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第4話 6月25日 13:30 開幕

 公演初日、開演30分前。  会場直前のロビーは物販に並ぶ人や開場待ちの人の列が溢れていた。  俺はその人混みの中に隠れるようにして、静かにその時を待っていた。  今にも、“あいつ”が来るんじゃないか――そう考え、その瞬間から少しでも身を隠すようにして。  しかしすぐその予想は外れ、俺はほっと息をつく。  喧騒の中に聞き覚えのある、そしてよく通る低い声が響いた。 「本日は劇団『響演』第10回公演にようこそいらっしゃいました!」  それは響の声だった。  受付に立った響は劇団仕様のジャージを見に纏っていたものの、それだけで絵になる程堂々とした出で立ち。 「今回主演を務めさせていただきます八王子響が劇団を代表してお礼を言わせていただきます」  一礼しつつ周囲に響かせた挨拶と同時に、歓声や黄色い声がロビーに響く。  公演初日ということで、看板役者自ら挨拶の役目を担っているんだろう。  良かった、あいつじゃなかった……  ほっとしながら、それでもこそりと響の方を覗いてみれば、余多の声に包まれながら微塵も気圧されることなく笑顔を周囲にふりまいている。  常日頃の優雅さをそのままに、やや演技がかった王子らしさも付け足され、完璧な主役っぷりだ。  その様子は昨夜、そして今朝見せた王子の顔そのままで――  そこには、朝、目玉焼きを失敗したのがバレた時の慌てた顔は微塵もなかった。  ふと、慌てて自分の皿を隠した時の響の顔を思い浮かべる。  それに、夜の、どこか余裕のない……いや、今はそんな場合じゃない!  そのまま昨夜俺を攻め立てた時の響の表情を連想してしまい、慌てて頭を振る。  けれども、今はそんなとりとめのない事を考えていた方が、俺にとっては都合が良かったかもしれない。  おかげで、“あいつ”のことをすっかり頭から追い払う事に成功したのだから。 「――それでは、ただ今より開場いたします!」  気付けば、響の挨拶は終わっていた。  それと同時に受付が始まり、チケットを持った客たちが流れ出す。  俺は素早くその流れに乗って、人だかりの出来ている響の前をさっとスルーし素早く受付を通り抜ける……はずだったのだが。 「あ! 信良木先輩お疲れさまです!」 「……お、お疲れ……」  目ざとく俺に気付いたスタッフが挨拶する。  見覚えのない新人のスタッフだったが、あちらは俺のことを知っているらしい。 「響さんから聞きました。具合が悪いそうですね。大丈夫ですか?」  響が上手いこと言ってくれたのだろうか。 「あ……ああ、まあ、見るくらいなら」 「そうですか? あんまり響さんに心配かけちゃいけませんよ!」  ……あいつはどんな風に俺のこと話したんだよ。  何故かスタッフにたしなめられた俺は思わず響の方に視線を向けると、響と視線が絡んだ。  スタッフの声で俺の存在に気付いてしまったらしい。  響はチケットをもぎるの手を止めぬまま、俺を見て嬉しそうに笑った。 「……くそっ」  何だかあいつの思惑通りになったようで、少しすっきりしない。  それでも、この芝居を見ないわけにはいかなかった。  座席に座ると、受付で貰ったチラシの束を確認する。  この芝居のパンフレットもあったが、ネタバレ回避のためそれは後回しにする。  俺は、なるべく事前情報は入れない派だ。  おかげで昨日もらった俺のノートもまともに読むことができなかった。  かわりにこの芝居のチラシを取り出し、よくよく眺めてみる。 『この世界に響くだけのReを』  チラシの中央に大きなタイトル。  そのバックに五線譜にリピートのマークが描かれている。  下部には小さくキャストやスタッフの名前が刷られていた。  主演、八王子 響。  演出、日辻 出流。  そしてその次に並ぶ名前。  脚本、信良木 文。 「嘘だろ……」  小さな声で、呟いた。  俺の、名前だった。  チケットにもあったから、間違いない。  脚本、って、どういうことだ。  朝、響に渡されたチケットの名前に気付いてから、俺の頭は昨夜に続く新たな混乱の中にあった。  俺が、この公演の脚本を書いたってことなのか。  全く記憶にないタイトルである以上、描き下ろしなんだろう。  ――可能性としては、なくはなかった。  何故なら以前……俺が劇団を辞める前には、劇団のための公演の脚本を書いたこともあったからだ。  けれども、心情的には信じられない。  俺は、劇団を止めたんだから。  あいつ……チラシの俺の上にある名前……演出家、日辻 出流がいたから。 「何考えてるんだ……3ヶ月間の俺」  昨日から、もう何度目かになるだろう過去の俺への呪詛が唇から零れた。  この3ヶ月の間に男と付き合ったりスマホをロックしたり、そして辞めた劇団に出戻って脚本を書いたり。  しかし……  過去の俺への恨みつらみは一旦脇に退け、チラシを眺めながら俺は腕を組んで考える。  落ち着いて考えてみれば、脚本を作って、そして芝居をゼロから創り上げるのに3ヶ月はあまりにもギリギリの期間。  3ヶ月前の俺には、そんな兆しは全くなかった。  だから、この芝居が動き始めたのは……俺が脚本を書き始めたのは、記憶の無い3ヵ月間のかなり前の方だろう。  やはり、俺と響が出会ったのがきっかけだったんだろうか。  一体、俺にどんな変化が起きたんだろう……  ブーーー。  その時、場内にベルの音が鳴り響いた。  開演1分前を告げる合図。  それと同時にざわめいていた会場は熱気だけを残して次第に音を顰めていく。  俺もまた、チラシを置くと気持ちを観劇モードに切り替え始めた。  まだまだ分からないことは多すぎる。  けれど……今この瞬間は、ある意味俺が……物を創る人間なら誰もが憧れ、そして決して手に入ることのできないひとときなのではないだろうか。  自分が創ったものを――この場合は脚本だけだけれども――記憶を失ってゼロの状態から、完全に第三者として見ることができるのだ。  それは、あまりにも魅力的な誘惑だった。  3ヶ月の謎は一旦脇に置き、俺は観劇に集中することにした。  会場全体に静かに流れていたBGMが高まり、それと同時に観客席の照明が落ちていく。  真っ暗になった会場に、響の声が響き渡った。 「俺の欠片がいくつにも千切れて四散した――」 「その時、背筋が凍えるような轟音を耳にした」  その声が聞こえた瞬間から、俺の身体に衝撃が走った。  芝居の中身は、最近よくあるタイムリープ……ループ物だった。  響が演じる主人公は、彼の身の回りのごく小さなトラブルを解決するためにループを起こす。  しかし、それは次第に大きな事件へと繋がっていく。  主人公は何度ループしても、前ループの記憶を次のループに持ち込むことができない。  ただ一つ持ち込むことが可能なもの。  それは、彼の感情だった―― 「……っ」  BGMが流れた時から、いや、主人公の最初の台詞を聞いた瞬間から、奇妙な既視感に襲われた。  俺は、これを知っている――?  しかし次第にその感覚は消え、いつの間にか物語へとのめり込んでいった。  この話は……面白い!  物語の……脚本の創り込みも細かくて面白いのだけれど、驚かされるのはその演出、演技力。  主人公は何度も同じシーンを繰り返すのだが、その時に残っている感情だけが変わるので同じ台詞でも全く別のニュアンスに聞こえてくる。  響はそれを全て完璧に演じきっていた。  もし少しでも演技がダレてしまったら、同じシーンが連続するのこの芝居は途端につまらないものになってしまうだろう。  よっぽど、主演に信頼を持てないと作れない脚本だ。  それに、演出も……  思い浮かべたくはないが、芝居を見ていると自然にあいつの顔が浮かんでくる。  最初は軽く笑い所を入れ観客の気持ちを和ませ、次の瞬間速攻で緩んだその心の中に食らいついてくる。  悔しいが、奴の演出はたしかにいつも抜きん出て面白かった。  脚本が、演出が、そして役者が、どれも素晴らしく混ざり合って予想外の化学変化を起こしていた。  それに芝居の胆に流れるBGM。  これも世界観を表現していて……そしてどこかで聞いたことのあるような、胸がいっぱいになる音楽で……  いつしか、芝居はクライマックスに。  主人公はループを抜けるためにある決断を下さなければならなくなる。  その、結末は――  芝居の結果は、割れんばかりの会場の拍手が示していた。  俺もまた、我を忘れて手を叩いていた。  良かった……ああ、そんな言葉じゃ表現できない!  物書きの一人であるにもかかわらず、思わず言葉を失ってしまっていた。  感動と興奮に包まれながら……同時に忍び寄る自分の中の暗いものを見ないように、必死で手を叩く。 (なんで……どうして俺は、あんな脚本が書けたんだ……)  気付けば舞台はカーテンコールも終わり、客席が明るくなっていた。 「……しまった!」  俺は芝居が終わったら即行で外に出て帰ろうと目論んでいた。  けれども芝居に没頭してついそれを忘れてしまっていた。  パンフとチラシを掴むと慌てて外に出る。  が、遅かった。 「ありがとうございました!」 「またよろしくお願いします!」  ロビーは興奮と黄色い声に満ち溢れていた。  先程の舞台の役者たちが並んで帰る観客たちに挨拶をしていたのだ。  先頭は当然主演の響。  その後ろにも見覚えがあったりなかったりする役者たちが並び、後方に隠れるようにして―― (……いた)  その姿を見つけた瞬間、俺はびくっと動きを止めた。  必要もないのに背中から指先まで緊張が走る。  似合わないスーツに身を包みロビーの柱にもたれ腕を組む、すらりとした……いや、痩せぎすの長身で手足が長く、ぼさりとした黒髪の男性。  厚い眼鏡の奥の渦巻くように鋭い瞳が周囲を睨みつけているようだ。  演出家、日辻 出流だった。  俺と同年だが、卒業してもそのまま劇団に所属して演出を続けていると聞いた。  それは誰にとっても頷ける事だった。  今の演出を見ても明らかなように、彼はこの劇団に必要な人間なのだから。  そして、俺は―― (要らない)  日辻から言われた言葉が脳内に蘇る。  俺は…… 「文さ……いや、先輩!」 「あ」  考えているうちに俺は人の流れに押され、そのまま出迎える響たちの前へと押し出されてしまった。  響の嬉しそうな声と笑顔が俺を迎える。 「お疲れ様でした!」 「いや、その……」  一瞬どう答えていいか分からず視線を伏せ、そのままやっと小さな声を絞り出した。 「……お疲れ」 「あ……っ」  急いでそれだけ告げる、流れをかき分け逃げるようにしてその場から立ち去ろうとする。  日辻の視界に入るよりも先に。  けれども、それは叶わなかった。 「先輩!」 「……って、おい!」  あろうことか響は客への挨拶を中断すると、俺を追いかけてきた。 「お前、見送りは……」 「すぐ戻ります」  そう告げると俺の手を掴みロビーの端に引っ張っていく。  その場所は日辻からは見えない場所だったのでそれだけはほっとしていると、響は改まった様子で俺の顔を覗き込んできた。 「それで……どうでした?」 「どうって……いや、良い芝居だった」 「……」  俺の言葉に響は顔を曇らせる。  大方、この芝居を俺が見ることによって何かの刺激を受け、記憶が戻ることでも期待していたんだろう。  そんな響の悲嘆は置いといて、俺にも聞きたいことはあった。 「何で、伏せてたんだよ? 俺がこの芝居の脚本を書いたって」 「思い出したんですか!?」  響は一瞬顔を明るく輝かせるが、すぐ次の俺の言葉に再び明度を落とす。 「いや、チケットにもチラシにも大きく書いてあっただろ」 「伏せてたわけじゃありません……が、知らない状態で見たら、何か気付いてもらえるんじゃないかと思ったんです」  響は申し訳なさそうに、しかし一歩も譲らぬほどの熱意を込め、俺に説明する。 「それに……文さんがあれだけ頑張って創り上げた結果は、絶対に見ないといけない……そう、考えて」 「……やっぱり、俺が書いたのか……」  響の言葉に、今度は俺が顔を曇らせる。 「文さん?」  響はそれに首を傾げるが、俺は唇を噛みしめたまま考え込んでいた。 「ええと……まだ、公演はあるんだろ?」 「はい。今日の夜と、明日、明後日に2回ずつ」 「まだ……チケットはあるのか?」 「はい! 今日も明日も明後日も……」 「……とりあえず今日は疲れたから、明日以降また見せてもらえないか? あ、金は、後で必ず……」 「前売りのチケットノルマがまだいっぱい残ってるので、いくら見ても大丈夫です!」  いまいち笑えない台詞を響は笑顔で言うと俺に請け負ってくれた。 「じゃ……俺は帰るわ」 「はい。お疲れさまです!」   少しでも俺の前向きな言葉が聞けてほっとしたのだろう。  響は笑顔で出迎えの列へと戻って行く。  その途中の観客にも笑顔で対応しながら。  そんな響たちに背を向け、俺は会場を出て響の家に戻った。  ひとつの決意を胸に刻みながら――

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