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第四章 青⑤
碧志はゆっくりと祈に近づくと、彼のズボンをぎゅっと強く握った。布越しであるにも関わらず、碧志の手が氷のように冷たいことが、祈には分かった。
「イノリはさ……ふだん、車のる?」
「車? いや、乗んねぇな。免許も持ってないし」
「……僕が七歳になるたんじょうびにね、山にドライブにいったんだ」
祈は黙って、少年の話に耳を傾けた。
「でもね、帰り道にね、途中でくるまがこわれて、ブレーキが効かなくなっちゃって……どんどんスピードがあがってってね。最後、カーブ……のところで」
それ以上、碧志は何も喋らなくなった。石のように固まったまま、祈のズボンを掴んでいる。
――祈は、思い出していた。何となく、記憶にある――ニュースでもかなり大々的に取り上げられていた。三年前、山にドライブに行っていた家族――確か、父親、母親、子供の三人――の車が、下りの道でブレーキが突如効かなくなり、カーブを曲がり切れず、車ごと山の崖に落下した。父親と母親は即死。子供はカーブを突っ切ったときの衝撃で車の外へと投げ出され、木の枝に引っかかり、奇跡的に生還した。
頭の片隅で思い出した記憶と、今目の前にいる少年を見比べた。そうか、あの事故で生き残ったのは――
しばらくの間、二人は何も言わなかった。静まり返った和室に、ひぐらしの、別れを告げるような寂しげな声だけが響いていた。
――あの日も、夏だった。こんなふうに、夕暮れ時、ひぐらしの鳴き声を聞きながら、自分の部屋で、窓の外を眺めて――ただじっと、夜になるのを待っていた。
少年は、三年前の記憶を、想起していた。ただじっと、青年のズボンを握りながら――
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