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2 モノクロームの少年
二年B組の教室はそわそわした空気が流れていた。
教室の一番後ろ、窓際の自席に目をやると隣に一つ机が増えていた。
「あれ、こんなのあったっけ」
郁郎の前に座る安志が「よ」と軽く挨拶すると目を輝かせながら早口にしゃべり出した。
「転校生が来るんだってよ」
「転校生?こんな時期に?」
三学期も半ばを過ぎ、今週は期末テストもある。
安志はちょいと唇をひんまげて、ケケケと笑いながら毒づいてみせた。
「夜逃げしてきた、とかじゃねーの?」
郁郎はその皮肉にどう答えたものだが少し戸惑った。
「かもな」
なるべくそっけなく答えるように郁郎はつとめた。安志はその答えに満足したのか
「そうだ、それしか考えられねぇよな」
と独り言のようにつぶやきながら笑った。
教師が少年を一人連れて教室に入ってきた。
おろしたてのように黒々とした学生服、きっちりと七三に分けたつやつやした黒髪、切れ長の一重の目には黒曜石のような瞳がはまっている。そして血の気を感じさせない白い肌。まるでそこだけモノクロ映画になったかのようだった。
色味を感じさせるのはただ一つ、胸ポケットにさした一枝の紅梅。
いったい、自分たちは何を見ているのだろう。郁郎も、クラスの全員――担任も含めて――戸惑いを隠せなかった。あごの付け根がむずかゆくなるような、歯ごたえのない妙な感触が教室に充満していた。
転校生は教師に促されたわけでもないのに、勝手に白いチョークを手にとり、さらさらと
「森 香深」と黒板に書き付けた。
「モリ カフカ と言います。どうぞよろしく」
クラスの全員を見渡すように、香深は笑い、視線を教師に向けた。
「あ……そう。森、香深、くんだ。森くんは一番後ろの空いてる席に」
「はい」
香深の目が教室の後ろに向けられる。空いている席は郁郎の隣だけだ。
黒い瞳がきっかと郁郎を捕らえた。
郁郎は、自身が火打ち石になって打ち付けられたかのように身を固くした。
「森くん、その花は……」
ようやく教師が担任としての責務を思い出したのか、皆が気になって仕方がない肝心のところを問いかけた。これでこの件は着地できる、と誰彼なしにほっと息をつきかけた。
香深はぬめりと薄ら笑いを浮かべて教師を見上げ、紅梅の枝を胸ポケットから引き抜きぬいた。
「差し上げますよ、あなたに」
教師は香深に言われるままに黙って紅梅を受け取った。手にした瞬間、催眠術が解けたように小さく身震いをして、おそるおそる香深に礼を言った。
「あ、ありがとう……」
教師も、生徒も全員が居心地の悪さを感じている中、香深はゆったりと席についた。
転校生は否が応でも詮索されるものだが、香深は朝の一件で中学生の好奇心を完全にシャットアウトした。
その日の課程が終わり、香深が教室からいなくなると郁郎は級友たちに取り囲まれた。
「どうだった?」
皆が香深のことを知りたくてたまらないのだ。それには香深の近くに座る人物に聞いてみればよいというわけだ。
「どうだったって……」
どうと言われても皆と同じだ。同じ学生服を着て、同じような筆記具を使い、同じ授業を受けた。
それでいて違うことは郁郎だってわかる。その違いがみんな知りたいのだ。しかし郁郎は違いを上手く言葉で表せなかった。
「変な奴だとは思うけど、しゃべらなきゃ、ふつうじゃねぇの?」
「しゃべったの?!」
「いや、ぜんぜん……」
事実、朝の驚くべき自己紹介のあと、香深は級友たちに一言も発していない。教師たちにも必要最小限の言葉で返すのみだった。
郁郎から聞き出せることは無いとわかると、みんな三々五々教室から去っていった。
明後日から期末テストがはじまる。郁郎も教室でぼんやりしているわけにはいかなかったが、家に帰るのは少し億劫だった。
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