72 / 180
第九章 現実と真実⑰
――と、そこへ、例の男女カップルが寄り添うように、祈の元へおずおずとやってきた。
「あの、先程はありがとうございました」
男が深々と頭を下げる。
「いえ。お二人に怪我がなくてよかったです」
女は、震えていた。その瞳に、涙を浮かべている。激情して自分に襲いかかる彼女が、よほど、怖かったのだろう。
男がそんな女を慰めるように、彼女の背中に手を回している。
女は、肩を縮めながら、小さく謝罪した。「すみません……あたし、あたし……っ」
祈は静かに、女に告げる。「無理は、しないでください。ただ――」
そして、二人に向けて、言った。
「ちゃんと、彼女と向き合ってあげてください」
彼女は、きっと、とても幸せだったのだろう。大切な、愛する人と、めでたく結ばれて、この先もずっと、この幸せが続くと、信じて疑わなかったはずだ。だからこそ、目の前にいる彼らに裏切られて、あんなに怒り狂ったのだ。
「彼女から逃げないでください。あやふやにしないで――ちゃんと、伝えてあげてほしい」
感情の焦点がずれてしまったあの彼女は――自分を大切にする方法を、自分を幸せにする生き方を、まだ、その手に掴めていないだけだ。そのピントが合えば、きっとまた、前を向けるはずだ。そしていつか必ず、愛する誰かに、ふたたび、巡り会えるはずだ。
祈は、男の目を見た。
「あなたが、ちゃんと、悪者になってあげてください。そうしたら、きっと、彼女も気が済むはずです」
最後にまた、大きく頭を下げて、彼らは帰っていった。
隣に立つ碧志が、祈の手をぎゅっと掴んだ。
「……イノリ」
「悪かったな、中断して」
「ううん、だいじょうぶだよ」
碧志も、幼い彼なりに何かを感じ取ったのか、あの二人の前では一言も喋らなかった。
祈は、碧志の手を握り返した。「じゃ、行くか」
「うん!」
ともだちにシェアしよう!