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第十二章 約束⑤

 家に戻ると、祈は和室でひとり、原稿用紙を取り出して、じっと紙の表面を眺めた。  ――ずっと、書けなかった、三年間。分からなかった、小説を書く意義が、自分が生きている意味が――  祈の握り拳に、思わず、力がこもる。  ――いいや、違う。三年じゃない。もうずっと前から――母親を亡くしてから、ずっとだ。六歳のあの日、暗い和室で母の変わり果てた姿を目にしたときから――ずっと、先の見えぬ真っ暗闇なトンネルの中をひとり、彷徨い、歩いているような感覚だった。  施設でひとり、今が朝なのか夜なのか分からないほどに部屋に閉じこもっていた日々。自分が生み出した小説が芥川賞を取ったことをきっかけに、世間や大人に振り回される日々。十五歳、施設を出てこの部屋で――ひとり、過ごしてきた日々。  ――けれど、今は違う。 『イノリ!』  気付けば『彼』が、いた。名も知らぬ『彼』を、本屋で引き止めた一ヶ月前のあの日から――長い間、祈の止まっていた時間が、ようやく、ようやく――少しずつ、けれど確実に――動き出したのだ。  ――今なら、分かる。分かる気がするのだ。ずっと、分かりそうで、分かりかけて――でも分かりきれなかった、掴みきれなかった、自分という人間の――そして、自らの人生が存在する――その意味と理由が。  それを教えてくれたのは――  祈はデッサンで使っていた鉛筆を手に取ると、カッターでその先を丁寧に尖らせ、原稿用紙の一マス目に、そっと、文字を書き込んだ。

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