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第十六章 碧色の涙③
――そこには、一丁の拳銃が、あった。
もちろん、祈のものはでない。祈の前に住んでいた人間の所有物であろう。ここに住み始めてから、初めて部屋の大掃除をしたときに発見してしまった。とんだ置き土産だ。老爺は、こういうワケアリな人間さえも、入れてしまうのだろう。きっと。
黒い拳銃と、視線がかち合う。その充血した碧眼で、祈はしばらくの間、じっと拳銃を眺めていた。弾は、一発のみ。
――蘇る。過去の記憶。
ガリガリに痩せ細った、母親の後ろ姿。学校から帰ってきた、暗い和室。一歩足を踏み入れる。ひやりと、冷たい床。最初、足元が見えた。うつ伏せで倒れていた。ぴくりとも動かない、母親の身体。そばに落ちている、切れたロープ。青白い彼女の手に握られていた、血まみれの十字架。幼い自分は、冷静に悟った。すぐさま救急車を呼び警察に連絡をした――
――施設に引き取られた。他の児童とも、職員とも、誰とも、喋らなかった。口を閉ざし、自分の部屋にこもって毎日を過ごした。画用紙を手に、一日中、絵を描いて過ごした。もういなくなった母の、彼女の似顔絵を何枚も、何十枚も、狂ったように、描いた。
――そんなある日、祈の前にひとりの少女が現れた。少女は自分の悩みを祈に打ち明けた。彼女は日々の中で自分だけが感じる孤独や虚無や絶望を、祈に教えてくれた。祈は少女が話すがままを文字にして書き留めた。少女は悩み、苦しんでいるようだった。しかし、彼女の話を最後まで聞くと、少女は微笑んだ。その表情を見て、少女は幸せだったのだ――と、祈はようやく悟った。最後まで自分の話を聞いてくれたことに安堵したのか、すべてを話し終えると少女は消えた。祈は、少女の話を書き留めたものを最初から読み直し、分かりにくい箇所は修正して、ようやく完成させたものを、出版社に送った。それが『青』だった。
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