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第五章 蠍ノ心臓(アンタレス)・33

「要領を得たようなそうでもねぇような話だったな」  慈玄が脱力する。が、慈斎はその様子を目にしてふふんと鼻を鳴らした。 「下界ボケした慈玄はそうかもしれないけど、俺にはおおよその枠は推察できたよ?」 「んだとコラ!大体、夢露って男も妖の気は持ってねぇんだぞ?あいつも未熟ながら鬼だってぇのか」  慈玄以上に話に置いていかれた形の和宏は、ただ深刻そうに二人の顔を見比べる。気付いた慈斎が細い肩に手をかけた。 「そうは言わないよ。じゃなきゃ、さっき言ってたカモフラージュにはならないからね。おそらく、俺等が知ってるものとは違う複雑な構成があるんだ」  触れられてぴくりと身体を小さく震わせた和宏だが、何か閃いたようでぱっと顔を上げる。 「もしかして、こないだ慈斎がこっちに来てたことを慈玄が気付けなかったのと同じ?力が万全じゃないから、紫亜たちは見付けづらいの?」 「さっすが。和は賢いねぇ」  に、と口端を上げた表情を慈斎は和宏に向けた。 「慈玄だって、今の今までまったく何も感じなかったわけじゃないんじゃない?今は梅雨時で、雨によっても気配は遮断されやすい。だとしても、なんらかのサインはあったと思うけど?」  宮城邸の前で、一瞬だけ感じ取った違和感を慈玄は不意に思い出す。まさにあれが、鬼達のものだったというのか。 「ここからは俺の推測でしかないけど。今の今まで彼等にこういった動きがなかったのは、現状のままで満足していたか、あるいは血なんて求めなくても事足りていた、と考えられる。俺等みたいなのが傍にいなくても和に直接手を出されなかったのはそういうことじゃないかな。けど、何を思ったか彼等は突然、力を取り返したいと思い始めた。それは」 「例の『怨霊の欠片』か」  慈玄にもやっと得心がいったが、和宏はしゅんと項垂れた。 「俺が、中途半端に浄化しかけたのが……」 「和のせいじゃないよ。あの時は、あれより他に為す術が無かった。とはいえ、怨霊が彼等に干渉したか、残骸として漂っていた闇を彼等が喰らったか、なんらかの影響を受けて行動を開始した。それはほぼ間違いないだろうね」  己の責任では無い、そう言われても一層落ち込む和宏。 「でも、誰かが危ない目に遭うんじゃ」 「誰か、じゃないよ。蓮君が言ったでしょ?『楔波の好みは和』だって。だったら紫亜って子は?という疑問は残るけど、なんにせよ誰彼構わず狙ったりはしないはずだよ。怨霊の誘発があったとしても、あくまでもきっかけ。力を蓄えつつある鬼の意思には敵わない。だとするなら、単純に何らかの力を持つ者。それも、前から目を付けていた……」 「あぁ、だからどのみち和、になるのか」  慈玄に沈鬱さが浮かぶ。これは、思いの他厄介だと。 「ちょ、ちょっと待って?!だけど俺、別に自覚してるわけじゃないし、力だって自分じゃ制御できないし!もっと簡単に取り込めそうな人なら他にも……」 「標的となっている」らしい当人は、慌てて否定する。しかし慈斎には仮説に至る根拠があった。 「もちろん、他にも襲われそうな人はいるかもしれない。例えばさっきの蓮君みたいな子とか、元妖で潜在能力のありそうな者。だけど、かの怨霊が関わっているためというのの他にも心当たりがあるんだ。彼等の気を俺がはっきり捉えたのは、今回の前には一度。それは、『和の気が大きく動いた時』だったんだよ」  和宏に思い当たる事象は無く首を傾げるばかりだったが、ふむ、と一度は納得して頷いた慈玄が、頭を跳ね上げるようにして慈斎を見た。 「って!それ、おま……っ!?」 「考えたとおりだよ慈玄。でも今回も、ひいては和を護るため。ま、結果的に、だったのは否定しないけど」  わなわなと唇を震わせた慈玄だが、まさかここで掴み掛かることもできない。和宏だけが訳もわからず、ひたすら彼等に順に目を遣る。 「ねぇ、どういうことだよ?俺の気が動いた時、って?」  今日は何度もそうしているが、一段と大きな溜息を慈玄は吐いた。 「あ、あー……っと、だから、な?」 「つまりね和、具体的な時期を言えば、和が慈玄と喧嘩して、俺のいるホテルに足を運んだ日。もっと細かく言えば、俺にカフェでの出来事を細かに話してくれた、そのあとだよ」  謎かけのような言葉だったが、和宏がすべて理解したのは見る見る真っ赤になった顔で分かる。 「えぇ、っと……その、あれ……?」 「そ。和、まだ力の戻らない俺を精一杯案じてくれたでしょ?」 「ほんっと白々しいな!だが、ならば確実だろう。奴等、それによって和の気を前以上に嗅ぎつけられるようになった、ってわけか」  あえて遠回しな表現をした慈斎を詰りながらも、慈玄は的確な判断に舌を巻いていた。  そもそも、いくら虫が好かなくてもあの場で我慢が利かず夢露の挑発に乗ったのも自分なら、それが原因で和宏に淋しい想いをさせてしまったのも自分なのだ。  慈斎にどんな思惑があったとしても、慈玄自身も常に感じている柔らかな灯火のような気の流れを発していたのなら、それは和宏本人の意図で慈斎を受け入れたということ。そして情交の昂ぶりによって、和宏から発せられた力を紫亜たちが拾った。まさしく中峰の予見通り、和宏に向けられた闇。 「彼等が改めて和に接近するのは疑いようもない。けど、『夢露サン』とやらとの関連性は俺にもまだ把握できない。蓮君の言う通り妖狐か、当の夢露サンから聞き出すより他なさそうだね」  悪びれた様子もなく、慈斎は話を締めくくる。頬に赤味を残してはいたが、和宏も緊迫した面持ちに戻った。 「ところで」  重い空気を消し去るように、慈斎がぱんと手を打つ。 「俺はまだ本調子じゃないけど、慈玄より先に彼等のことを察知できたのは事実。というわけで、今日から寺に泊めてくれない?」 「は?!」  やむを得ずといえど、またしても和宏にちょっかいをかけた奴をなぜ。慈玄はそう言って断固拒否しようと思った、のだが。 「ほんとに?慈斎もいてくれたら心強い!な、慈玄」  さっきまでの憂慮顔はどこへやら。彼を覗き込む大きな瞳がぱっと輝く。 「いやいやいや!寺にはちゃーんと結界だって張ってるし!」 「なに言ってるの?相手はまだ得体が知れない。普通の鬼じゃないんだよ。結界でどこまで防げるかわからない。それに」  慈斎はまた、にやりと笑う。 「慈玄だってその方が良いんじゃないの?和が俺とこっそり会う必要はなくなるよ」  和宏の行動を、慈玄は制限などできない。断ればまたホテルを訪ねるだろう。痛いところを突かれ、歯噛みする。 「ちっ、しゃーねぇ、勝手にしろ!」 「やった!ありがと慈玄!!そうと決まれば、晩飯は腕振るわなきゃ」  すでに目的がすり替わってしまったように、和宏は食料品売り場へと先に進む。うだうだと考え込まないのが少年の美点だが、にこにこと後を追った慈斎とは対象的に、慈玄はひきつった苦笑を浮かべるのみだった。

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