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3 花をあげよう

 テスト終わりの緩んだ空気に包まれて、安志とスーパーでささやかな買い食いをしてから郁郎は帰途についた。  安志はサービスカウンターの横に置いてある携帯電話のパンフレットをすべて抜き取っていった。なんでも、高校に入学したら携帯電話を買ってもらう約束らしい。  来年に買ってもらうつもりなのに、今年のパンフレットを持って帰って意味があるのか、結局母親が契約している会社と同じになるのではとは思うが、安志自身「鬼が笑う」と言っていたのでこれも楽しみのうちなのだろう。  「郁郎も高校入ったら買ってもらうんだろ?」と聞かれたが何も考えていなかった郁郎は「うん、まぁ」と曖昧な返事をするかしかなかった。  丘へ帰る三叉路にさしかかったところで、頭上からカラスの甲高い鳴き声がした。  東の空から同じような調子の呼び声が聞こえて、カラスは羽をばたつかせながらそちらの方へ飛んで行った。どこかで合流して山に戻っていくのだろう。  カラスの行った先を眺めていると、視界に白いものが動くのが見えた。  郁郎が帰る道とは別の道を誰かが歩いている。  この道を歩いている人間を見るのは初めてだ。  絶対に確かめてやろうという気ではなかったが、自然と目を凝らしていた。  白いものはどうやらスーパーのレジ袋らしい。  持っている人間は、月曜にやってきた転校生だった。 「へぇ?」  今週の学校は彼の話題で持ちきりだった。  テストがあったからまだ自制的な雰囲気ではあったが、これが通常授業であればもっと大騒ぎだっただろう。  森香深は転校初日だけでなく、毎日花を胸ポケットに挿して登校した。  そしてその花を人にやってしまうのだ。  転校二日目は校門を入ったところで丸刈りの一年生男子を呼び止めてピンクのサザンカを、三日目は赤いツバキをちょっとやさぐれた感じのする三年生の女子へ、また次の日は二年生の女子へ指でつまむほどの小さな赤紫の花束を渡した。  サザンカをもらった少年はかなり戸惑っていて、もぞもぞ何か言いながら恐々受け取っていたが、ツバキを渡された少女は見るからに嬉しそうだった。  親しくもない郁郎でさえも、彼女がこんなに無邪気に笑う人だったかと驚くほどだった。  こうなると、香深から花をもらうことは「良いこと」であるという認識が生まれてくる。赤紫の花をもらった二年生は喜びを隠さず香深に礼を言い、周りも羨ましそうにしていた。  そんな香深を安志は「カッコつけやがって。みんなにゴマすって仲間に入れてもらいたいんだぜ」とこき下ろしたが、安志の予想と裏腹に香深は花を渡す以外は他人に関心を向ける様子はまるでなかった。  学校内の地図も様子も、どうかしたら全校生徒、教職員の名前も顔も全て頭に入っているようで、困った様子を見せたり、人にものを聞いたりすることは一切ない。  一人でやってきて、課程が終わればすっといなくなってしまう。香深が「仲間に入れてもらいたがっている」とは到底思えなかった。  安志にはもらった人が喜んでればいいんじゃないかと言ったが、安志はどうも香深のことが気にくわない様子だった。  その森香深の姿が枯草の間に消えていった。  家の門をくぐると中庭に作業着姿の祖父が畑で使う資材をトラックの荷台から納屋に片付けているところだった。 「ただいま」 「おう、おかえり」  郁郎は麻紐のロールを何個か重ねて持ち上げ、祖父について納屋に入った。  二人ともそんなに喋る方じゃない。黙々とあるべきところに物を置いてゆく。  ふと、郁郎は祖父なら知っているのではないかと思った。 「あのさ、学校行くまでの交差点で……学校行かない方の道って先になんかあったっけ」 「岬の方か」 「うん」  祖父は微笑を浮かべた。なにか懐かしいものでも思い出したかのような表情だった。 「あっちはなぁ、お金持ちの別荘があったな」 「へぇーそうなんだ。知らなかった」 「まぁ町はずれだからなぁ。用事なんてねぇし。海のそばで空気がいいからって、体の弱いお嬢様が召使と一緒にしばらく住んでたよ」  召使なんていつの時代の話だろう。 「そのお嬢様は元気になった?」 「いなくなったから治ったんだろうよ」 「ふーん。……よかったね」 「ああ、そうだな」  会話はそれで途切れ、二人は作業へ戻っていった。

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