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第14話 4月1日 20:00 書けない……
「ううう……」
響から借りたノートパソコンの前で、俺は頭を抱えていた。
「書けない」
目の前には真っ白なテキスト。
最初の台詞の“「”を入れてから、俺は一文字もキーボードを打てないでいた。
書けない。
書けるわけがない。
やっと、未来への道筋が繋がったばかりなのに――
※※※
最初のとっかかりは響の部屋にあった。
以前、俺が見たものとはまるで別物のように様々なモノが雑多にあふれたマンションの一室。
そこで俺は、あるものを見つけ、胸を高鳴らせる。
もしかしたらこれは、ひとつのターニングポイント。
ここでフラグを立てるのに重要な発見なのかもしれない。
「響……は、音楽をやってるのか?」
「えっ?」
俺が目にしたのは、以前俺を押しつぶしたことのあるキーボード。
その他にもよく見れば音楽関係の道具や本が部屋の中に転がっていた。
俺が指差した先にある道具を見て、響は小さく微笑む。
「ええ、まあ――今はこんなに散らかっていて恥ずかしい限りですが」
「今はってことは……前は、そうでもなかったのか?」
俺は慎重に本題へと話を進めていく。
「……そうかもしれませんね」
「それは――役者を始めたから?」
「えっ?」
「もしかして響……本当は役者じゃなくて、音響とか……スタッフを希望していたんじゃないか?」
「……どうして知ってるんですか? たしか入団時、先輩はいらっしゃらなかったですよね?」
ごめん、それは、直接話を聞いたから。
驚きに目を見開く響に心の中で謝罪する。
俺は襲ってくる罪悪感と戦いながら話を続ける。
「ただ、そうかなって思ったから……実を言うと俺も、ただ脚本が書きたくて劇団に入った口だから」
「そうなんですか! 俺も実は……」
そのまま、夜遅くまで俺と響は語り明かした。
響の、芝居の音響にかける思い。
そして、初めて出会った俺の脚本への感想。
俺が文章を書き始めた理由。
ほとんど夜を徹して話し合い、俺は響のことをより深く知ることができた。
3ヶ月後の、響から初めて音響のことを聞いたときよりもずっと。
響もまた俺のことを知ってくれた。
俺はひたすら語り、響はキーボードで即興の曲を作ってくれた。
それは俺にとって本当の意味で初めての、響と共に心を合わせ過ごした一時だった。
この日俺は、かなりの前進を感じていた。
この調子でいけば、望む未来に近づくことができるかもしれない。
行先に、かなり明るい希望を持ち始めていた。
その希望の前に、大きな難関が立ちふさがっていることには気付かずに――
※※※
「信良木輩、本当に申し訳ないのですが、お願いがあるんです――」
それから数日後、俺は響からある相談を受けた。
もっとも、俺はそれを受ける前から内容は分かっていたんだけれども。
それは、響の劇団の脚本の制作依頼だった。
「今まで脚本を担当してくださっていた方が、急に都合が悪くなったんだそうです」
申し訳なさそうに語る響の話を、俺は僅かな興奮と共に聞いていた。
劇団の脚本制作。
おそらくこれは、大切なターニングポイントのひとつ。
この制作を上手く完成させることが、響の好感度を上げるためのフラグになるんだろう。
俺は、この時を待っていた。
そのために受け持っていた仕事も全て終わらせて準備万端にしておいた。
「――ですので、既に劇団を辞めていらっしゃる先輩ににこんなことをお願いするのは大変申し訳ないのですが……」
「いや、やる。むしろ頼む、やらせてくれ」
説明を続ける響の話を遮って、俺はきっぱりそう言った。
「いいんですか? 俺は是非先輩にお願いしたいと思っていたんです」
「ああ。俺も、すごくやりたい。劇団のために、世話になってる響のために――話を持ってきてくれてありがとう」
ぱっと顔を輝かせる響に素直にお礼を言う。
そして次の日、脚本の打ち合わせのために劇団の練習場に赴くことになった。
それが、俺が考えるよりもはるかに大変な困難の始まりだった。
最初の打ち合わせは驚くほどスムーズに終わった。
なにしろ、俺はもうその芝居を見ている。
日辻が要求してきた、響を中心にした制限つきループものというコンセプトをすぐに受け入れ、素案を提出してすぐにOKが出た。
「――悪くない。その線で進めよう」
日辻にしては珍しい手放しの承諾に、周囲で基本練習をしていた劇団員たちも何が起きたという表情でこちらを見ていた。
そこまでは、良かった。
しかし俺が次の案を出した途端、日辻の態度が硬化した。
「却下」
「え……っ」
俺が言葉を失っている間に、日辻は話を終わらせようとする。
「先程の案のままで作成を進めてくれ」
「ちょ……っと待てよ!」
これで話は終わりだとばかりに打ち切ろうとする日辻を慌てて捕まえる。
俺が出した案。
それは、響の作ったBGMを芝居で使用したいというものだった。
「先輩……本当に、いいんですか?」
近くで練習していた響も驚いたように俺を見る。
その瞳は心配そうではあったが、どこか期待が籠っているように俺には見えた。
だからそれに応えるように響に笑いかける。
「ああ。この間、軽く曲を作ってくれただろ? それが、俺のイメージにぴったりだったんだ。この芝居にも、絶対に合うと思うから」
「俺のイメージにはない」
響に説明する俺の後ろで日辻はばっさり切り捨てる。
「聞いてみれば分かるって! 選択肢としてどうだろうって話で」
「選ぶ気はない。俺は創り上げるだけだ」
「けど……」
「そもそも演出は俺の仕事だ。脚本は俺の意向に沿って話を練り上げる。役者は俺のイメージを舞台上に投影しる。それ以外に余計なことはするな。俺は、それ以外の仕事をお前等に期待していない」
「でも……!」
何を言っても聞き入れる様子のない日辻を前に、俺の言葉はただから回る。
ふと肩に温もりを感じて見上げれば、俺の肩に置かれた響の手に気が付いた。
響は小さく笑って俺の方を見る。
その瞳には先程のような期待の色はなく、俺を心配して諦めるように小さく笑っているだけだった。
(――いや、ここでくじけちゃ駄目だ)
今までの俺だったら、日辻にこれだけ否定されれば引いていただろう。
これ以上、自分が傷つくのを避けるためにも。
けれども今回の件は俺だけの問題じゃない。
響の音楽もかかっているんだ。
それは、多分俺と響のフラグでもあり――最終的に、響の生死を決める分岐点の一つ。
それに……俺は、響の音楽を信じてる。
「でも……この芝居をいいものにしたいという気持ちは同じだろ?」
「当然だ」
「だったら少しでもいい、見て、聞いて、良いと思う部分は取り入れて貰えないか?」
未来では、俺ががんばって響の音楽が採用されていた。
どう頑張ればいいのかなんて分からない。
だから俺はただ引かずに食い下がるしかない。
「俺は、今回の芝居のコンセプトを聞いて、確固たるイメージを持ったんだ」
「……」
日辻が聞いているのかいないのか分からない。
けれども気持ちを込めて俺は語る。
いや、大事なのは気持ちじゃない。
日辻を納得させることができるだけの、理屈。
実際、この目で見ているのだからイメージははっきりしている筈だ。
「今回の芝居、場面の展開が重要になるだろ。この世界とこの世界ならざる場所の説明に、BGMが使えると思うんだ。例えば……」
俺は必死で想定している場面とそこでの音楽の効果について言葉を尽くして説明した。
「……弱いな」
「え?」
日辻の口から出た、否定以外の台詞に思わず期待を込めて返事をする。
「話の上では多少纏まってはいるが、実際のモノがないのではなんとも言えない。脚本についても、音楽についても」
「じゃあ、完成すれば……」
「完全な完成物じゃなくても良い。脚本の素案、BGMの素案、そして脚本にはない今お前が説明した舞台上の効果について。それらを俺だけじゃなく役者、舞台監督が理解できるように明文化する必要がある」
「つまり、脚本だけでなく説明書が必要、と……」
「ただ書くだけじゃ駄目だ。お前のイメージを誰もが分かる形になるように提示しろ。でなければ意味がない」
厳しい案件ではあるが、初めて日辻から前向きな提案をもらえた。
俺はやっと見えた希望に顔を綻ばせる。
だが、日辻はそんなに甘くなかった。
「もちろん、完成物を提示したからといって、俺がそれを採用するかどうかは別だ。それを見て、初めて審議するんだから」
「審議の結果、没って可能性もあるわけか……」
つまり、作り損……
それでも、日辻の言っていることは確かにもっとももなことだった。
関係者が理解できるだけの材料を集めて説得しに来い、と。
しかしそのためには全て書き上げる必要がある。
おまけにその後没になる可能性もあるという……
「ああ、それから……」
日辻は更に追い打ちをかける。
「もし出すなら、予定の1週間前には書き上げろ。書きなおす場合も最終締切には間に合わせなければいけないからな」
「……う……」
更なる試練に俺は知らず変な声を絞り出していた。
今日は4月1日で、脚本の締切日は4月14日。
それでもギリギリな筈なのに、更に1週間前、4月7日には提出しろと言われてしまった。
あと6日で全て完成させろとか言うのは、諦めろというのと同じなんじゃないだろうか。
それでも、俺はその話を受けた。
絶対に完成させて、俺の脚本、響のBGMで公演を行わなければいけない。
そのために仕事も終わらせ次の仕事は入れずずっと準備をしてきたんだ。
そもそも脚本に至っては、一度見たものを再現するだけだ。
問題は、レポート。
脚本はすぐに完成する――
――と、思っていた。
のだ、けれども――
「ううう……」
俺は再びパソコンの前で頭を抱える。
書けない。
書けるわけが、ない。
構想自体は問題なくできていた。
何故なら俺はその芝居を見ているんだから。
細かい台詞やシーンまでほぼ完全に覚えている。
――けれども、それが仇となった。
幕が開いた時の、響の最初の台詞を思い出す。
(俺の欠片がいくつにも千切れて四散した――)
(その時、背筋が凍えるような轟音を耳にした)
「う……っ」
俺は自分の記憶に思わず頭を押さえる。
その台詞は、俺が最も思い出したくない記憶――響がトラックに跳ねられるシーン、そのままのものだった。
響の欠片がいくつもに千切れて四散する。
背筋が凍えるような轟音を耳にする。
全て、俺は見た。
俺は聞いた。
なのに……
何故、3ヶ月前の俺はこんな恐ろしい台詞を脚本にしたんだろう。
何故、そんな台詞を響に語らせたんだろう。
けれどもその台詞を抜くわけにはいかない。
それはあまりにも効果的で――それ故に、俺は書けなくなってしまっていた。
「はあ……」
何度目かのため息をついた時だった。
「すみません、先輩……大変なお願いをしてしまって」
ふいに後ろから声がした。
振り向くと、そこにはカップを持った響が立っていた。
「少し休憩でもと、お茶を持ってきたのですが……」
良い香りのするカップを机の上に置く。
「あ、わ、悪いな……」
俺が向かっているのは響の部屋にある机だった。
事故の様子見のために、暫くの間響は自分の部屋のベッドを俺に提供してくれたのだ。
その間、響はいつものようにソファーで寝ている。
部屋を借りている身でと遠慮したのだが、万が一また具合が悪くなってはいけないからと響は頑として譲らなかった。
その部屋で、俺は脚本の執筆を行っていた。
「紅茶で良かったでしょうか?」
「あ、俺はコーヒーが……いや、でもたまには紅茶もいいよな」
言いかけ、慌てて響が置いてくれたカップを取る。
「すまないな。部屋まで借りてる上に、茶まで淹れてもらって……」
俺が礼を言うと、響はとんでもないと首を振る。
「いえ、随分悩んでいらっしゃるようですね。無理に脚本をお願いした上に、俺のために更に余計な手間まで……申し訳ないと思っています」
「いやいや、響が気に病むことじゃない! 俺が好きで引き受けたんだから」
どうやら先程の俺の煩悶を見られてしまったらしい。
響は申し訳なさそうに下を向いている。
「それに、響はもう自分の仕事を終わらせたわけだし、俺ばかり手間取って……」
そう、響は既にBGMの作成を終わらせていた。
本格的なものでなくてもいいからとざっとしたイメージを伝えた所、即座に曲を作り上げてくれた。
俺が舞台で聞いたものと寸分も違わない曲を。
本当にすごいと俺は絶賛したが、響はそうでもないとどこか口籠り、謙遜するだけだった。
「言い出した俺が足を引っ張ってて本当に悪い……」
「そんなことありませんよ! 先輩は一番大変な部分を引き受けてくださっているんですから」
項垂れる俺を、響は激励する。
「しかも期日の半分で、脚本だけでなくレポートまで……」
「いや、問題はそこじゃないんだ」
必死で励ます響を見ていると、気持ちが弱っていたせいかつい本音を漏らしたくなった。
肝心な部分さえぼかせば、少しだけなら話しても大丈夫だよな。
「そうじゃなくて、だな……」
俺の前でまるで大型犬のように項垂れている響に、ゆっくり口を開いた。
「一番最初の脚本の打ち合わせ、お前も聞いてただろ?」
「はい、全体のストーリーラインを決めた部分ですね」
「ああ。それで、開幕時の一番最初の場面。これ……主人公の……主演のお前の事故死をイメージしたシーンじゃないか」
「ええ、そう聞いていましたが」
「それを書くのが、どうしても辛くてさ……」
ほんの少し、当たり障りのないことを零すつもりだった。
けれども響を前に話し出したら、ついつい深い所まで語ってしまう。
「俺……少し前に、大事な人が事故にあって……」
「え……っ」
俺の話に響は驚いたように目を見開く。
「それで、こう、事故を連想するシーンを書くのは厳しいなって……」
「そんなことが……」
響は暫く俺を見つめていたが、やがて一歩俺に歩み寄るとその手を取った。
「わ……」
「そんな大変な時に、無神経な話を持ってきてしまって申し訳ありません!」
響は酷く真摯な顔で俺に謝る。
「いや……いや、お前にそんな深刻に謝ってもらわなくってもいいから」
だって、お前がその張本人なんだから。
それにしても……こいつのこんな所は3ヶ月前から変わらないんだな。
ぎゅっと握り締められた手の温かさをどこか懐かしく感じながら、俺は口には出さず小さく苦笑する。
「あの、もしかすると……」
けれども響は握った手はそのままに、はっと何か気付いた様子で俺を見る。
「先日車に撥ねられそうになった俺を庇った時の先輩、どこか様子が変な気がしたんですが……もしかしてその事故を思い出したからなんでしょうか?」
「あ……ああ、まあ……」
ある意味、その事故そのものだったんだけどな。
やはり口にはしないまま曖昧に笑う。
「あの時の先輩はどこか必死な様子でしたが……そうだったんですね」
響は一人納得したように何度も頷いている。
「……てっきり、俺のためかと思っていましたが……」
「え?」
「いえ……本当に、すみませんでした」
何か言いかけた言葉に聞き返そうとすると、響は俺の手を握ったまま改めて深々とお辞儀をする。
「だから止めてくれよ……」
俺は困りきって手を離そうとする。
「ですが……俺は、大丈夫ですから」
「え……?」
響は手を握る力をさらに強め俺に微笑みかけると、穏やかに宣言する。
「……俺は先輩のため……いえ、先輩の脚本でなら事故も死亡も厭いません。全て完璧にこなしてみせますから、安心して任せてください」
響の言葉は本当に頼もしく、一瞬、3ヶ月後の――俺と付き合っていると言った響を思い出す。
「いくらでも、殺してください。何度だって、演じきってみせます。――俺を、信じてください」
「大丈夫、か……?」
「はい!」
笑顔で語る響の言葉を聞いているうちに、俺も次第に落ち着いてくる。
不安が晴れたわけじゃない。
けれども響が大丈夫と言ってるなら、きっと大丈夫なんだろう。
響のことは、信じられるから。
以前の“3ヶ月後”に、あれだけ響のことを信じられず一人悩んでいたのが嘘のようだ。
響自身を渦巻く事故の不安が目の前の響のおかげで晴れていくのが見えた。
俺は知っている。
こいつの芝居を、その素晴らしさを、そしてその強さを。
だから、信じよう……
大きく息を吐き出すと、パソコンのテキスト画面を見る。
今ならきっと、書けそうな気がした。
「ありがとう、響」
「いえ、俺も、脚本を楽しみにしていますから」
俺の口調が柔らかくなったことに気付いたのだろうか、響もほっとした口調でそれに応える。
その言葉を耳に、俺はゆっくりキーボードに手を伸ばした。
「俺の欠片がいくつにも千切れて四散した――」
「その時、背筋が凍えるような轟音を耳にした」
その2行を打ち終えてから、俺の両手はすごいスピードで文章を紡いでいった。
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