153 / 190

My secondary planets 〜宵の明星後日談・6

「……じさ、い……え……?」 「驚いた?まぁ、俺もこんなに早く戻れるとはビックリだけどね。といっても、まだキープできるのは一、二時間ってとこかな」 「だ、だいじょうぶ、なの?」  心配そうに、和宏は恐る恐る手を伸ばす。すらりとした体躯には、難なく触れられた。次の瞬間にはふっと消えてしまうのではないかという危うさも彼は覚えつつ。 「実際、まだ保つだけで相当の妖力を消費しているだろう。無理はせんことだな」  淡々と慈海が諫める。和宏も重ねて 「そ……っ、そーだよ、無理しちゃ駄目だよ。俺、会いには来たけど、休んでなきゃ!」 「でも、俺に早く会いたいって思ってくれたんでしょ、和?」  やや意地悪く返す様も健在のようだ。反発するより先に、和宏は確たる安堵を覚えた。 「うん。慈斎、俺……」  涙腺が緩みそうになっている少年に、慈海が気を回した。 「私はなにか妨害が入らぬかあちらで見ておくから、話をするか?」 「え、話しても大丈夫、なんですか?」  目の前で散り散りに消滅しそうな様を見ていた和宏には、ここにいるのが本当に慈斎なのかまだ半信半疑だった。相手の体調の善し悪しも。 「うん、少しくらいならね」 「だ、そうだ。しばらくしたら迎えに来る」  言うより早く、慈海は高い草を掠めるようにして飛び去った。すでに聞こえるか否かわからなかったが、和宏は「はい」と返答した。 「慈斎、辛くないの?山から帰ったとき、慈玄、熱出したみたいでしんどそうだったし、それよりもっと、なんじゃ」 「あぁ、風邪みたいな症状に見えることもあるかな。慈玄は野蛮だから、そんなのも出やすいかもだけど。俺は術を使って消耗したんじゃなくて力を削られただけだから、身体自体は大したことないよ」  涼しげに慈斎は言うが、事実は決して容易いものではなかった。  手足も動かせない状況では、得意の調薬もできない。常備しているものを少しずつ服用し、小さな生体となってじっとしていたのだ。元来慈玄のように潜在能力が高いわけでも、慈海のように人間体の免疫力を持ち合わせているわけでもない慈斎は、妖力を封じられれば彼等よりもずっと回復は遅い。  しかしそんな状態を、和宏に悟らせるのは彼の矜持が許さない。みっともない姿を、さらけ出すわけにはいかなかった。 「ん、なら、いいんだけど。慈斎にいっぱい謝らなくちゃ、って。お礼もいっぱい言わなきゃ」 「謝る?どうして?」  前と同様に振る舞う慈斎に、和宏が疑う余地はない。それでも何かしら、この少年は感じ取ってしまうかもしれないという畏れを懐きながらも、慈斎は平然と返す。 「だって、こんな風になったの俺のせいだし。それに、あの後……中峰さんに一年待つって言われて。桜街の闇とか、慈玄の暴走とか、そ、ゆう問題、片付けないと、今度はほんとに……」  言っているうちに不安が増したのか、和宏の目線はどんどん下がる。 「その話なら、慈海から聞いた。解決できなかったら、俺等まとめて封印されんだってね」  弾かれたように、和宏が顔を上げる。 「っ!ご、ごめんね、慈斎。こんな大事なこと……っ」  和宏の目尻に、涙が膨れあがった。 「そんなの、和のせいだけじゃないでしょ?一年後どうなるかわからないけど、どういう結果になろうとも、俺は和が精一杯やったこと認めるし、受け入れるから、ね?」  弱味を見せない慈斎だが、その言葉だけは当人が意図しないほどしおらしく響く。  そっと胸に置いただけだった手を伸ばし、涙を落とした和宏は、なだれ込むようにして彼に抱きついていた。 「とにかく、また会えてほんとに良かった。ほんとに、会いたかった!」  顔の埋まった胸に、水滴が染み込んで濡れるのが慈斎にもわかった。和宏が悪いのではないのだから、慈玄も慈海もそう言って宥めただろう。しかし和宏は、自分を責めずにはいられなかったのだ。慈斎が再び、こうして姿を見せるまで。  だからこそ慈玄にも内緒で、慈海に止められたのも振り切って、一人で迦葉までやって来た。  出逢った頃は、ただただ反りの合わない奴の大切なものを穢すために近づいた。その相手が、自分のために。慈斎にすれば、理解できかねる行動ではある。だとしても、今本気で彼の無事を喜び己の胸で泣く少年を、確かに愛おしく、有難く感じた。 ── お人好しにも、度が過ぎてるけど。  内心で苦笑しながらも、そっと抱き締め返す。 「ありがとね、和」  ふわふわと跳ねた赤茶の髪を撫でる。手の感触にふと我に返った和宏は、身体を離して照れ臭げに笑った。 「んっ。あ、慈斎お腹減ってない?ホットケーキ持ってきたんだ」  目を擦りながら、背中のディバッグを下ろす。ファスナーを開けると、小さめに切ってタッパーに詰められた、狐色の食べ物を取り出した。 「焼きたてじゃなくて申し訳ないんだけど。慈斎のために焼いたんだ。慈玄に見つからないようこっそり」 「へぇ、嬉しいな。それだけで回復早まりそう。食べてもいいの?」 「うん!はい、どーぞ」  プラスチックの使い捨てフォークとタッパーを手渡す。蓋を開けると、バニラの甘い香りが漂った。温かさこそ無いものの、ホットケーキは弾力を失ってはいない。フォークの侵入を押し返し、ゆっくりと刺さる。 「いただきます」  生地に染み込んだバターと蜂蜜で、柔らかくもしっとりした食感。もくもくと慈斎が咀嚼する様を、和宏は嬉しそうに見つめた。 「すっごく美味しいねぇ、これ」 「街に来たら、出来たてのをご馳走するからさ。またご飯も」  タッパーを片手で押さえ、慈斎は辺りの草を倒す。手慣れた感じで畳むように押さえると、わずかながら空間が生まれた。腰を下ろし、改めてホットケーキに食いつく彼の横に、和宏も座る。 「そういえばさ、和はあのあとなんともなかったの?事の経緯は慈海にざっとは聞いたけど」 「ん。慈斎が意識失ってから、慈海さんが力を貸してくれて、結界内に入って慈玄を連れ戻したんだけどさ。その時に、ちょっと傷つけられた」  和宏の頬の傷は、うっすら痕が残るのみにまでなっていた。何気なく触れた指先を、慈斎も目で追う。 「あーぁ、可愛い顔にそんな傷つけるなんて。あいつも最悪だね」 「そんな言い方したら、またお仕置きされちゃうよ?これだけで済んだのが、奇跡みたいなもんだけど」  そこから一日の猶予を与えられたこと、登山道の滝の脇で対峙し、消されかけたもののなにかの力で防げたこと……それらを和宏は、ぽつぽつと慈斎に語って聞かせた。

ともだちにシェアしよう!