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第四章 宵の明星・27

◇◆◇ 「和?」  肩で息をしながら、慈玄が丘の上の公園まで駆け付けた時もまだ、和宏は木の根元で膝を抱えていた。 「じげ、ん……?」 「バイト無い、って言ってたわりに帰り遅ぇから。迎えに来た」  公園にふらりと寄り道したにしては、不自然な位置に和宏はいた。だが、慈玄は「どうしてこんなところに」とは言わない。  式術は、情報収集にも使える。ビデオカメラのように映像も音声も明瞭に拾えるわけではないが、気の波動を探し当て、そこに誰がいるか、何をしているかはある程度読み取れる。俗に「千里眼」と呼ばれる技法を、天狗や修験者は式を利用して行う場合も多い。慈玄もまた、それを行ったのだ。  時に学校の様子も窺っていたが、うっかりその場に所在していた者しか知らないことを洩らして和宏に叱られた。「覗きなんて悪趣味」だと。以来、よほどのことがない限り使用していなかったが、今回ばかりは心配になって飛ばしてみたのだった。  朝方、「今日は早く帰れるから、手の込んだ夕食を作ってみるつもりだ」と宣言して和宏は出掛けていった。にも関わらず、一向に帰ってくる様子がない。買い物に手間取っているなら要らぬ憂慮なので、携帯電話でやかましく催促するよりはと、秘かに。  ところが、式は意外な方向を示しだした。未だ学校の付近……裏手の、この公園を。しかももう一人、よく知る者の気の流れも伴って。 「慈斎、あいつっ!」  薄闇に暮れかけた時刻とはいえ、人の目が多いうちは翼で飛行するわけにはいかない。慈玄は自らの足で走り、ここまでやって来た。  慈斎と会っていたことを、問い詰められるような状況ではなかった。頬に、ほのかに残った涙の痕。顔を上げた和宏に、いつもの無邪気な笑みは見られない。 「お前……その、大丈夫、か?」  言葉を選びつつ、慈玄が声を掛ける。 「うん、ごめん。なんかちょっと寂しくなっちゃって。慈玄が迎えに来てくれてよかった」  そこで和宏は無理に笑ってみせたが、どこか痛々しい。 「そう、か。帰ろうぜ。歩けるか?」  手を差し伸べると、縋り付くように袖を握る。立ち上がらせ、慈玄はそのまま頽れそうな体を抱き寄せた。 「ごめんね、慈玄。少しだけ、こうさせて……」 「ん……あぁ、気にすんな」  事情はおおむね把握している。が、迦葉での出来事を思い返せば、この状態は少々おかしい。身体を触れられただけなら、和宏はこんなふうに苦痛を見せたりはしないだろう。怨霊に憑依され、慈斎に身体を許さざるを得ないことになった時も、羞恥で背を丸めはしても最終的には相手を弁護していたのだ。  おそらくはもっと酷いことをされたか、言われたか。 「誰かと、一緒だったのか?」  慈玄はやんわりと、遠回しに訊ねる。 「う、うぅん?一人でクレープ食べてただけ」  口ごもりながらも、和宏は首を振って否定した。  慈斎が、懲りもせず口止めしたのは明白だ。それは予測の範囲。にしても、和宏の口の閉ざし方はいままでと違う。 「ん、ならいいんだ。帰って飯食おうぜ?俺も腹減ってきた」  普段通りの笑顔を向け、慈玄が歩くよう促した。和宏は、迷子を怖れる幼児のように慈玄の袖を握り続けていた。そっと解いて、手を繋ぎ直す。 「俺の帰りが遅いから、探しに来てくれたんだよね。ごめんな?」  何度も謝罪する様子もいじらしい。 「なに、心配はすっけど、別に苦にはしてねぇよ。心配すんのも愛情のうち、ってな?」 「……っ、う、うん、ありがと」  ふと、和宏の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。ずっと堪えていたのだろうが、気付いた慈玄の方が驚き慌てる。 「ちょ……っ、お前!」 「ごめ。慈玄、優しいから……なんか、俺……」  和宏の頭を、慈玄は抱えて自分の脇に引き寄せる。泣き顔を覆うように。すっかり辺りは暗くなり、人影は見えない。静寂の中に、小さな嗚咽だけが漏れ聞こえていた。  和宏が泣き止むまで、二人は寄り添ったまま立ち止まる。長い時間ではなかったが、外灯の少ない公園は完全に闇に沈んだ。  妖である慈玄は、夜目が利く。和宏の足下を気遣いながら手を引いた。 「もう、平気か?」 「うん。ごめん、腹、減ったよな?」  空いた片手の袖で目を擦り、和宏は涙を拭う。 「いいから、もう謝るなって。このまま外で飯食っても良かったんだがなぁ。いかんせん、財布を忘れちまった」 「急いで来てくれたんだな。ごめん」 「ほらぁ、もういいっつったろ?!」  軽く頭を小突くと、和宏も恥ずかしそうに笑う。少しは落ち着いたか、と思いきや。 「……俺、慈玄が好きだよ?ずっと、一緒にいたいから」  なんの脈絡もなく、神妙にぽつりと呟く。 「あぁ、分かってんよ。ありがとな?」  いつもと同じ笑顔で慈玄は応えたが、和宏は今ひとつ浮かない表情だった。 「な、和」 「うん?」 「お前は素直だから、隠しごとなんて性に合わねぇんだろ。抱え込んでる方が辛い、違うか?」 「…………」  できるだけ穏やかに、慈玄は諭した。 「じゃあ、そうだな。俺も正直に言う。今日は式を使って、お前がここにいるのを探り当てた。慈斎も一緒だったな?」  握った手が、ビクリと強ばるのが明確に分かった。隠せはしないと和宏も理解しているだろうに、それでも首を横に振る。 「ごめん、それは」 「また内緒にしとけって言われたか?」 「……っ」  和宏は尚も、頑なに口を噤む。この少年が自分に対しそうしてくれているように、慈玄も和宏が言いたくないことを無理に聞き出したいとは思わない。だが、これでは黙っている方がきついだろう。ようやく止めた涙が零れてしまうかもしれないのを承知で、慈玄は鎌をかけた。 「なぁ、怒らねぇから言ってみな?もちろん、慈斎にも何もしねぇ。今日も身体に何かされたのか?」  繋いだ指に更に、力がこもる。言葉にはならなくても、それが肯定の合図のようだった。 「……俺、慈玄に迷惑、かけてるよな?不安にさせたり、心配かけたり」  質問の答えではなく、またしても唐突とも思える言葉を和宏は繰り出す。 「さっきも言ったろ?んなもん全然苦にしてねぇし、むしろそうするのもお前を想うが故だと思ってるよ」 「だけどっ、俺がいるから、慈玄は大変な目に……慈斎さん、だって……っ!」  どうやら和宏は、慈斎の話そのものよりも、それをきっかけに自分が無力だと思い込んだらしいと慈玄は察する。そんな思考を和宏に呼び起こした慈斎は無論許しがたい。が、根本的なことはおそらく先日の慈海の来訪から、否、それよりも以前に少年の裡にあったもののようだ、と彼は悟った。  改めて、和宏に向き直り、両肩に手を置く。 「あのな?それがどんなに困難で大変なことだったとして、俺等が共にいるのがよくねぇからだなんて思ってんなら、俺は最初からお前を突き放してる。俺だって、お前が危険に晒されるかもしれないのを分かってて、お前を引き止めてんだぜ?二人で乗り越えたいから……お前が、そうしようって言ってくれたからな?」 「そう、だけどっ、俺は、慈斎さんも嫌いたくないっ!だって、俺を護ってくれた、んだから。けど、慈斎さん、は……慈玄、と俺が、一緒にいるなら、もう味方にはなれない、って。それが嫌なら、慈玄にはなにも言うな、って」 ── なるほど、そういうことだったのか。  ようやく慈玄にも合点がいった。  慈斎がどういう意図でそんなことを言ったのかはわからないが、自分が本来は敵対する立場だと和宏に明かしたのだ。己を救ってくれたと信じていた相手が、実は慈玄と己を切り離そうとしていたことに、和宏は困惑し、懊悩したのだろう。  慈玄は天を仰いで大きく嘆息すると、そのあと身を屈め、そっと和宏に口づけた。 「じげ、ん?」  泣いたためだけではない色が、和宏の頬に差す。 「大丈夫だ、あいつぁ、そんなんでお前を嫌ったりしねぇよ。当然、俺もな?あいつは天の邪鬼だから、お前を心配すんのにそういうふうにしか言えなかったんだろうよ」  言って、に、っと笑ってみせる。 「そう、かな」  納得がいった体ではなかったが、和宏の涙はもう止まっていた。 「あぁ、だから安心しろ。ま、あまりあいつと二人っきりで会うのは感心しねぇけどな」 「……う、うん……」  くしゃりと和宏の頭を撫でると、慈玄は再びその手を取った。 「よし!とにかく飯だ飯!!腹が減っては気分もへこむ、ってな!」 「こ、声が大きいよ慈玄」  恥ずかしそうに縮こまる和宏をよそに、慈玄は豪快に笑った。彼自身の懸念も、この時ばかりはかき消すように。

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