人を恐れるものでもない。だが、こいつのような眼をした者も、何度も見掛けたことはある。小さな頃はそのまま年長の誰かに甘えたり泣き言を言うのだが、成長するにつれ忘れるか、押し殺すかするようになる。そうやって皆生きているのだろう。
俺は、ずっと一人だった。しかしだからこそ、一度でも誰かが共にいることに慣れたくはない、とも思っていたが。
今現在この場にいるのは、俺と光一郎の二人だけなのだ。気を紛らわせるのも居候の役目か。
これもまた「兄弟ごっこ」なら。少しはその想いに応えてやってもいいかもしれない。らしくもない考えが頭を掠める。
「あ、でも俺、ゲームあんまりやったことねぇし下手糞だけど」
「いいよ、付き合ってもらうだけでいいんだから」
先刻、瞳に映った影を隠すように目を細め、光一郎が笑う。
そういえば。俺は光一郎をきちんと呼んだことがない。
「弟」である和宏は、光一郎と合わせて「和」と呼ぶことに慣れたが、こいつの事はどうにも呼びづらかった。「兄さん」や「兄貴」と呼ぶのにも若干抵抗があったし、呼び捨てにするのもなんだかおこがましい気がした。結果、「おい」とか「なぁ」とかで、いままで適当にやり過ごしていた。
「……な、今更だけど。俺、あんたのことどう呼んだらいいかな」
カーレースゲームのモニター画面にじっと視線を注ぎ、手元でかちゃかちゃとコントローラーを弄りつつ問う。
「え?和と同じでいいんじゃない?兄貴とか、光兄ぃとか、さ」
同じ方向を見ながら、光一郎が答える。
今の今まで悩んでいたけれど、面と向かって訊くのもなんだか気まずかった。こうしてゲームでもしながらさらりと解決できれば、都合が良いように思えた。
「和も俺の事はさすがに兄、とは言わねぇし、俺もなんだか言いづらくてさ」
「じゃあ呼び捨てで良いよ。光一郎でも、光でも、鞍君の呼びやすいように」
光、光……か。それなら気軽かもしれない。
「ん、分かった。……光」
「なに、鞍?」
突然、画面の車がスピンし、激しくクラッシュした。
「………?!」
ふ、と耳元で呼吸を感じる。背中に体温と、うるさい程の鼓動。それは光一郎のものなのか、俺のなのか。すでに判然としないほど混ざり合う。
「少し、こうさせてくれないかな?」
後ろから腕を回され、ぎゅ、と抱きつかれたまま俺は身動きが取れなくなった。画面の車も、いつの間にか止まっていた。
ただの「兄弟ごっこ」のはずが、この日を境に少しずつ変化し始めていた。
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