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7 銃撃

 曇天の空の下、卒業式はつつがなく終了した。  香深はいつもと同じように、花を一年生の男子に贈った。  雲の上にあるはずの空を映したような小さな青い花束は、花があふれる日にあっても誇らしげに学生服の胸に咲いていた。  誰も「卒業生でもないのに」などと止めもしない。  例えとがめられたとしても香深から貰ったのだと言えば、「ああそうか」ですんでしまうだろう。  いちいち違和感を持ったり反発したりするのはもはや野暮と言ってもいいくらいだ。  そんな野暮天は、三年生の一部と、郁郎と安志だけだ。 「もう、知らんぞ」  二年生は式の後片づけを命じられて全員体育館に残った。パイプ椅子を畳みながら、安志は匙を投げるように言った。  数日前、松平さんの頼みを受けた安志は香深に注意を促した。  香深はさして驚いた様子もなく「ご忠告ありがとう」と薄ら笑いを浮かべて言葉ばかりは礼を言った。  そして、香深はなにもしなかった。  そうさせようという気は無くても、目を付けられていると言えば一番目立つ行為を控えるのではないかと郁郎も思っていたが、香深の態度は全く変わらない。  来るのかこないのかわからないものにおびえる必要もないが、どうしてもしなければならないこととも思えないのだが。  撤収作業が済んだ後は、体育館で解散となった。点呼までは取らなかったが、この時点で確かに香深はその場に居たのだ。それが、 「くそ、鞄がない」 教室に荷物を取りに戻る一瞬で消え失せた。出し抜かれた安志は悔しそうに舌打ちした。 「今だったら、追いつけるかも。帰る方向はわかってるんだし」 「そうだな。行ってみるか」  郁郎の提案に、匙を投げていたはずの安志が乗った。  松平さんの意向というよりも、こうなったら意地だ。三年生なんか関係ない。香深が相手の「何もないことを見届けるゲーム」だ。  二人はリュックをひっつかんで駆けだした。  そんなに時間差は無いはずだが、下足には香深の姿はなかった。スニーカーをつっかけて校門を飛び出し、保育園の前を通りすぎても影も形もない。  もしかしたらまっすぐ家に帰らずに買い物にでも行ってしまったかと不安になってきた矢先、香深ではない人影が見えた。二人は走るのを止めて様子をうかがった。 「ありゃあ、……楽々吹良か」 「ささふくら?」 「三年にいただろ、名字が四文字の」 「ああ、あの名字そう読むんだ」 「雑魚だな」 「雑魚なの?」  まぁ、見るたびになんと読むのか気になりつつも、わからないまま卒業してしまったのだから、印象に残ることは一つもなかったということは確かだ。  安志曰く、三年の男子には大きく分けて三つグループがあり、それぞれが重なり合うように『格』がある。楽々吹良は三番目のグループのトップだ。  松平さんは別格で一、二番目のグループのトップと友人関係で同等らしい。個人で言うと、楽々吹良は五、六番手だ。 「詳しいなぁ」 「まぁな」  郁郎はやや呆れ気味だったが、安志は褒められたと取ったようだった。 「どうする?方向は同じだけど」 「あいつらが『三年の一部』かわかんねぇけど……つけてみるか」  楽々吹良は他に二人を引き連れていた。ずんぐりとしたのとやや小柄なのと。三人ともじっと前を向いて歩いていて、郁郎と安志に尾行されていることに気がつかない。  小学校の校庭の横を通るときは遮る物が少ないのでひやひやしたが、楽々吹良たちの先に香深を見つけることができた。これで楽々吹良たちが香深を追っていることはほぼ確実になった。 「マジでこんなしょーもねーことするとはな、雑魚すぎるぜ」  安志は雑魚と断じるが、三人とも中学三年生の平均以上の体格はある。このまま学校も、浜も離れていくのには危険を感じた。 「松平さん呼びに行く?」 「しっ」  神社の境内に香深が立っていた。 「なにか、ご用ですか」  楽々吹良たちも立ち止まる。  とっさに、郁郎と安志は木陰に隠れた。 「……森香深だな」  常緑林に囲まれた境内は暗く、鳥の声一つしない静寂に包まれていた。追っていた獲物だったはずの香深が待っていたことに虚を突かれた三人のつばを飲み込む音が聞こえてきそうなくらいだった。 「はい。あなたは元三年C組出席番号六番、楽々吹良亜久阿さんですね」  静けさの合間を香深の落ち着き払った声が通っていった。 「な、なんだよ」  対照的なほど楽々吹良の声はいらいらとして甲高い。  郁郎は肘で安志をつついた。 「行こう」  松平さんを呼んではいられない。頭数だけは同じになるし、郁郎と安志が姿を見せれば楽々吹良たちもひるむはずだ。  だが、安志は動かなかった。 「……ちょっと待て」 「でも」  安志の顔に陰が落ちた。目ばかりがぎらぎら輝き、口元には笑みが浮かんだ。 「見てみたくないか?あいつがどうするか。それからでも遅くねぇだろ」  郁郎は自分でも気づかなかった内心を言い当てられた気がして、ぎくりと固まった。  香深は楽々吹良に向かって人差し指をつきだした。 「楽々吹良、という名字は珍しいですね。隣町の美杉谷集落とゆかりがあるのですか?」  郁郎には、香深が持つ見えない銃から、透明な弾丸が発射されたように見えた。 「へ?じ、じいちゃんちがあるけど……な、マジなんなんだよ」 「ほう、美杉谷の楽々吹良家は、中世以来、鉄山師の親方として職人をまとめていた名家だそうですが」 「だからなんだよ!」 「楽々吹良さんのルーツはとても興味深い。おじいさんは美杉谷の区長をされていますね。曾祖父は……」 「なんの関係があるんだよ!」  楽々吹良は顔を赤くしてますます怒りを露わにした。  その脇にいる、ずんぐりした三年生の顔色が、反比例するように白くなっていった。  声に出さずとも苦々しいとわかるような表情だ。見えない弾丸は楽々吹良ではなく、この男により深く命中している。 「僕は、転校すると地域の図書館に行くことにしています。地誌、郷土史、地方紙のバックナンバー、電話帳……読むと、その土地のことがある程度わかりますし、実際の土地や物、動植物、人を見ても興味が深まりますから。今僕が言ったことはすべて公開されていることです。誰でも知ることができる。そして僕はそれを知っています。もちろんそれ以外のことも」  香深は楽々吹良との間合いをつめながら、話しかける。 「うっせぇな!」  ついに楽々吹良の拳が飛んだ。それを香深は涼しい顔ですっとよけた。  香深は弾を装填するように、ゆっくりと楽々吹良に話しかけた。 「楽々吹良さん、あなたには、人を暴力で屈服させて、罰を受けなかったという、良くない成功体験がありますね。今やっているのはその繰り返しです」 「それがどうした。そんなの当たり前だろ、俺が強くて、そいつが弱かったんだ」  楽々吹良は笑っているつもりだろうが、顔がひきつっている。 「何故、楽々吹良さんは罰せられなかったのか。学校に属していたからです。あなたは今日、中学校を卒業し、高校にはまだ入学していない。何があなたを守るんですか?家族?地域?美杉谷のおじいさん?それともそこにいるご友人?」  楽々吹良の背後にいるやや小柄な方の手下は瞳に炎が宿ったような険しい顔になり、ぺっと足下に唾を吐いた。香深が放った弾丸は楽々吹良をかすめて、彼に当たったのだ。 「罰は、受けなければなりません。そして、僕は今まで人を許したことはない」  香深は間合いをつめて、楽々吹良の顔を薄ら笑いでねめあげた。 「それで、何のご用ですか、元三年C組出席番号六、八月十八日生まれ血液型A型の楽々吹良亜久阿さん」  香深は殴れと言わんばかりだ。完全に遊ばれている。楽々吹良は言葉もなく赤い顔からだらだらと汗を流して立ち尽くしていた。 「俺、帰るわ」  小柄な方な方が踵を返した。 「おい、待てよ」  楽々吹良が呼びかけても振り返らず、浜の方へ向かう階段を小走りに降りていった。 「森、お前……どこまで……」  ずんぐりした方は血の気のない顔で香深に何かを聞こうとして押し黙った。やはり、この男には何か――家庭か、血統に関することで――触れて欲しくないことがあるのだ。 「楽々吹良さんを落ち着かせることはできますか?二度と僕に関わらないように」  香深は何を知っているか言わない。あたかも知っているような雰囲気を出しているだけで、実際は楽々吹良に言ったことが知っていることの全てかもしれない。  男は楽々吹良をちらりと一瞥して、香深に向かい合った。 「できる」  香深はにっこりと笑った。 「では、ごきげんよう。ご卒業おめでとうございます」  勝利の笑みを浮かべたまま、香深は常緑樹の林の向こうへ消えていった。

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