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6 母性の強い男

 郁郎は自転車に乗って丘を下った。  午前中は祖父について畑に出て、申し訳程度に手伝いをしながら時間をつぶし、昼からは散髪に行くという名目で家を出た。  休日に家に居ない口実を作るためではあったが、髪を切るとさっぱりした気分にはなる。天気も良く暖かな午後だった。そのままの気分でいたくて、郁郎は浜に出た。 「よぉ、いくろ」  防波堤の道を行くとすぐに安志に出会った。 「丁度良いところに来た。これ後ろに乗っけてくれよ」  と言いながら足下に置いていた段ボール箱を自転車の荷台に乗せてくる。 「なんだよそれ」 「松平さんの引っ越し手伝わされてるんだよ」  松平さん、というのは松平忠利という大名みたいな名前の一つ上の先輩だ。安志とは母子寮に住む仲間でもある。  男子は中学までしか母子寮に住めないので、卒業すると引っ越さなければならないのだ。まんざら知らない人でもないが、親しいというわけでもない。引っ越しを手伝う義理は郁郎には無いはずだが、 「なんか用事でもあんの?」 「無いけど……」 「歩いていけるんだけどよ、結構重くって。さ、行こうぜ」  一応聞いてくれただけましか、と郁郎は諦めて自転車を降りた。  陽光は燦々と降り注ぎ、青い海には白い波頭が見える。絶好の引っ越し日和だ。  郁郎が自転車を押して、荷台に乗せた箱を安志が支えコンクリートの白い道を行く。 「松平さん就職できたの?」 「うん、……就職って言うんかな。なんか研修?受けて船乗れるようになるって」 「ふうん、よかったね。漁師になれないかもって言われてたのに」  母子寮の子どもたちは元々の地元民ではない方が多い。松平さんも安志と同じく小学生の時に引っ越してきた転入組だ。  決して裕福とは言えない母子寮住まいの家庭でも、今時子どもが高校進学せずに就職するというのは珍しいが、松平さんは高校に行かずに漁師になりたいと言い出した。そこで地元民ではないことと、若すぎることでどこの誰に身柄を任せたものだか一悶着あったらしい。 「人手自体はすっげー欲しかったんだってよ。誰が面倒見るかでもめただけだって」 「へぇ、そうなんだ」  郁郎はてっきり排除の方向で難色を示されていると思っていたのだが、むしろ大事に育てたいという気持ちから起きたごたごたであったようだ。  そう言われると、納得できる。業界からしてみれば欲しい人材だろう。 「あれ、そっちのは……」 「同じクラスの浦辺郁郎。見覚えあるだろ。ほい、これが最後の荷物」  郁郎がぺこっと頭を下げる横で、安志は一人で運んできたような調子で段ボール箱を荷台から降ろし縁側に置いた。 「丁度自転車乗ってきたからよ、手伝ってもらったんだ」 「おう、そうか。ありがとうな」  ぬう、と窓から顔を出した松平さんはまた背が伸びたようだった。郁郎よりも頭一つ分は大きい。安志に至っては胸の高さくらいまでしかない。肩幅も厚みもがっちりしていて、すでに大人に混ざっても遜色ない体格だった。まだこれから育つことを思えば漁師どころか海賊になれそうだ。  松平さんの引っ越し先は漁港近くの古びた一軒家だった。  海に面した縁側に続く六畳ほどの座敷には郁郎たちより小さい、多分母子寮に住む小学生たちが缶ジュースを飲んで笑い合っている。奥の台所からも話し声がするし、二階からも物音がする。たくさんの人が引っ越しを手伝っているようだ。 「ご苦労さん。あんまり冷えてねぇけどよ」  松平さんがクーラーボックスを差し出した。中には炭酸飲料、果汁ジュースにスポーツドリンク、コーヒー、お茶と色々入っている。郁郎はスポーツドリンクを、安志はジュースを取り出し、縁側に座った。松平さんもコーヒーのタブを開けてどっかり座った。 「世話になったな。まぁこれで後は母ちゃんと二人でできるわ」  縁側の軒先から道一本隔てて防波堤がある。防波堤の向こうには海が光っている。晴れた日ばかりではないから、実際住むには不便なこともあるかもしれないが、 「いいなぁ」 あたりを見回した郁郎は思わず声をもらした。こんなところで、できれば一人暮らしできたら最高だ。 「いいかぁ?結構ぼろいぜ」 「お前が言うな」  安志の軽口を松平さんがたしなめた。 「ここに住むのはいつからだっけ」 「卒業式終わってからだな」  郁郎はちょっとほっとした。安志に連れてこられたとはいえ、部外者が、一つ屋根の下に住んだ仲間の別れの日に立ち会うのは気が重い。 「卒業式か……」  ふと、松平さんが顔を曇らせた。 「お前らのクラスの転校生、狙われてるかもしれねぇぞ」 「え……」 「誰からよ」  郁郎が言葉を失う隣で、安志は目をぎょろつかせた。 「三年の、ごく一部の奴だ。あいつ目立つだろ。何でもできて、女うけがいいっていうか……それが気にいらねえって奴らが集まって卒業式の後、締めてやろうなんて話があるらしい」 「くっだらねぇ」  吐き捨てるように言ってから、安志はぐびりとジュースを飲み干した。郁郎はクラスの女子の蝶が戯れるような視線を思い出していた。 「馬鹿馬鹿しいけどよ、言っといてやれよ。お前らもちょっと気にかけといてくれ」 「はぁ?なんで俺たちが」 「俺も忙しいんだよ!それになんつーか、具体的な話じゃなくて、そーいう空気っていうかよ……」  安志が足を投げ出して悪態をついた。 「なんだよ、そんな曖昧な話。友達でもなんでもねぇのに、なんでそこまで気使ってやらなきゃいけねーんだよ。なぁ?」 「う、うん」  この前香深と喋ったことは、結局安志には言っていない。たったあれだけの会話で友達扱いもないが、やはり全く喋らなかった頃よりは親近感はある。  安志は大げさにため息をついて両手を広げた。 「花もらったからって、早速たぶらかされてやがら」  松平さんは、数日前に香深から太陽を思わせる放射状の黄色い花をもらっている。  安志の言葉に一瞬、身がすくんだ。もちろん郁郎に向かって言っているわけでもなく、大した意味はないとわかっていても。 「馬鹿、花もらったからとか、そんなんじゃなくてだな。友達じゃなくてもよ、転校してきたばっかだろ。守ってやれよ」 「しょうがねぇな……」  転校の話を持ち出されて、安志が折れた。 「でも、なんとなくだけど、あいつなら大丈夫じゃないかな」 「ああ、なんか、わかる」  安志のつぶやきに続けて郁郎が同意すると松平さんは腕組みをして身を乗り出した。 「なんだ?ああ見えて強いのか?」 「いや、そういうわけじゃないんですけど。腕力じゃなくて」 「ハートは強そうだよな」 「度胸があるのか?」  松平さんに、香深と同じ教室にいるあの変な感覚を伝えるのはなかなか難しい。頭の中には香深がサッカーをしているところが思い浮かぶ。すっと水のように人を避ける姿を言葉にまとめることはできなかった。 「度胸……うーん。一人でも平気、って感じですね。人を寄せ付けないっていうか」 「花くれるのに?」  松平さんが首をひねると、安志は勢いこんでしゃべり始めた。 「そうなんだよ。俺もさ、てっきり好かれたくてやってると思ったんだけど、なんか違うんだよ。どっから来るかもわかんねぇし、いつの間にか帰ってるし。学校の敷地以外で見たことねぇもんな。変な奴だよ」 「ああ、一回だけ学校の外で見たことあるよ」 「え、え、え。いつ?どこで?」  安志の好奇心に火がついた。余計なことを言ったと後悔したが、後の祭りだ。 「まだ転校したての時に、国道出る前の分かれ道のところで見たんだよ。それだけだよ」 「まじでか、言えよ」 「なんでお前に言わなくちゃいけないんだよ!」  松平さんが笑いながら間に入った。ごつい見かけによらず、普段は穏やかな人柄のようだ。 「まぁまぁ……じゃあ、浜に住んでないんだな」 「岬の方みたいですよ」 「岬かぁ、そういえば海から見たとき建物があったな。まぁ、いくらなんでも家まではいかねぇだろ。待ち伏せするほど恨んでるわけでもねぇだろうし」  そこまでいったら家族が黙っていないだろうし、警察沙汰だ。 「じゃあ、頼んだぜ」 「本当に一言声かけて、後は気にかける程度だぞ。やばくなったら……」 「おぅ、いざとなったら俺がいってやらあ」  松平さんは厚い胸板を拳でどんとたたいた。  松平さんはまだ片づけが残っているので、郁郎と安志は先においとますることになった。  黄色くなった日の光に照らされて郁郎は丘へ、安志は母子寮へ、分かれ道までぽってりぽってり、二人であるく。 「なんか今日は、色々巻き込んだなぁ」 「いいよ、飲み物おごってもらったし」  安志はふんと鼻をならした。 「森の件もよ、松平さんにはああ言ったけど、お前はどっちでもいいよ」  てっきり自動的に仲間に含まれていたと思っていた郁郎は思わず苦笑した。 「乗りかかった船だ。一緒にやるよ」  安志は解放されたように両腕を思い切り天に伸ばした。 「ふぁーっ!松平さんも悪い人じゃないけどよ、なんか親みてぇにうるせえんだよな」 「親って言うか、兄貴とか親分なんじゃないの」 「いやどっちかっていうと母親って感じだな」 「母親?」 「母性が強いんだよ。すぐ守るとか、守ってやれとか。自分は行かなかったくせに、高校は必ず行けとかよ。本当の母ちゃんよりよっぽど小うるさいぜ」 「いかつい母ちゃんだな」  松平さんと安志の関係は実に微笑ましい。二人の話を聞いているとだんだん身の置き所が無くなるのは、なんとも情けない気分だった。

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