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第三章 北極星(ポラリス)・34
唇同士で繋がったまま抱き上げられ、ベッドの上に落とされる。先日並んで身を横たえたシングルベッドは、たわんだりこそしないが男二人の体重を支えるにはやはり若干心許ない。みしり、と小さな悲鳴を上げる。
執拗に押し寄せるキスの波の中、スウェットの裾口から指が潜り、腹を滑った。相手の肩を掴んだ手が力む。
「大丈夫か?無理そうなら、ここで止めるが」
「いえ」
引き止めるように、袖を握る。服の中をじれったくまさぐる手が、ややサイズの大きいスウェットを捲り上げていく。胸元まで持ち上がったのを、自ら首を抜き脱ぎ捨てた。
じっと眺められるのは恥ずかしかったので、下敷きになってしまっていた掛布を申し訳程度に引き寄せようとした。釈七さんがその手を押さえる。
「隠すなよ。お前の肌、十分綺麗だから」
そんなことを言われても、羞恥は消えない。仕方がないので、逆の手の甲で顔を覆った。目を塞いだので、首筋を強く吸われたのをその感覚で知る。ひり、と走る甘い痛み。舌は鎖骨を滑り、胸の突起に到達した。ちゅ、と音を立てそこも吸われる。
「ひ……っ、く……っ」
覆った手をすり抜けて漏れる声。自ら軽蔑しそうなほど蕩けて、甲高い。口を離されれば唾液が絡んで、空気がひやりと冷たく感じる。そのくせじん、と突っ張った内側は痛いくらいに熱い。目にしなくてもみっともなく痼り膨らんでいるであろうそれを、再び口に含まれ、焼き鏝の如く熱を含んだ舌で舐られた。
釈七さんの愛撫は、どことなく鋭く、強い。痕をつけるように、傷を残すように。熱は帯びているのに、刃物の先を宛てられたような冷たさがある。とはいえ痛めつけるのではない、あくまでも優しく。
貪りつくほどの激しさであるのに、どこまでも柔らかく滑らかな光の触れ方とは全然違う。
釈七さんが触れるのに感じながらも、そうやって光との比較が脳裏を掠めている自分に無性に腹が立つ。先刻、彼のことだけを考えると口走ったはずなのに。
胸先を吸い続けたまま、滑り落ちた手が陰茎を扱く。絡んだ指が強く弱く、敏感な部分を擦った。
「っふぁ、ぁああっっ!」
ぎゅっと瞼を閉ざすと、涙が滲む。微細な苦痛と共にもたらされる快楽。とろりと先端から溢れた粘液に添って、釈七さんの指が肉壁の隙間を分け入った。つぷりと押し込まれ、ナカへ侵入する。
「っく、ぁあんん…っっ!!」
仕事の時目にする釈七さんの手を、不意に思い出す。調理場でケーキやパフェの仕上げをする彼の手際は実に鮮やかで、常に見とれてしまう。掌は大きいが長くしなやかで、繊細な指使い。ショーケースの中のものと比べても全く見劣りしないケーキを生み出す手。
その手が今、自分の陰部に触れている。じわりと、奥深く。
鮮明に浮かんだ途端、己自身が激しく怒張した。ナカで蠢いている様子と、いつも見ている指先とが頭の中で重なる。それが畏れ多く、気恥ずかしく、抗いがたい昂ぶりとなって。
くちり、と掻かれたその時、
「っぅ、ぁあああぁンンンっ!」
重い粘液が腹部に飛び散り、伝い流れた。
「ちょ、そんなに良かったか?」
「……っぅ、え?」
釈七さんもやや動揺したらしく、一瞬手を離す。閉じていた目を開けると、驚いた顔が目に入った。自分のあまりのはしたなさに頭が沸騰しそうになる。
「……っす、すみません!」
とんだ好き者だと思われただろうか。いたたまれなくなって、また泣けてきた。
「いいよ、俺の手でそんなに感じてくれて嬉しい。それに今のお前、すっげえ可愛いよ」
ふと、さっきまであった微かな鋭利さが消えた。笑った釈七さんが、軽く口づけをくれる。
「な、俺もいいか?お前をもっと感じたい」
こつ、と腰に宛がわれた釈七さんの刀身は、脈打っているのが肌に伝わるまでに熱を帯びていた。
鼓動が速くなる。厨房でのキスと同じ。安堵感が大きかった時間から、昂揚の方が上回る瞬間。いやそれは、こうして身体の隅々まで触れられている間にもう変わっていたのだが。
繋がる、と確定した今は、否応なく速度が増す。体温の上昇も。気持ちは、まだ完全ではない。きっと釈七さんも。
迷いは、拭えない。けれど今は何もかも薙ぎ払って、ただ欲しい、と思った。
顎を引いて頷くと、白濁の蜜を纏った指が再度ナカへ埋め込まれ、掻き回す。
「っふ、ぐ……っ!」
掴んでいた掛布の端を噛んで耐える。一度放出した自身も内側からの刺激に応え、あっという間に硬さを取り戻した。締まりなく体液が溢れ伝うのを感じる。
存分に馴らされた場所から指を抜かれ、代わりに切っ先が当たる。ぐい、と押し広げら
れた感触は一時。焼かれた刀剣のような肉棒を、ずると奥まで呑み込んだ。腸壁が擦られ、抉られる。
「ンンァアあああっっ!!」
生ぬるさを感じず、抵抗を覚えなかった釈七さんの裡には、こんなにも高い熱が宿っていたのだと知った。当然なのだろうが。下腹部を貫く熱の塊は、摩擦で尚更高温になるようだった。
俺の内股を押さえる指が皮膚に食い込む。痛覚に顔を向けると、唾液が頬を這った。目に映った釈七さんの顔が上気している。それがやけに、嬉しく思えた。顔を隠していた手を離し、差しのばす。
「っん、ぁ……っ、しゃく、なさ……っ!」
俺の手を取った釈七さんは、それに唇を近付けた。荒い呼吸が指にかかる。
「鞍、呼び方。そうじゃなくて……」
指先にキスを落として言う。喉から声が弾けた。
「……っぁ、あき、ら……っ、あきら、ぁ……っっ!!」
「あぁ、そうだ。俺をそう呼ぶのはお前だけだよ、鞍」
その言葉が耳を通過したとき、急に涙が零れ落ちた。
実際今まで一度も下の名を呼ばれたことが無い、などということはありえないはずだ。しかし、今俺が知る中でこのひとを「晃」と呼ぶ者は誰もいない。
熱を孕んだ視線で、「呼んで欲しい」と言った彼。躊躇ってしまったのは、おそらくそのせいだ。
俺が、俺なんかがこのひとを「晃」と呼んで良いのだろうか。他の誰でもない、たった一人、俺だけが。その唯一の存在となってもいいのか。
自惚れだとは思う。身の程知らずとも。だけど、これを信じられたら。
「晃……あき、ら……っっ!」
無我夢中で呼んでみた。呼ぶ声が相手に届いたら。
「ありがとう。好きだよ、鞍」
身体を屈めて唇が重なると、結合したところが一層深く突き刺さる。呼応して、下腹部の膨らみはもはやはち切れそうになっていた。
「お前と、一緒にイきたい」
上体を離し、腰を打ち付けるのを速める。同時に彼は、完全に濡れそぼった俺の陰茎を握った。動きに合わせて、掌が滑る。
「……ぁっ、い、ぁああ……っっ!!」
「鞍……っ!」
体内に放射された、鋭い熱。そして握られた手に扱き出され、俺もまた解き放った。両脚の間、腹部にたっぷりと注がれた粘液は、密着した二人の身体をじっとり濡らす。
意識が遠のくのを防ぎたくなって、相手の首に腕を回した。
光との事後は、すんなり手放してしまっても安心できた。なのにこのひとには、むしろこうなってしまった後の方が、不安が過ぎる。
「晃……」
だからもう一度、名を呼びたかった。
何をどう伝えたかったのかは、いまだに自分でも解せない。確認したかったのかもしれない。このひとが、俺に与えてくれた特別を。
返事の代替えに、晃はキスを寄越した。最初と同じに繰り返される間に、高まった温度は元の心地良さを取り戻す。鋭さも、直線的な強さも薄れ。
ところが以前は溶けるような安らぎのみだった体温に、一抹の寂しさが混じっているのに気付く。原因はよくわからない。が、下降した熱がどんどん遠ざかり、やがて消えてしまうのではないかというような。
「眠くなる前に、シャワーで流してくるか?ここままじゃちょっと気持ち悪いだろ?」
現に呼び戻す声で、憂慮はたちまち霧散したが。否、単に姿を隠しただけか。
浴室へ向かうにも離れがたい気がして、首を横に振った。軽く処理だけ済ませ、寄り添って眠ることにした。
噎せ返るほど濃密な性交の残滓が残るのに、朝陽が射したら夢に終わってしまうのではないか。そんな思考が何気なく、胸に沈んでいた。
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