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第四章 宵の明星・26

◇◆◇ 「それで?」 「だからぁ、今申し上げたことだけですって。ちょっと膨大にはなりすぎましたけど、無事収束したじゃないですか。今までさぼってた慈玄がそれなりに働くようになっただけでも儲けものでしょ?」  そんな説明で、主に通用するなどとは慈斎も思っていない。かといって、慈玄を「下界に繋ぎ止める存在」と縁を絶たせようと動いていることは事実なのだから、咎められる筋合いはないと高をくくってもいる。  和宏が怨霊に憑依されたことを、結局慈斎は黙っていた。代わりに慈海には耳打ちしたが、和宏に中峰の計画を洩らした男が、反対に中峰にも和宏の素質を明かすとは考えづらい。なにしろ、未覚醒の気質だ。又聞き状態の推測を、あの堅物が易々と口にすることはありえないだろう。  しかし、彼は違う。現状をしっかりと目撃している上、怨霊の言葉に従い、和宏と交わった。  応急処置でしかない麻薬が、実際どの程度の効果を発揮したかはわからない。が、事実和宏は、破片とはいえ闇を体内から退散させている。  通常の人間にも、「憑坐」のみの素質を持ち合わせている憑き物筋の者でも、あの処置を行うのは大抵不可能なのだ。すなわち、己に憑依した霊を「自らの力のみで」追い出し、消し去るなどということは。  言うなれば、一瞬ではあるが慈斎は和宏の「覚醒」を手助けした、ということになる。その一部始終を、本来ならば中峰には報告しなければならない。経過を見て来い、と命令された慈斎にとって、事の顛末を余すところなく逐一申し渡すのが、彼に与えられた義務なのだから。  だが慈斎は、それをしなかった。  中峰が和宏の「巫女の気質」を知れば、自らの監視下に置くことになるかもしれない。慈玄が和宏に惹かれている理由のひとつが、和宏の気、「光に隷属する闇の本質」の可能性であるならば、中峰がこれを利用しない手はないからだ。  どういうわけか慈斎は、その事態を回避したいと考えていた。もうしばらく中峰に、和宏は「どこにでもいる人間の小僧」だと思わせていたかった。仮に中峰が和宏の力に目を付けた場合、少年の「人間としての生活」は一変するだろう。あるいは、「憑坐」としての精度を極める、純然たる「人形」とするために人格を剥奪する怖れも無いとはいえない。 ── 大概甘いね、俺も。  内心で慈斎は溜息を吐く。  和宏に釘を刺したのは、半分は建前で、半分は本気だ。ただし慈斎自身も、「本気」の部分は無自覚に近いものだが。  過去の罪の制裁もあり、慈玄は封印がほぼ確定しているし、中峰もそれを実現しようと躍起になっている。ところが、慈斎は違う。彼は今後も諜報を任され、比較的自由に身動きできるはずだった。和宏が慈玄から離れ、自分に目を向けるならば、現段階の生活は保障される。中峰がこれ以上、和宏に干渉することも手出しすることもなくなるのだ。  やはり絆されたのだろうか、と苦笑を禁じ得ない。それでも、周到な慈斎にしてみれば、和宏にとってもこれは最善の策ではないかと思案した。  中峰が和宏と対峙すれば、根源の気質はすぐに見抜くだろう。その機会が訪れぬうちに、多少強引でも手を打つ必要があった。だから、下校途中の和宏を待ち伏せた。 「あれだけ膨らんだ闇だったんですから、いくら人間の子どもでもなんらかの璋気は感じたでしょうよ。おまけに慈玄は、迦葉にいた時みたいにごまかす暇もなかったんだから。今はまだ葛藤もしてるでしょうが、そのうちなんらかの結論を出すんじゃないですかね、慈玄も、あの坊やも」  あえて、軽い口調で慈斎は言う。  妖に、人間が言うところの「絆」など理解できない。こと慈斎は、立場上人間たちとも関わり、信頼関係や繋がりなど根底を少しばかり揺さぶれば案外脆いことも熟知している。  慈玄と和宏の関係は、まだ日が浅い。自分が和宏に仕掛けたことが、なんの影響も及ぼさないとはまったく考えもしなかった。  暗い堂の中で、主の瞳が鋭く黄金の光を帯びる。  中峰の力を見くびっているわけではない。自分が裡に呑み込んだ事実も隠し通せるものではないだろうと、慈斎も腹構えはしている。時を稼げれば良いのだ、たとえわずかでも。 「なにも、言い漏らしてはいないと申すのだな?」 「えぇもちろん」 「……まぁ良い。慈海をわざわざ出向かせてまで、『アレ』が未だ浄化の気配を見せぬと奴等に告げたのだ。小僧の安寧を危惧するなら、慈玄も思うところはあろう。……慈斎」 「はい?」 「我が貴様を長重せんのは、貴様の言動が信用に値せぬからだ。しかと心得よ」  口端を上げ、中峰は笑う。凄惨なまでに美しく。冷静に笑みを返しつつも、慈斎は冷や汗を滲ませる。 ── まことに察しがよろしいことで。くわばらくわばら。  主人からの懲罰など今更畏れはしないが、放たれた言葉の含意を推し量ると、慈斎は背筋が凍った。屈託のない和宏の笑顔を、不意に脳裏に過ぎらせて。

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