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第十六章 碧色の涙⑧
彼が本当に孤独な人間だと知ったとき――どうしたらいいのか、少しだけ、分からなくなった。過去の自分を――一瞬だけ、思い出した。
それでも、彼は毎日毎日飽きずに、自分に会いにやってきた。次第に、諦めた。抗うことを放棄した。そうしたら、彼はみるみるうちに調子に乗り始めた。目をキラキラさせて、世の中の色んなものを見つめていた。その純真さが、あまりにも眩しくて、息苦しくて――目を逸らしたかった。けれど気付けば、自分の腕の中で、すやすやと心地よさそうに眠る彼がいた。
そしていつしか――孤独な彼を抱き締めている自分がいた。優しい彼の笑顔を見たいと思う自分がいた。彼のために全速力で駆ける自分がいた。母親が死んで以来――はじめて、心の底から笑う自分がいた。
『っ、イノリはさびしくないの?』
涙ぐみながら、自分を見上げる彼に――答えられなかった。言ってしまったら、きっともう二度と――彼を、手放せなくなってしまうから。
あの小さな身体を、ずっとずっと、抱き締めていたい。いつまででも――くだらない、なんでもない会話をしながら、ふたりで笑っていたい。安物のスイカを、心底美味しそうに頬張る彼を、ずっと、近くで眺めていたい。彼の柔らかな黒髪を、くしゃくしゃと掻き撫でたい。
『――イノリ!』
自分に大きく笑いかける、ひとりの少年の姿が、今、祈の視界にはっきりと映った。祈は思わず、左手を伸ばした。たとえそこに誰もいないことが分かっていても――今、彼の身体を抱き締めたかった。今、彼の身体に、触れたかった。その確固たる願望の濁流が、祈の体内へ一気に流れ込み、彼の全身は、痙攣し、悶え震えていた。
「……碧、志」
心の底から願ってしまう――この世の誰よりも、お前と、ずっと、一緒に、いたい。
祈の左手は、空を掴み――そして、ゆっくりと床に落ちた。
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