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第五章 蠍ノ心臓(アンタレス)・32
「ったく、次から次へと」
かりかりと慈玄は頭を掻いた。
さほど頻繁に訪れることのないこの場所で次々と知人に出くわす現状は、まず偶然ではありえない。先程の紫亜は、和宏の気配を追って現れ、慈斎はその予兆を嗅ぎ取って現れた。ならばこの蓮も、と考えるのが自然の流れ。
紫亜の去り際も気に掛かる。「ますます居心地が悪くなった」、そういってあの人物は消えた。ほどなくしてここへ来たのが彼、というわけだ。何かしらの関連性を疑うのも道理。
だが、カフェで幾度か見掛けたこの幼げな青年の気は、慈玄が見るところ凡庸たる人間のものである。些少、どこか和宏に似た質もまとわせているが、かといって和宏ほどの主張は無い。前世神域に近い場所に暮らしていたか、あるいは一時聖職に就いたことがあるのかもしれないという、その程度。
「誰?」
初対面の慈斎が和宏に尋ねる。バイト仲間だと伝えると
「え、和よりずっと年下かと思った」と自分の胸部ほどの位置にある頭を撫でた。その手を蓮は邪険に払う。
「子ども扱いしないでよ、これでも大学生だし!覚えといてよおじさんたち!!」
「それは失礼。でも、おじさんはあんまりじゃない?慈玄はともかく」
「勝手に巻き込んでんじゃねぇ!あー、で、お前さんも買い物か?」
探りを入れてみると、いかにも的外れな指摘だとでもいうように、きょとんと天狗たちを見上げる。
「違うよ。ここに多分、紫亜がいたでしょ?」
今度は彼等が驚愕する番だった。
「どうして、それを?」
「あー、やっぱりいたんだ。紫亜がいるとさ、なんか僕引き寄せられちゃうんだよね。ムズムズするっていうか」
やはり自分の勘が鈍ったのかと慈玄はちらりと慈斎を見た。だが慈斎の方も彼を見て、真顔で首を横に振る。
食材のフロアへ向かうのを中断し、彼等は近くのオープンスペースへ移動した。蓮から話を聞くためだ。
自分はろくに能力など持たぬ人間だが、魂そのものは妖狐と古くから因縁があること、そのため微細ではあるが結界構築等の術を手助けしていることなど彼は一通り語り、
「僕は美李から少し話を聞いただけだけど。って、和の前で言って良いの?」
慈玄から奢られたアイスクリームにかぶりつきつつ、本題への前置きをする。
「あの紫亜って奴が和に接触してきたなら仕方ねぇだろ。和、実はな?」
ここに至り「sweet smack」のオーナーが慈玄達と同じ「人ならざるもの」だとようやく聞かされた和宏は、紫亜が「闇の者」かもしれないと聞いた時にも増して狼狽えた。こうして天狗と生活を共にしていても、頭の整理が追いつかないらしい。
「前も言ったが、妖も元妖も数こそ多くねぇがそういないもんでもねぇ。同化して下界に暮らしてりゃ、実体がなんであれ特に変わった行動もしねぇからな。オーナーとて何事もない限り、人間同然に暮らしていたはずだ」
和宏自身迦葉での出来事を機に、様々な怪異に見舞われた身。慈玄等と知り合う以前から付き合いのある者がそうであったことに驚きはしても、状況を飲み込むのに大して時間はかかるまい。
「そんなわけで、慈玄、だったっけ?和が初めて連れてきたときに、あんたがなんなのかは聞いてはいたんだけどさ」
佐久間美李の正体を和宏に説明する間に、蓮の手にしたアイスクリームはコーンの部分を残すまでになっていた。
「僕も正直、詳しいことはわかんないんだよね。生まれる前の記憶とか何かがあるわけじゃないし、美李みたいにずっと生きてるわけじゃないし」
「確かに、君の気質は特別なものじゃなさそうだからね」
自分も慈玄と同種のものだ、と自己紹介した慈斎が言う。
「だけど、呼び寄せられるんでしょ?」
「うん。気質というよりは、血、らしいよ?僕の血は中和剤みたいだから」
「中和剤?」
長命で数々の妖と接触してきた天狗たちも、これには首を捻った。紫亜といいどうも特殊なケースに思える。
「血清、みたいなもんじゃないかな。紫亜の毒を消すために、薬として僕が呼ばれるの。どういう原理かは知らないけどねー」
「つまり、何らかの被害が出たときのために、君が近くにいるよう導かれてるってこと?妖狐がそう仕組んでいると?」
「美李じゃないと思うよ?なんとなくだけど」
コーンを最後まで押し込み、蓮がもごもごと口を動かす。飲み込んだところで、少し話題が変わった。
「和。ってことは、楔波は?」
「え、うぅん、見てないけど。でも、一緒だって紫亜は言ってた」
「だよねぇ。まぁ単品でいることも少ないからね、あいつら」
慈玄の耳にも入ってきた、和宏と紫亜の会話。その中に楔波という双子の片割れが「和宏を気に入っている」というのがあった。思い返し、改めて蓮に問い質す。
「それに関しても僕はよくわからないけど、和はどっちかっていうと楔波が好みそうだっていうのは前から、ね。あ、恋愛とかそういうのとは違う、んだけど」
まるで慈玄と和宏の間柄を知った上で、恋敵の出現ではないとフォローを入れたような口振りだが、どうもそういう意味で濁したのではないらしい。
否、それも承知していたのかもしれないが。気質は特異でなくとも、この蓮という青年にはなぜか、並外れた勘の良さが窺える。
「こう言っていいのかどうか。あいつら、血が足りなくなるとうろつくんだよね。好み、っていうのはそっちの」
「血、だと?」
慈玄が目を剥いた。血肉を欲するのは、妖の中でも凶暴な類。すなわち、鬼だ。
「って、あいつにそんな本質は見えなかったぞ?!」
「そりゃそうだと思うよ、最近は全然そんなのなかったし。でもここんとこ妙に動きが活発になっててさ。原因までは美李は教えてくれなくて。まだはっきりしない部分も多いし、余計な気を回さない方がいいからって」
「なるほどね」
腕を組み聞いていた慈斎が、ここで相槌を打った。
「彼等は未成熟か、もしくは一度浄化されかけたものだったんじゃないかな。血を求めるのは、昔の力を取り戻すため。だから気質は薄いし、実体化したりしなかったりしてる。こっちが追いにくいのも無理からぬことで、現状なんらかの、いわば『隠れ蓑』みたいなモノがあるんだと思う」
「へぇ。それにあたるのかどうか僕には定かじゃないけど、あいつらは昔から夢露と行動を共にしてたものだよ」
「なんだって?!」
慈玄は再び声を張ったが、慈斎の方は予測通りだったのか微動だにしなかった。
「美李もおじさんたちも、どこまでわかってるのか知らないけどさ」
「だからおじさんはやめてよ。俺はその夢露って人には会ったことないけど、慈玄と場所もわきまえずに大喧嘩したのは聞いたよ」
「喧嘩って言うか、こっちのおじさんが一方的に詰め寄っただけだったらしいね。僕もあとから聞いた」
蒸し返された慈玄がぐ、と喉を鳴らす。
「とにかく、僕も紫亜が動き回ってたら気をつけろと言われてるだけだし。あとは美李から聞く方が早いと思うよ?」
軽く手を叩いて、蓮が腰を上げた。自分の知ることはここまでだというように。
「わかった。でもまぁ、君にもまた協力してもらわないといけないかも」
「だろうね。それは承知してるからいつでも連絡してよ。じゃ、和も十分注意してね!」
挨拶もそこそこに駆けだした小さな背丈は、あっという間に人々の隙間に隠れた。
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