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第四章 宵の明星・25

 和宏の口が一瞬止まる。含んだものを呑み込むと、「それは」と言いかけ、口ごもった。 「俺が相手じゃダメなのかなぁ?あの夜も。嫌だったでしょ?」 「そんなことない、です。多分、仕方ないこと、だったんだろうし」  顔を赤くしたまま、和宏は否定する。 「仕方ない、かぁ。その通りなんだけど、はっきりそう言われちゃうとちょっと傷つくな」 「え」  不安げな視線が、慈斎に向いた。反応を彼は意外に思い、次に納得する。和宏の警戒心が薄いように感じるのは、おおかた人に嫌われるのを極度に怖れるためだ。相手を拒絶する言動を、無意識のうちに避ける傾向が和宏にはあるように見える。だからこそ、物怖じせず初対面の者にも接すると考えられた。それがたとえ、妖であっても。 「ごめんなさい。で、でも、慈斎さんもあのときはなんだか辛そうだったし。いやなことさせたんじゃないか、って」 「うぅん?そうだねぇ、もし俺が辛そうに見えたのなら、それは君が憑依されちゃったからだろうね。危険で慣れないことさせちゃったなぁ、って」 「え、そう、なんですか。ありがとうございます。あのあとはなんともないし。護ってもらえました、から」  今度は、はにかむように微笑む。和宏はころころと表情を変えた。 ── ほんと、見ていて飽きないよね。  下界ボケしていると指摘した慈玄が、この少年に対し甘い感情を懐くのも理解できなくはないと慈斎は考える。闇とか怨霊とか殺伐とした現状を、和宏との穏やかな生活が忘れさせてくれるのだろう。それはそれで、なんとも都合の良い話だと糾弾したくもなるが。 「いいえ。俺、君のこと気に入っちゃったからさ、すごく」  更に落とすつもりで慈斎は口にしたが、あながちまったくの出任せでもない響きをその言葉は伴った。確かに、気に入ってはいる。興味深い素質の持ち主としても、慈玄の弱味を握れる玩具としても。  だが。 「あんな状況じゃなかったら、俺に触れられるのは、嫌?」  和宏の大きな瞳を、慈斎はじっと見つめた。するりと撫でた白い首筋から、脈打つ鼓動が指先に伝わるのを確かめて。 「嫌、じゃない、です、けど……」  目を逸らす和宏。否定はしないまでも、明らかに狼狽えている体だ。 「けど、慈玄の方がいい?」 「……」 「そう。じゃあ、いいや」  和宏から手を離すと、慈斎はベンチを立って歩き出した。 「クレープ、ご馳走様」 「え、慈斎、さん?!」  すたすたと公園の出口に向かう慈斎を、和宏が追う。 「あっ、あの、俺……なにか気に障るようなこと言いましたか?」 「うぅん?何も」  言いながらも、慈斎は後ろを振り向かない。背後の和宏を気にせず、早足で前を往く。 「あの、ごめんなさい、俺」 「なんで謝るの?別に君は何も言ってないし、何もしてないよ?」  そこで初めて、慈斎は立ち止まった。かと思いきや、急に踵を返し、和宏の腕を掴んだ。 「えっ、ちょ……っ!」  そのまま木立の間に入り込むと、一本の木の幹に少年の背を押しつける。 「あのさ。俺と慈玄が仲悪いのは知ってるんでしょ?それに、山での事。上司の命令だって言ったよね?その上司、っていうのが誰なのか、慈海に聞いたんじゃないの?」 「……それ、は……」  慈斎の思ったとおり、和宏は目を泳がせる。慈海が中峰の策略を和宏にも語り聞かせたことを、彼は確信した。 「そういうこと。俺は、中峰の命で動いてんの。君を邪魔だ、と思ってる中峰の、ね。それがどういうことだか分かるでしょ?」 「でっ、でも……慈斎さん、は、俺を助けて……」 「そ。君を気に入ってる、っていうのもほんとだからね?別に中峰の命令なんて、逆らってもいいと思ってる。ただし君が『俺を選ぶなら』、の話だけど」  怖いと感じたのだろうか、和宏の瞳がにわかに潤む。 「主のことなんてどうだっていいけど、俺は慈玄は気に入らないの」  和宏の股間に膝を宛てると、ぐり、と刺激するように回す。シャツの上から胸を撫でると、小さな突起はすぐに探り当てられた。 「こういうことされて、君は慈玄に黙っていられる?いられないよね。俺に身体を触られたって報告する?それじゃあ、俺は面白くないんだよな。でも君は、慈玄を裏切れない。でしょ?」  ぷっくりと膨らんできた胸先を指で捏ねながら、和宏の耳元で慈斎は囁く。足も休むことなく動かし続け。 「ぁ……や、だ……っ!慈斎、さん、やめ、て……っ」 「俺にされんのは気持ち良くない?熱は上がってるみたいだけど」  和宏の耳朶に近付けていた口を開き、甘く噛む。するりと掌を下半身まで下げると、膝で弄んだ陰部はすっかり熱く膨れあがっていた。 「おねがぃ、です……も、やめ……っ」  つい今し方までクレープに齧り付いていた頬に、涙が伝う。 「そんなに嫌?だったら、気安く俺に近づかない方がいいんじゃないの?慈玄もそう言うと思うけど」 「……っ!」  苦しそうに、和宏は唇を噛んで耐える。胸にある感情は、羞恥のみではないようだが。  上部の木の葉がかさ、と音を立てる。陽は傾き夕闇が迫っていたが、風は穏やかだ。慈斎は、そこに潜む何かの気配を過敏に嗅ぎ取った。小さく舌打ちをする。 「ふぅん?下界ボケしてる割になかなか勘が良いじゃない」  和宏から、這うように滑っていた手が離れた。 「じさい、さん?」 「嫌だったなら、もうしないよ。けど、俺の言ったこと、ちょっと考えてくれたら嬉しいかな」  慈斎の顔だけが近付くと、触れる程度の軽いキスが落ちる。 「慈玄に秘密にできたら、俺は君の味方でいてあげる。だけど、そうじゃないなら……俺もあいつにボコられるのは嫌だし、ね」  和宏の目の前の口が、小声で言う。どこか冷たく、突き放す調子で。 「それじゃ、またね。和宏君」  別れの挨拶と同時に、長身の影が消えた。和宏はずるずると、その場にへたり込んだ。なにも言い返せなかったことを後悔して。  西の空が橙に暮れ、頭上に藍色と銀の瞬きが見え始めても、和宏は動けず植え込みの狭間に蹲っていた。

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