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第十五章 使命⑤

 祈は、福本の耳元に口を寄せた。 「――怖いか? 人を殺すってのは」  微笑みながら、そう、囁く。  福本の喉が、ひゅっと、縮こまる。 「ははっ、でも、違うか。お前がこの世で一番恐ろしいのは、お前の脳みそが貧相だってことが世の中にバレちまうことだもんな」  間近に見える福本の眼孔が、その根底から揺らぐように見開かれ、がたがたと乱れ、震え出す。 「くくっ……それに比べたら、人殺しなんて、どうってことないよな? なぁ、そうだよな? だから――お前は俺を殺しに来たんだもんな? 自ら勝手に濡れ衣を着込んで、自分自身の愚かさをどうにかして隠蔽するために、包丁一本で、俺を殺しに来たんだもんな?」  祈は、冷ややかな目線を向け、言い放った。 「……お前は、可哀想な自分を守るためなら他人を殺せる人間だ」  そうだろ? と、祈が問う。そのまま、続ける。 「世の中にそういう信念を持って行動できる人間はそういない。ククッ、尊敬するよ、俺は――お前のような、自己中心的で愚かで幼稚でこの世の誰よりも醜くて貧相な人間を」  祈は、福本の髪を乱暴に掴んだ。その血走る碧眼に怒りを込めながら――顔を顰める福本を焚きつける。 「――さぁ、どうするんだ? 俺を殺すんだろ? 不幸な自分を守りたいんだろ? 可愛くて可愛くてしょうがない、籠の中の鳥の自分をさ! ほら、殺してみろよ? 今のままじゃ、殺人じゃなくて殺人未遂になるぞ!」  祈は、福本の包丁を持つ腕に自分の手を重ね、包丁を自らの方へと動かそうとする。けれど、福本は、動揺で怯えているのか、柄を握る手を、その場所から動かそうとしない。  ――力が、拮抗する。ぐらぐらと、ゆらゆらと。  そして――福本がパッと突然、腕を離した。溜まっていた力の勢いで、祈は背中を床に打ち付け、畳の上に激しく倒れ込んだ。福本は、がくがくと震えて、自らの赤く染まった手と、祈の腹に刺さっている包丁を交互に見やる。 「あっ、ひっ……ひいッ!?」  そして何か喚きながら、逃げるように部屋を飛び出していった。

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