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第6話
◇
シェルターは4階建てというだけでなく、土地が高いらしかった。屋上があり、遠景を望める。館内は文化センターの色が強く残っていたから、シェルターとして造られたものではないのかも知れない。
弘原海 藍 はその屋上に出て町を見渡した。一部は崩壊し、黒煙を噴き上げているところもあれば、まだ明るい時間帯にも関わらず赤々と燃えて地平線を途切れさせている地帯もあった。
いつの間にか体内で生成されていた抗体に彼も戸惑いがないわけではなかったが、空気感染もせずにこうして外に出られるのは幸運としか言いようがない。シェルターの管理人みたいな女・縁 は、感染したハムスターから入った菌によるものだと言っていた。そのハムスターは、彼女の妹みたいな不思議な服装の少女が持って行ってしまったのだから藍は訳が分からなくなってしまった。
臭い風にそよがれる。死肉の匂いを纏っている。この町にいる限りは鼻にし続けるのだろう。迂闊に外で物も干せない。シェルターの生活は、長期保存のため食べられる品の種類に限りはあるけれど、食べる量に制限はなかった。久々に腹を満たし、身を清め、服を替えて温かなベッドで眠ることができた。町の外はまだ日常の中にあるのかも知れない。このシェルターは、情報が絶たれている。ラジオもテレビもない。すぐに町の外へ出られるものかと思ったが、ワクチンも打たず微妙な感染によって抗体を得た弘原海はすぐには避難させられないらしく、このシェルターに3日ほど隔離されるという。縁 からはそう説明を受けている。「異分子」と言われたことにいくら疎外感を覚え、彼は何となく傷付いている自身に気付いて苦笑した。そして呑気な傷心を認め、俯いた。町は死んだ。シェルターに、他に避難した者たちの姿はなかった。ヤンという女と、それから彼女と瓜二つの、何か深い事情を抱えていた恐ろしく猜疑心の強い男と、気の好い高校生みたいなのの3人の、4人だけしかいない。
彼は右腕を撫でた。鎮痛剤によってほとんど感覚がない。硬く巻かれた包帯で動きに制限はあるものの、人生で初めて味わうような地獄の痛苦に比べれば不便さなど無い等しい。冷たい風も悪臭を帯びていると温度を感じる。不快な蒸れた温度を。
屋上に繋がるドアへ身を翻す。ヤンが立っている。疑心暗鬼の男の女性クローンらしいが藍はまだ、その浮世離れした彼女たちの出自にぴんと来ていない。しかし疑っているわけではなかった。多少の性差で骨格や肉付きは違うけれど双生児にしてもよく似ている。
人懐こい性格が無言のままにさせなかった。
「ヤン姐さんも、日向ぼっこっすか」
腐敗した匂いの混ざった空気は、日光消毒も間に合わない感じがする。
「いいや。お前に用がある」
「おれに?」
先に彼女のクローンなのか、彼女がクローンなのか分からない疑い深過ぎる男を知りさえしなければ、一目で惚れていたかも知れないほどの美女を藍は力強く見つめてしまった。ハムスターを連れ去った、やはり彼女たちに酷似する少女よりも背は高く、肩幅もしっかりしているが、腰は細く、腿から膝にかけての曲線が艶かしい。
弘原海には何か予想するところもなく、彼女の後をついていく。途中、宿泊スペースの横を通り、やたらと距離の近い2人を廊下側に取り付けられた窓から見てしまった。覗いたつもりがなくても見えた。彼等は2人で困難を乗り越えてきたのだろう。こういう状況下にあって依存関係になるのは仕方がない。不意に疑心に富んだ男の視線とぶつかった。人見知りをする性格なのか最初は研ぎ澄まされ過ぎていた眼差しがまだ凍てついているもののわずかながら和らいで見える。しかし藍は目を逸らした。
「どうした」
訊ねたのは前を歩くヤンだ。藍はへらへらと愛想笑いを浮かべる。
「いや、あの2人、仲良いなって思って。羨ましいっすよ、まったく」
あの男同様に興味がないのか、彼女は黙っている。
「好きなのか」
「へ?」
「三枝 様が」
「三枝様……?ああ、違うケド!仲良いっていいじゃないすか。少なくとも、おれみたいに弾かれてるよりいいっすよ」
とはいえ、弘原海から見て彼女は独りを好みそうだ。同意を求めても仕方がない。エレベーターに乗り込み、ヤンが操作するのかと思いきや、彼女は奥に入り、腕を組んだ。
「何階で?」
「1階」
横柄な態度は彼女によく似た男もそうである。弘原海は鈍感なのか温厚な気性なのか嫌な顔ひとつせず、左手の小指の関節の背でボタンを押した。まだ生きていた世間が感染だ、パンデミックだ、アウトブレイクだと騒いでいるうちから物に触らないようにしていた。その癖が出る。
「ときにお前、右利きか」
急な話題の切り替えに藍は戸惑う。
「右利きなのか」
彼女は呆れたような溜息を吐いてまた同じ問いをする。やはり彼に気分を悪くしたところはない。
「え?両利きっす。野球部だったもんで。まさかこんなところで役に立つとは思いませなんだ。ははは……」
愛想笑いを浮かべるがそれに応じる相手ではない。彼女ではないがよく似た男でそれは実証されていて、またここ数日のシェルター暮らしで彼女本人もそういう傾向にある。
エレベーターが1階に到着すると、藍は同じ指で開扉ボタンを押し続け、ヤンを先に外へ出す。文化センターの名残りらしき受付カウンターのあるエントランスへ出る。出入り口にはシャッターが降りていた。開いていたとしても見えるのははりぼてみたいな朗らかな庭で、その外には肉片と臓物、腐汁で汚れたアスファルトである。
「来い」
ぼんやりとシャッターを見て突っ立っている弘原海に痺れを切らしたヤンに急かされる。5秒と止まっていなかった。
「利き手なんて訊いてどうするんすか?心配してくだすってるんすか。元々右利きなんで、右手使えないのはちょっと不安ですケド、左手もぎこちないなりに使えるし、ここに来る前の生活と比べたら断然快適っすよ。感謝です」
彼は受付カウンターの裏に繋がるドアの前で待っているヤンに追いつく。
「おめでたいやつだな」
「それしか取り柄ないんで」
彼女は意味ありげにちらと藍の人懐こそうな目を一瞥する。
「その体内にある抗体が取り柄と言わず何と言うんだ」
「いや、でもこれは、こんな事態にならないと役に立たないじゃないすか。それに……この傷のせいで、避難できなかったんすから」
「お前の経歴を調べたが、善知鳥 工科大学の学生だそうだな。あそこから出たシャトルバスは避難先で受け入れ拒否されたそうだが」
藍は「えっ」と声を上げた。大学の友人たちが乗っている。ほんの一瞬の関わりでしかない順番を譲ってしまった子連れの家族のことまでも思い出された。
「なんでっすか?」
「得体の知れない伝染病疑いのある奴等を受け入れたいところなんてまずないさ」
「それで……?」
「その後のことは知らん」
ヤンの開いたドアを弘原海も潜る。
「どいつもこいつも冷たくないすか」
「無理もないだろう。誰もが自分とその近くの人間のことで精一杯だ。お前のその考えこそ、自惚れも甚だしい、自分本位で冷酷じゃないか」
弘原海はわずかに顔を顰める。
「守りたいものが近くに無いやつは気楽なものだ」
彼女は壁に掛けてある鍵をひとつ取った。プラスチックのタグが付いている。
「……なるほどな」
藍は悄然と俯いて、あっさりと己の非を認めた。
「お前みたいになれないって言われたコトあるんすよ。なんとなく意味、分かって来たっすわ。悪いコトしたな。おれ、自分のコトしか考えてなかったんすね。4階のあの人たちにも、感染とかすっげぇ気を遣ってたのに無理矢理付き纏っちゃって……」
ヤンは一度後ろの男を振り返ったが無言のまま放置された事務所の脇を通っていった。
「来い。すぐに止まるんじゃ無い」
ドアの真前でまたもや突っ立っている弘原海に彼女はぴしゃりと吐き捨てた。
「すんません」
「階段がある。転ぶなよ」
短い階段を降りた。塗装されずコンクリート打ちで倉庫に続くような階段と通路だった。少し唐突な感じがある。実際にそこは倉庫らしい。ひんやりとしてカビ臭い。無数の資料が並ぶラックは端に避けられ、大きくスペースが空けられている。広い台に乗った縦長の黒い袋に藍は怯えた。ガムテープが中間辺りで何重にも巻かれている。成人の平均身長かそれ以上の大きさで、横幅もまたかなりの肥満というほどでなければヒトが入れる。今にも蠢きそうな有様だ。弘原海は死体が人狼 と化す瞬間を見たことがある。
「何すかあれ」
「この前1人死んだのさ」
「ここの……職員さんすか?」
ヤンは答えない。藍も強いて答えさせるつもりはない。彼女はこの倉庫の奥にあるドアに鍵を挿し込む。しかし、あの猜疑に満ち満ちた男とは違いほっそりした手首は鍵を捻らない。ただ振り向いた。相変わらず気の強そうな、腕っ節も強そうな、だが同じ顔立ちの男体を知っていると逞しくも華奢さの際立つ美しい女だった。
「姐さん?」
美しさに異論はないが、しかし高校生みたいなのの保護に牙を剥き警戒と猜疑を怠らない恐ろしい男がちらついて、その美が自然発生的な情念に訴えるところはない。
「後ろを向け」
「は?」
「おめでたいお前のポリシーに反くか?」
彼女は嫌味たらしく口角を吊り上げる。
「いや、そんなことはないすケド……なんでかなって。怖いすよ。あの4階のお兄さんにも疑われてるんで……」
「ワタシは疑ってなんてないさ。見せたく無いものがある。目隠しをするだけだ」
「め、目隠し!なんでっすか」
「……聞きたいか?」
確認される事項ならば聞きたくなる。藍は渋い顔をした。
「為倒 しになるが、お前のためだ。黙って目隠しをしろ」
「怖いっすよ!平和だった時ならとにかく……悪く思わんでください」
女は首を捻った。
「お前が良いというのなら無理強いはしない」
「見られたくないものならすぐ忘れるっすから。目隠しは勘弁してつかぁさい」
「言ったな」
彼は一度深く頷いた。
「それなら、ワタシの一存で忘れてほしい」
ヤンは鍵を捻った。ドアを開け、中に通される。カチャカチャと軽快な音が聞こえた。何か動いている。弘原海はびくりと震えた。驚嘆は声にもならない。
コンクリート打ちの小部屋に、少年が犬みたいに繋がれていた。その顔が、4階にいる高校生みたいなのとそっくりなのである。多少、髪色とその長さに違いがある程度だ。それから顔半分が赤みを帯びて変色している。左腕の手首から先がない。
「ちょ……っと、」
「座れ」
繋がれた少年の前にはパイプ椅子が置かれていた。少年は自分のことだと思ったらしく犬の真似事をするみたいに腰を下ろした。
「何すか、どういうことすか、これ………あの子もクロ―」
喋っている途中の口を塞がれた。長い指が唇を遮る。
「橙太郎 、おいで」
弘原海は目を丸くする。名前まで同じである。許す限りヤンに近寄ろうとして鎖を鳴らしている。それでいてさらに近寄るのは彼女のほうだった。
「このお兄さんと遊びなさい。できるね」
ヤンは4階にいた男同様に、声音をほんのりと高くして少年に語りかけている。撫でられた少年はにこにこと無邪気に爛漫に、屈託なく笑っている。白痴っぽさがあった。
「ちょ、ど、どういうことすか!」
「10人目の橙太郎だ。保存されるところをワタシが引き取った」
部屋に踏み込もうとしない藍の背中を彼女は押した。パイプ椅子のほうに突き飛ばされる。
「10人目?え?なんで?」
橙太郎と呼ばれた鎖付きの少年はすぐに藍へ興味を示し、近寄ろうとする。恐ろしくなってヤンの背中に隠れた。
「噛んだりはしない。感染もしていない。利き手が使えないんだろう?」
彼女は容赦なく藍の負傷している右腕を捻り上げた。鎮痛剤は効いているが、そういう問題ではなかった。脅迫に等しい。
「姐さん!」
「だから目隠しをさせたかった」
右腕はすぐに離されたが、その直後、後ろ手で縛られる。細い紐が食い込んだ。
「なんで縛るんすか!」
「彼が怪我をさせられるのは癪だ」
とうとう弘原海はパイプ椅子へと渋々腰を下ろす。
「他に訊きたいことは?内容次第で答えてやる」
部屋の隅で彼女は腕を組んだ。
「何されるんすか、おれ」
背凭れに体重を預け、彼は悍 ましい光景から目を逸らしている。弘原海から言わせれば、知的障害と身体障害のある者に首輪を付けて監禁しているようにしか見えない。
「血液はもらったな」
「知らないっす」
「もらった。まだ気になるところがある。どこまでお前の身体にある抗体が影響するのか……」
「ちょっ、待っ…………それなら、おれ……」
利き手について訊かれた意味をここに来て理解した。セクシャルハラスメントはそういう雰囲気なく無自覚に行われていた。否、彼女からしてみればセクシャルハラスメントではなくひとつの事務的な質問だったのだろう。
「姐さんって、研究者か医者なんすか?」
「いいや」
質問コーナーは終わったとばかりに彼女は橙太郎に合図を出した。
「ちょっと待って!」
「待たない。目を瞑って好きな女のことでも考えていろ。痛い思いはさせない」
橙太郎はパイプ椅子に座る弘原海の身体に迫った。頬や顎にちゅぷちゅぷと拙く接吻する。高校生男子くらいはあるけれどぺたぺたと幼い感じのする手が藍の胸を這った。
「ヤン姐さん!」
「橙太郎」
藍は彼女を呼ぶが彼女は応えず橙太郎を呼ぶ。若干弘原海を押し退けるようにして彼は彼女の元に駆けた。抱き付いている。ヤンのほうでも柔らかく彼を受け止めた。性別の違いはあれども、この顔の組み合わせ、このシチュエーションをシェルターに辿り着く前から藍は何度も目にしている。
「いい子だ」
女のしなやかな指が日に焼けずとも少し茶毛た髪を撫でている。そういう所作もできるのかと感心してしまった。
「いつもワタシにされてること、あの人にできるな。いい子だから……橙太郎?」
彼女は橙太郎の顔に頬を寄せた。彼は彼女にもちゅっちゅと不恰好なキスをする。
「行って来なさい」
ヤンに送られ、橙太郎はふたたび藍の元にやってきた。彼の脚の間にあるパイプ椅子の座面に手を乗せ、首を伸ばす。藍は身体を竦めていた。人をバター犬みたいにしている。それも、訳の分かっていなそうな、合意の意思も取れそうにない者を。
シェルターで支給されたグレーのスウェット素材のズボンを下ろされ、藍は戦慄した。生命の危険を感じても特に反応は示さなかったし、そういう気分になるゆとりなどなかった。シェルターに来ても、ここ数日間のフラッシュバックやこれからの不安などでやはり積極的ではなかった。1週間前では信じられないほど淡白になった。活力はあるほうだと彼なりに自負はあったようだけれども。
「触らない……で、くれって…………」
脚の間の膨らみを橙太郎は片手で揉んでいたが、藍の懇願する声に顔を上げた。澄んだ目に見上げられる。
「揉まない……で、」
戻らぬ日常と比べてしまうと長いこと相手にされなかった箇所は強靭な輪郭を持ち、下着を押し上げつつある。
「っていうか、姐さん、見ないで………っ」
「悪いな、それはできない」
顔色ひとつ変えず冷めた眼差しに冷めた声は藍の知らない新たな扉の影を見せる。
下着の上からあどけない手付きで膨らみを扱かれた。がく、がく、と弘原海は腰を動かしてしまう。パイプ椅子の軋みがそれを証明し、彼は顔を真っ赤に染めた。
二枚目の布が捲られ、屹立がぶるりと大きく振れた。少年の顔面を軽く叩いていく。赤黒く充血している。雁首がなだらかに高く張り、大きく弛むような曲線を描く魁偉な作りをしていた。それを見てもヤンは顔色ひとつ変えず、橙太郎がそれを口に含む段になってやっと険しさを露わにした。
「ちょっと………待っ………」
藍は戸惑いのあまり、同じことしか口にしなくなっている。不能になったわけでもなく精神的に慎重になっていただけの、漲りを静かに狙っていた肉体は非常に素直だった。生温かく濡れて窄められた少年の口腔に快感を送られ、すぐに限界を迎えそうだった。すでに追い詰められている。むしろ逃げようなどとはしていなかった。その点に於いて飢えている身体にはできないでいる。止める材料もなかった。女と少年の存在が、彼を孤独にしない。恐ろしさと寂しさと不安を取り除かれ、久々の悦びに藍は身体を震わせた。ハイヒールの足音が近付く。口淫を施す少年は額を押さえられ、険鋒隆起したものから離させた。いつの間にか用意されていたシャーレに藍は吐精していた。恥ずかしい姿を晒している。彼は機嫌を窺うように媚びた目でヤンを見上げた。彼女の空いた手が伸び、目元を覆う。そのぞんざいながらも体温の伝わる扱われ方に悪寒に似た興奮が走り抜けた。数度に分けた迸りが治まるのを彼女は待っている。足らないのだ。まだ刺激が足らない。ヤンに届いたのか否か、目元に置かれていた手が離れる。疑い深い男の節くれて逆剥けた指と比べると嫋やかな彼女の指が射精を急かす。シャーレに残りの精が飛んでいく。粘り気を帯びて傾いたガラス面を滴っていく。
「ご苦労」
「………」
ヤンの冷たい声が降った。冷ややかな眼を追う。頭はまだぼんやりしている。
「橙太郎、ありがとう。あとは好きにしろ」
彼を置き去りにしてそういう会話があった。ろくに聞いてはいなかったが耳には入っている。
「お姉ちゃ」
橙太郎はヤンの服を引っ張った。喋れたらしかった。弘原海は解放感と物足りなさの狭間を泳いでいたが、あの高校生みたいなのの声に意識の焦点が合った。
「橙太郎」
今頃4階にいる2人組みたいにこちらの1組も互いの世界に入ってしまった。橙太郎は服を脱ぎ始めた。監禁されているわけではないのか、桃太郎と同じように鍛えられた身体をしている。幼い仕草や表情や雰囲気と成長期を終えて鍛える段階に入っている肉付きに異様なギャップがある。
「弘原海」
「は、はい……」
ぼけっとしていた弘原海は中学生みたいなのから目を離す。
「可愛がってあげてほしい。傷付けるな」
彼女のこの言葉の意味が分かりかねた。橙太郎は藍の座る上に腰を下ろす。ずん……とした重みに一瞬記憶を飛ばした。軋りと敏感な場所を覆う熱に、記憶だけでなく息も脈も一拍か二拍飛ばしていた。目の前には鬱血痕の散る鎖骨や肩があり、少し汗ばんだ手が藍の胸板にかかる。彼も日頃から身体を鍛えていた。女の乳房みたいに、しかし平たく横へ陰を落とす立派な胸筋に子供みたいな掌が沈む。元恋人たちにも興味本位で散々に撫で回され学習したほんのりとした官能が曖昧な胸から腹へ下降していく。だがそこは多くの女の胸とは違って柔らかくはなく、むしろ硬かった。だというのに子供みたいな手は乳を搾り取る子猫みたいに藍の逞しい胸筋を踏むように揉んだ。
「ね、姐さん……この子は………っ、」
根元まできつい輪を嵌められているみたいだった。先端部までは生温かく、襞状のものが戦 ぐ。何をされているか分からないはずがないのに弘原海はあまりの唐突さに分かろうとすることをやめてしまった。呼び止められたヤンはシャーレの中の体液を覗き込んでいる。改めて彼は猛烈な羞恥に襲われた。それは別のアウトプットに置換され、どくりと締められた箇所を疼かせる。
「おっき…………ゃら、」
胸板で遊んでいる子供みたいなのは藍の身体に倒れ込む。手のない丸みを帯びた腕の先が見えた。縫合の痕がみえる。先天的なものではないらしかった。
「慣らさないからだ」
ヤンはこちらを見ることもない。シャーレを傾け、粘度を確かめている。
「姐さん!」
「こういうことは初めてか」
揶揄もなく、やっと彼女は顔を上げた。傍にやってくる。藍は答え方が分からなかった。男としても子供みたいなのとしても肛門性交としても初めてである。いつでも相手は恋人関係にあり同年代の女で尻は使わない。
「橙太郎、おいで」
ヤンに背を向ける体位のまま橙太郎は首を横に振る。
「する」
「するのか。痛いんじゃないか」
「する」
何故日常からそういう喋り方をしないのだろうかと不満を漏らしたくなるほどヤンの声音は優しかった。猜疑心の強い男も然り。
「弘原海」
「へ、へい……」
「頼む」
「だ、だって子供じゃないすか!おれ、そういうシュミは……」
シャーレを袋に収めてしまった彼女は橙太郎の両腋に腕を滑らせ、胸を触った。
「ぁう、あぅぅ!」
藍の見てきた女たちのものよりは小さいが、自身と比べると少し膨れた感じのある粒を女の長い指が捏ねる。橙太郎は眉を下げ、目を眇める。結合した場所が柔らかく、弘原海を引き絞る。
「これでも21歳想定なんだがな」
「ぁっ、ぁうっん!」
双芽を繰る指先で爪が輝くのが艶かしい。
「ちょ、これ、待っ……!待って、21て、」
「お前ともあの御方とも同い年だ。一応のところはな。ワタシも縁 も彼 も。それが、橙太郎を三枝様たらしめない原因なのかも知れない」
ヤンは喘ぐ男2人を前に、相変わらずの冷ややかな語り口だった。奥へ締め上げられ、柔肉に扱かれる藍はろくすっぽ話を聞けていない。胸を嬲られ接合した場所を収縮させるたびにぶるぶる震える橙太郎もおそらく彼女の話を聞いていない。
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