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07.

 その翌日、いつもの時間にcharmeへと足を運んだ。いつものように明るいカエデさんに出迎えられ、いつもの席に腰を下ろした。無意識に店内を見渡してしまったが、彼はどこにもいなかった。 「決めたのね」 「…うん、けど…」 「大丈夫よ。彼なら、きっと来る気がするの」  なんとなく酒を飲む気はしなくて、頼んだノンアルカクテルで口を濡らしていた。不思議とカエデさんの言葉が信用できるのは、初めて会った時からだった。  平日にも関わらず、相変わらずテーブル席は埋まっていて、騒がしくない程度に賑わっている。三十分程が経った頃だった。カランと小気味良い音を立てて店内に入ってきたのは、彼だった。 「…橘さん」  彼は俺を見て瞳を揺らした後、迷わず俺に近付いた。 「阿澄くん…良かった、もう一度君に会いたかったんだ」 「…あの、すみません。あの時は…」 「いいんだ。それより、君に無理をさせてしまったんじゃなかと思って。本当に悪かった」  隣に座った彼は、そう頭を下げた。謝られるなんて柄じゃないし、正直困る。少なくとも今まで関わってきた人間の中には、彼のような男はいなかったと言える。 「ちゃんと話がしたかったんだ」 「…俺も、です」  場の空気を読んだカエデさんは橘さんに酒を提供して奥に入っていった。上手く言葉が出てこなくて、ほんの少し手が震えていたかもしれない。 「本当は、ここに来るのは初めてじゃないんだ」 「…え、」 「一ヶ月前くらいからかな。仕事帰りになんとなく立ち寄ったんだが、雰囲気も良くて気に入ったんだ。それから通い始めてすぐだったよ。カウンター席で一人、酒を飲む君が妙に気になって、気付けば目で追っていたんだ」  聞かされる予想外の事実に、思わず言葉を失った。 「毎日、ここに来る度に君を探していたよ。なかなか話しかける勇気がなくて、思い切ったのがあの日だったんだ。けど駄目だった。話せば惹かれていくばかりで、あんな流れになってしまった事、本当に申し訳ないと思ってる」  なんて律儀な人なんだろう。深く考えなくても、彼が誠実な人だという事はわかる。 「けど後悔はしていないんだ。数日顔を見ないだけで痛い程自覚したよ。…俺はもう、君の事がこんなにも好きなんだ」 「…っ、」  恥ずかしさから俯いていた顔に彼の手が伸びる。抵抗はせず、頬に伸びてきた手を素直に受け入れる。大きくて安心する手だ。 「…聞かせてくれるかな、君の話を」  頬に掛かる髪を優しい手付きで耳に掛けられる。鏡を見なくたって自分の顔が赤くなっているとわかる程には、体温が上昇していた。俺は息を呑んで、小さく深呼吸をすると口を開いた。 「…昨日、誰といたんですか?」 「昨日?」  時間と居酒屋の名前を告げると、彼は理解したように微笑んだ。 「驚いた、まさか君もあの場にいたなんてね」 「…大学の友人達と飲んでたんです」 「そうだったんだ。実は昨日妹の誕生日でね、ワインが豊富なあの居酒屋で食事をしてたんだよ」 「じゃあ…昨日の女性は妹さん?」 「ああ、そうだよ」  恥ずかしい。一人で勝手に妄想して、挙句付き合ってもいない相手に嫉妬なんかして。今すぐ逃げ出してしまいたかったが、彼に手を握られてしまった。全く不快ではないが、やたら距離が近いというか、スキンシップが多い人だ。 「嬉しいな、もしかして嫉妬してくれた?」 「…違います」  顔を覗き込んで来る彼から逃げるように顔を逸らした。 「けど、俺も橘さんと同じ気持ちです」  店内に流れるBGMも、客の声も聞こえないくらい緊張していた。 「…それって、俺の都合の良いように解釈していいのかな」  小さく頷くと、彼はこの上なく嬉しそうに微笑んだ。 「順番は逆になってしまったけど、もう一度やり直させてくれないかな。俺と付き合ってほしい」  指を絡めて握り締められる。そんな小さな触れ合いにでさえ胸が高鳴って、もっと好きだと自覚する。面と向かって想いを告げられるなんて初めての事で、嬉しくてたまらなかった。 「俺でいいんですか…?」 「君以外考えられないよ」  好きな人と思いが通じ合う事が、こんなに嬉しい事だなんて知らなかった。頼んでいたカシスソーダは、少しも減らないまま温くなってしまっていた。

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