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第十三章 八月三十一日⑬
「……っ、すごい、重いね」
封筒の中には、原稿用紙が二百枚近く入っている。碧志に会わなかった今日までの六日間で、祈が一気に書き上げた、三年ぶりの新たな小説だ。
「……僕、これ、読んじゃだめ?」
ちらりと、祈の様子を伺うように、上目遣いで碧志が尋ねる。
「――だめだ。そもそもお前、まだなんだかんだ、『青』読み終わってないだろ」
「え、うん……」
「ちゃんと、全部読んでこい。新しいのは、それからだ。それに――」
祈は、茶封筒を、つん、と指差した。
「これは、まだ、完成じゃない」
そうなの? と、碧志は首を傾げる。祈は頷く。
六日前――スマホショップを出た祈は、出版社に公衆電話で連絡をした。
『すみません。携帯電話が諸事情で一週間ほど使えなくなってしまいまして――はい、あとそれと、新しく作品を書き下ろす予定なので、受け取りと、内容確認のほう、よろしくお願いします――』
祈のそんな報告に、分かりました、と担当編集者はしっかりとした口調で答えた。思えば、スランプで三年も筆を執れない自分に、何か急かすような言葉をかけたり、無理やり書かせようとしたり、はたまたプレッシャーをかけたり、空回りな提案をすることなど、ただの一度も、なかった。彼はずっと、辛抱強く、ただただ、待ち続けてくれたのだ。
祈が再び、小説を書ける日が来るのを、誰よりも待ちわびていたのは、もしかしたら――祈自身でもなく、ヨルのファンでもなく――あの、担当編集者だったのかもしれない。
「これから他の人にチェックしてもらって、色々手直ししなきゃいけないんだ」
「……本をつくるのって、たいへんなんだね」
「そうだ。だから、まだ、お前には見せられない。でも――」
――そう遠くない未来だ。それまで、待っててもらうのだ。彼には、自分が生み出した物語を、誰より早くに、見せてやりたいから。
「ちゃんと完成したら、お前にまず一番最初に読ませてやる」
「ほんとう!?」
「あぁ、だから『青』は、ちゃんと最後まで読め。んで、それ、しっかりポストに入れてこい。いいな?」
「うん! 分かった!」
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