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第五章 必然①
「――やめて! 死にたくない!」
――母の金切り声が、碧志の記憶の最後だった。
母は美しい容姿の持ち主だった。彼女もそれをこの世の誰よりも自覚していた。そして、その魅力をより引き立てるような色っぽい仕草や表情、彼女を目にした誰もが、思わずうっとりと見惚れるような、爪の先まで意識を込めた美の立ち振る舞いを、子供である碧志の前ですら、崩さなかった。すらりと細く伸びた脚、性を連想させるきゅっとくびれた腰回りと、マシュマロのように柔らかく豊満な胸元。くるりとかわいらしくカールされた艶のある茶髪の中央におさまる、なによりの美貌は、いったい今までどれだけたくさんの男を、惹きつけてやまなかっただろうか。
一方で、父は物静かな人だった。母の口からマシンガンの銃弾のように延々と吐き出される主張やわがままを、彼は、特に抵抗することなく、そのまま受け入れ、彼女の望みを裏からせっせと叶えてやった。そして、父はそんな母に振り回されるのを、どこか楽しんでいるようにすら、見えた。
碧志の家庭は裕福だった。父が金属部品を扱う工場で、会社の代表取締役を務めていたからだ。母はよくハイブランドの派手な色合いのバッグを購入しては、幼い碧志に見せびらかせていた。父は黙々と――ときに大胆に、会社の舵取りをしながら、妻と一人息子である碧志の生活を潤わせてくれた。
しかし三年前、碧志が小学校に入学した直後、父の会社が突如経営不振に陥った。それまで裕福だった碧志の生活は一変した。高い入学金を払った私立の小学校から地元の公立学校に転校し、家では、父と母の喧嘩が止まなくなった。学校から帰ると、リビングで言い争う声が聞こえるのが日常になった。父はみるみるうちに生気を失い、母は毎晩泣き崩れていた。資金繰りはうまくいかず、頼れる人間もいない。人員削減のため社員を解雇していき、最終的には、十億というひとりの人間が一生かけても返すことが不可能な地獄のような借金と空っぽの工場だけが残った。そのうち、生命保険、だとか、遺族年金、だとかいう言葉が、二人の間で交わされるようになり、碧志はひとり、恐ろしくなった。いったいこの家は――家族は、どうなってしまうのだろう。
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