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第三章 北極星(ポラリス)・12
◆◇◆
話は少し前に遡る。
あれは春先だっただろうか。冬場からほぼ変わらずに延々ジーンズとパーカー、といういでたちの俺に、光が言った。
「鞍って、その格好が好きなの?」
「いや別に?何着るか考えんのめんどくせぇし、楽だから」
元モデルとしては、さすがに少々気になったらしい。手を一つ打つと、さもいいことを思いついたような顔をする。
「ね、もうすぐ暖かくなるし、春物の服買いに行こうよ!俺見立ててあげるから」
「え、いいよ別に」
「そう言わないでさ。これでもコーディネートにはちょっと自信あるんだ、俺」
そりゃあ前職業柄そうだろうと思うが、中身が俺なのだからせっかくのお洒落な服も見栄えなんてするはずがない。そうこぼすと、光は真っ向から否定する。
「そんなことないよ!鞍可愛いんだし。それにデートもできるじゃない。ね、行こう?」
どうも未だに、可愛いと言われることに慣れない。自分自身ではそんな風に微塵も思ったことなどないし、「可愛い」というなら典型的なタイプがごく身近にいるではないか、と。和、という弟が。
冗談かお世辞か、「格好いい」となら言われた事もなくはないが、それだって俺に言わせれば、光や釈七さんとは比べものにならない。上には上がいるのだ。というより、俺などたかだか平均値に埋もれる程度だと自認している。
けれど、光と外を歩くのは嫌ではない。指先で示すものは常に新たな発見で、こんな見方もあったのかとつい目を奪われる。
珍しく揃っての休日で、昼飯もまだだった。外で食事するついでなら構わないかと、聞き入れることにした。
駅前の商店街まで出ると、光は迷わず横道を入る。アーケードに覆われた大通りと違い複雑に入り組んでおり、店舗もあるにはあるがかなりまばらだ。しかしその分、こじんまりとしていても拘りのありそうな専門店や、気軽には入りづらい、高級っぽいレストランなども目に付く。
「ここだよ。セレクトショップだけど、あんまりこのへんじゃ売ってないブランドのを置いてるんだよねー」
辿り着いたのは、ショーウインドゥにトルソーが二体ほど飾られた路面店だ。服なんて量販店でしか買ったことのない俺は、こういう店には足を踏み入れたことさえなかった。
にしても。良く知ってるのはスイーツの店ばかりかと思いきや、周辺の洋服屋など、ファッション系の店も光は一通り把握しているようだ。前歴も伊達じゃ無いんだなと、妙に感心する。
「えぇっと、羽織り物にカットソー、パンツと、靴もなんかあるかなぁ」
フロアに入ると、光は早速物色を始めた。俺はというと、ひたすら落ち着かない。
きょろきょろと店内を見回していると、レジカウンターにいた店員と目が合い、「いらっしゃいませ」の言葉と合わせて会釈される。それがひどく気まずくて、すぐさま相手から目を逸らした。
「……あ!これ!これなんかいいんじゃない?」
光が手にしたのは、菱形の模様の入ったピンクグレーのカーディガンだった。アーガイル、っていうんだよ、と光に教わる。
「この色、鞍に似合うと思うんだよね。羽織ってみなよ」
言われるままに袖を通してみる。
「うん!すっごい可愛い!」
うんうん、と光は得心して何度も頷くが、色も形も自分ではまず選ばないものだけに、俺には今自分がどういう格好なのか見当も付かない。腕を振ったり首を回したりしていると、光が笑って言った。
「あっちの奥に試着室あるから、そこの鏡で見てごらん?俺、それに合いそうなカットソー探してみるね?」
促されて、店のどん詰まりにあった試着室へ行ってみた。
黒や紺、茶といった地味な色や、精々彩度を落とした赤や黄色の服しか、普段の俺は着ない。そんな俺に、こんなパステルカラーは不釣り合いだろうと正直思っていた。
が。鏡に映った自分は、いつもより顔色すら明るく見えて、驚嘆した。ある意味その道の「プロ」が見立てると、こうも違うものかと。
「よくお似合いですよ」
いつに間にか横に立った店員が言う。セールストークと判ってはいても、まんざらでもない気分になる。照れ臭かったが、その言葉に軽く頭を下げると……
「ほんと。トッテモ可愛いネ、そのカーディガン」
自分の後ろにあった蒼い瞳と、鏡越しに視線が交錯した。
流暢だが、些少イントネーションに違和感がある日本語。声の主へとっさに振り向く。
そこには、すらりとした外国人の青年が立っていた。手足が長く背も高いが、骨格が華奢で中性的な印象。サラサラとした金髪が繊細に揺れている。
俺の背後に立った彼の、さらに背後に駆け寄ったのは光の姿。相手を認識して、ギクリと驚愕に顔を歪めた。目線が泳ぐ。動揺しているのは明らかだ。
「……キルト……いつ……」
狼狽える光とは真逆に、「キルト」と呼ばれた青年は華やかな笑顔を満面に広げる。
「光、お久しブリ!光に会いたくてこっち来たんダヨ?」
飛びつくような勢いで、光の腕に自分のそれを絡めた。
── 光に会いたくて…?
あまりの急速な展開に、俺は混乱するばかりだった。
「嘘、仕事でしょ?そういえばスケジュールは合わないから家には寄れないけど、一時帰国するって母さんから連絡あったの忘れてたよ」
「バレタカ」と悪びれない様子で舌を出すキルトに、光は頭を掻いた。
「デモ、合間にこの街まで俺だけ来たのは、俺がどうしても光に会いたかったからだヨ?家まで行ったら、丁度ソノ子とお出かけするところだったから、ここまで付いて来ちゃったんダ」
彼はそう言って、俺に綺麗な顔を向ける。するっと光から離れると、こちらに近寄ってきた。
「フゥン、まあまあ可愛いケド。君、光の新しいコイビト?」
「へっ?!」
頭から爪先まで、いや背後に至るまで、キルトは俺を値踏みするようにじろじろ眺めた。無遠慮さに怒りも感じたものの、戸惑いといたたまれなさの方が勝る。肯定も反論も出来ずに、俺は口をぱくぱくと動かすだけだった。
「別にいいでしょ?キルト、忙しいんだからもう戻ったら?」
「えぇ、ツレナイなぁ。せっかく会いにきたのに」
代わりに光が苛立たしげに返答したが、彼は全くたじろぐことなく、笑みを絶やさぬまま。
「ネェ、和はどうしたノ?元気?」
改めて光に向き合い、そんな質問を投げかける。
「光がどうしても和の元に戻りたい、って言うから、俺は仕方なく帰国を認めたんだけどナァ」
含みのある調子で言うと、肩越しにちらり、とこちらを見た。そのとき初めて……ずっと邪気の無さそうな笑顔だった彼に、別の感情が見えた、気がした。
「なのになんでこんな奴が光と一緒にいるんだ?」という、ささやかな侮蔑。
「っ、和なら元気にしてるよ。行こう、鞍」
ぐい、と俺の腕を引き、光は店を出ようとした。慌てて俺はカーディガンを脱ぎ、唖然としている店員に押しつけて、それに従う。
振り返ると、続けて店を出たキルトが、店先に立って軽く手を振っていた。
「ゆっくりできなくてザンネン。また、ネ、光」
その表情に、先刻見えたように思えた仄暗い感情はもう無かった。どこか少しだけ寂しそうに見える、美しい微笑だけが残影として刻まれた。
「……ごめんね、鞍」
しばらく歩いたところで、光が小さく謝罪した。
「いや。ってか、あれ、よかったのかよ?よくわかんねぇけど、知り合いなんだろ?」
「ん。母親の元でね、一緒にモデルしてた。といっても、キルトは現役だけどね」
「え?んじゃ、よけいあんな別れ方で……それに、光に会いに来たって」
光はひとつ息を吐くと、立ち止まり俺の肩を掴んだ。
「キルトは大切な仲間だし、決して悪い奴じゃない。だけど、ちょっとからかい癖があるっていうか……人を『試す』ようなところがあるんだ。俺と鞍はまだ始まったばかり、でしょ?あいつの茶々で、俺は鞍を傷つけたくない」
からかい?茶々?
俺にはどうしても、それだけには感じられなかった。最後に見た、あの表情。それから
── 和 の 元 に 戻 り た い っ て 言 う か ら
どうしてもあれが、偽りとは思えない。
光はなぜ、懐いていた和から遠く離れた場所でモデルになんてなったのか。なぜ、そこまでして手に入れたモデルの仕事を全て投げ打って日本に帰ってきたのか。
知らないことだらけの自分が、やたらと腹立たしくなった。様々な想いが頭の中で渦を巻き、光の言葉にも何も返せず、俺は押し黙ってしまった。
結局その日は、昼食も摂らずに帰路についたのだった。
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