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第四章 宵の明星・4
◇◆◇
「俺、慈玄のこともっともっと知りたいんだ。もちろん、人間の俺にはわからないこととか、知っちゃいけないこととか、もあるかもだけど。でも、俺が知っていいことだけでも。だめ、かな」
和宏が慈玄の本当の姿を知った後も、それまでは普段となんら変わりない生活が続いた。進級後の落ち着かなさが一段落したと思えば、その頃はもうゴールデンウィーク目前だ。連休中も和宏には予定が詰まっていた。
「せっかく良い季節なんだから、中間テストが終わったら一泊くれぇでどっか出掛けるか?」
そう提案した慈玄に対し、和宏の返答は即刻かつ明快だった。
「俺、慈玄の生まれ故郷とかに行ってみたい!」
これには慈玄の方が少したじろいだ。生まれは大陸だが、もはや自身ですら記憶が相当薄れているほど、遠い遠い昔のことだ。「慈玄」として「生まれ変わった」、という意味ならば、現在も「在籍」はしているところの迦葉山、なのだが。それはそれで雑多な問題が生じてくる。
「い、いや、それは……」
「無理に、じゃないんだけどさ。ちょっと思っただけだし」
苦笑する和宏に慈玄は「参ったな」といわんばかりに頭を掻く。
和宏の想いは有難くも、若干頭を抱えざるを得ない。慈玄のことを知りたいと力説する愛しき少年とは逆に、彼は言葉を詰まらせた。
帰山する「不都合」を和宏に説得するならば、過去の彼の罪から語らなくてはならない。先月ようやく正体を明かしたばかりだというのに、今すべてを洗いざらい話しても、和宏の処理能力はきっと追いつかないだろう。
それ以前に。慈玄はまだ、和宏には知られたくなかった。彼が犯した恥ずべき「罪悪」を。
ならばと折れて、要望に応えてやることにした。弥勒寺あたりは今時分参拝客も多いし、そこらへんまでならおいそれと「彼等」は手出ししては来ないだろう、と、慈玄は踏んだ。
「分かった。確かに人間の踏み込めねぇ領域があるから近くまで、だが。行ってみるか?」
満面の笑みで頷く和宏に、表情を緩める。
こうして、迦葉への小旅行は決定したのだった。
◇◆◇
迦葉へは都市部まで特急列車で行き、そこからローカル線に揺られることになる。
「まさか、電車であそこまで行く日が来るたぁ思わなかったな」
とは、慈玄の言。一人で帰山するならば、深夜のうちに飛び戻れば良いのだから。それどころか、同行者を連れ往くのさえ以前の彼には考えられなかったことだ。
仮に鞍吉が慈玄の元を離れなかったとしても、こんな機会はまず訪れなかったに違いない。鞍吉にとって、迦葉はいわば「忌み地」だ。自分の前世が失意のまま生涯を終えた土地は、転生した今もあまり近づきたくはないだろう。よけいな事まで想起してしまうかもしれない。
当然、和宏にそんな因縁は無い。乗り換え駅で買い込んだ駅弁を頬張りながら、物珍しそうに車窓の外を眺めている。
山、というだけあって、迦葉は山間部に位置する。窓から車内に入り込む風は、五月中旬になってもひんやりと肌を撫でる。流れる景色の中に山桜が咲き残っているのが見えた。桜公園の桜のように、見上げた視界を埋め尽くすような華やかさはないものの、寂々たる山中に可憐な彩りを添えている。
「こんなふうに旅行するの、俺も久しぶりだからなんかすっげー楽しい」
幼い子どもみたいに、和宏がはしゃぐ。両親が多忙だというから、家族で旅した経験もそうそう無かったのだろうか、と慈玄は思う。なんにせよ喜んでくれてるなら何よりだ、とも。
やがて列車は、目的地の最寄り駅に到着した。僻地の田舎ではあるが、ここの駅舎は道中停車した無人駅のような小さなものではない。ロータリーは整備され、タクシーや客を送迎する旅館のバンが数台駐まっている。年配者の姿が多いとはいえ、周辺に立ち並んだ土産物屋や飲食店は、観光客で賑わいをみせていた。
この地域には数多くの温泉郷が点在しているが、ここもその中のひとつである。誰もが名を耳にしたことがありそうな同県の温泉街と違って全国的に有名、というほどではないが、大きなホテルは存在せず趣のある昔ながらの宿屋が多いため、昨今は現役を退いた熟年夫婦がのんびり過ごせる旅行地として人気を得ている。
そういった場所なので、和宏くらいの年齢の者はほとんど見当たらない。連休中ならば多少家族連れなどもいたのかもしれないが、今は圧倒的に中高年層が目立つ。
「まぁ、温泉以外に娯楽があるわけでもねぇからなぁ」
慈玄は苦笑いしたが、意に反して鄙びた光景にも和宏は目を輝かせる。
「でも俺、こういうとこ結構好きかも。あ、お饅頭売ってるよ慈玄!」
温泉饅頭をふかすせいろを店頭に構えた土産物屋をみつけ、駆けていく和宏。その背を見ながら、後を追う慈玄はやはり和やかな苦笑を浮かべるしかなかった。
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