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第十三章 八月三十一日⑮
――碧志が去り、再びひとりきりになった和室で、祈は片付けを始めた。机を拭き、床を掃除し、壁に貼ってある色とりどりの飾りを外し、そして――碧志が選んでくれた、海色のカレンダーを手に取る。
『来年はイノリとこんなきれいな海に行きたいなぁって!』
祈はくすりと笑みをこぼす。そして既に貼ってあるカレンダーの前に近づいた。八月三十一日の日付に、マジックペンで斜線を引くと、八月のカレンダーを壁から外した。
「……」
あと、たったの一枚だった。この一枚――この一ヶ月さえ、過ぎるのを待てば、自分はこの世界から抜け出せるのだと――信じて疑わなかった。少し前の、自分。
八月のカレンダーをくしゃりと丸めると、ゴミ箱に捨て――そして、新しい九月のカレンダーを、壁に貼り付ける。九月一日のところには、赤い丸がついている。さきほど碧志が書き込んだものだ。祈はその日付をじっと見つめながら、そっと、指先で触れた――
――コンコン、と控えめなノックの音。
祈は、無言で、正面の玄関へ顔を向ける。
――碧志。
きっとあいつのことだ、帰り道にやっぱり寂しくなって、暗くなる前に急いでこっちに戻ってきたんだろう。しょうがない。今日は施設まで一緒に帰ってやるか――
疑いもせず、祈はドアノブに手をかけた。鈍い音を立て、ゆっくりと玄関先の景色が広がってゆく――
――途端、視界が二重に、揺れた。腹に衝撃が走った。崩れ落ちるように、身体が地面へと引っ張られてゆく。気が付いた時、祈の鼻先には玄関の床があった。
霞む視界の中、祈はじくじくと痛む腹を押さえながら、必死に見上げた。碧志ではない――そこには、自分を冷たい目線で見下ろし、包丁を手にするひとりの男が立っていた。
――誰だ?
男の瞳と、視線がかち合う。祈は直感した。
それは、一ヶ月前、深夜のコンビニの駐車場で、暗闇の中、ほんの一瞬、視線が合った男の目そのものだった。そして――
「ふ、くもと……っ」
そしてそれは――十三歳、芥川賞受賞の記者会見で、自分の隣に座っていた男――福本だった。
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