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第十章 宝物②

「碧志くん、いつにも増して今日はとっても楽しそうです」 「そうですか」と、祈は言った。「あいつ、普段からあんなはしゃいでうるさい感じなんですか?」  すると職員は、口元に苦笑ともいえぬ、難しい表情を浮かべた。 「あんな風にしっかり明るくなったのは、本当にここ最近なんですよ」  祈は、少年が自分に向ける、まっすぐな笑顔を思い出した。 「うちの施設には、親が死別していたり、外からの介入が必要なほどに家庭環境に深刻な問題がある……そんな子供たちが集まってるんです。皆、それぞれ違った事情を抱えてる。でも、やっぱりその中でも碧志くんはちょっと特殊で」  ――碧志には両親がいない。三年前に交通事故で亡くなっている。それも、ただの事故ではない。ニュースに興味のない、ただの一般人の祈でさえも記憶に残っているほどの――残酷な出来事だった。 「碧志くんは、表面上はごくごくふつうに見えるけど……私たち職員にも、他の子供たちにも、心のどこかで一線を引いているような感じがしました。きっと、彼なりの生きる術……というか、防御、みたいなものだと思います。とても、悲惨な事故だったから」 『――僕、親、いないよ』  彼の、何も映さない空洞のような真っ黒な瞳を、思い出す。 「でも、それが最近は、変わったんです。八月に入ったぐらいの頃から、少しずつ――余所行きではなく、本心の、心からの笑顔を見せてくれるようになりました。彼の子供らしい一面がようやく見えるようになって、施設の職員みんなで、本当によかったねって泣いちゃったぐらい」  ふふ、と職員は微笑む。 「毎日毎日イノリがね、イノリがねって、彼が本当に楽しそうに話すから、きっと碧志くんの心を開いてくれたのは、そのイノリって人なんだろうなぁって、すぐ分かりました」  職員の嬉しそうな横顔を、祈は黙って見つめる。 「――だから、今日、祈さんに来ていただいて本当に嬉しくて。ありがとうございます。碧志くんを――救ってくれて」  職員が深々と頭を下げた。心なしか、その感謝の声や、彼女の細い肩さえも、震えているような気がする。日々、職員である彼女たちがどれだけ碧志を気にかけ、一心に愛情を注いでくれているのかが、よく分かった。  碧志はきっと――自分のことを孤独だと思っている。そして、それは、間違いではない。あんな残酷な事故を、ひとりの子供が抱えて生きていくには、重すぎることだ。心を閉ざしてしまうことも、目の前の人間に一線を引いてしまうのも、間違いではない。間違いではないが――それだけじゃない。こうして、碧志を想ってくれている人が、実は、彼の周りにはたくさんいる。今の碧志にはきっと、分からないだろう。でも、いつか、気付いてほしい。彼が――自分は、一人ではないということに。 「……これからも、あいつのこと、よろしくお願いします」  祈は、そう、答えた。彼女たち職員に、彼の未来を託したいと、強く、思った。

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