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第20話 6月24日 23:00 もう一度、愛してる
6月24日。
俺にとって運命の分かれ道の前日。
6月25日、響と愛し合っている最中に、俺は“3ヶ月前”の俺になった。
3ヶ月前の3月20日の俺の精神が、6月25日の俺の中に入ったのだ。
そのまま俺は3日間を過ごし、6月28日に再び3月20日へと戻る。
じゃあ、今の俺はどこに行くんだろう。
上のルート通りだと考えるなら、25日から28日の間はスキップし、28日の俺の意識が途絶えた直後に戻るんじゃないだろうか。
即ち、響が跳ねられた瞬間――
いや、だけどあれは過去の俺の行動の結果だ。
もしかしたら、俺の行動でその事実は変化しているかもしれない。
いずれにしても、出来る限りの準備をしておかなければ。
俺はスマホのパスワードを変更し、ロックをかけた。
パスワードはもちろん『HACHIOUJI HIBIKI』。
色々考えたけれども、多分これが一番良い選択だ。
あの時俺は、スマホやアプリにロックがかかって外部との情報が遮断され、結果目の前の響に頼るしかなくなった。
今回も、その状況を再現しよう。
勿論、アプリの中のファイルには最重要確認事項を入れておいた。
緊急で読むべき、響を助けろという文章。
この他にも、もし早々にアプリのパスワードが分かった時のための説明文。
今の状況と、響の危機。
俺が信じるかどうかは分からないが、パスワードが分かる頃には何も無かった俺の響への気持ちが変化していると信じて。
「……いや、やっぱり信じきれないな……」
俺は1冊のノートを取り出した。
病院で響に買ってもらったノート。
そこには今回の公演のための素案がびっしりと書き込まれていた。
といっても以前に見た芝居を思い出し、そこからループの場面場面に齟齬がないか確認した程度のものなんだけれども。
――やっぱりあれは、俺の作品じゃないのかもしれない。
ノートを眺めていると、ふと思う。
この芝居を作ったのは結局俺だったのかも、俺には分からない。
しかし響や日辻たちと一緒に作り上げた舞台に、今はしっかり愛着を持っていた。
「芝居、見たかったな……」
今回の公演が、どんなものになるのか。
練習は散々見てきたが、やっぱり本番の舞台を一目、見たかった。
けれども、見ることが可能なのは“3ヶ月後”の俺。
この舞台に思い入れの無い俺。
いや、もしも28日に戻った時、響が無事なら千秋楽は見えるのかもしれない……
そんな期待を込めて、ノートを開く。
ノートの一番後ろから1枚目のページをめくってみる。
この場所なら、俺が多少落ち着いてから目に入るだろう。
かつて“3ヶ月後”に見た時には、そこはただの真っ白なページだった。
けれどもそこに俺はメッセージを書き込む。
色々伝えたいことはあるけれど、ごくごくシンプルな一言を。
『6月28日の朝、響を一人で劇場に向かわせるな。絶対に付き添え』
『駅までの道で、響が事故に遭う。注意しろ』
――こんな所か。
混乱を避けるため、死といった強烈なキーワードは極力避け、やるべきことだけを書いた。
これ位なら、万が一俺と響が恋人関係にならなくても実行してくれるだろう。
「文さん」
「あ……響、どうした?」
やるべきことを全て終えた頃合いで、響が声をかけてきた。
明日は本番だからと早く風呂から上がった響は、どこか落ち着かない様子で俺の隣に座った。
そのまま、ごくごく自然に俺の肩を抱く。
「――すみません。明日のことを考えると、どこか落ち着かなくて……」
「そうか……」
明日から始まる公演は、俺が知っている未来と同様前売り券はあまり売れないまま終わってしまった。
初日こそ人が入っているが、その後の席の入りは絶望的だ。
響はそれを気に病んでいるのだろう。
「響……」
俺は響にそっと身体を預ける。
響のことは、心配だ。
もちろん公演のことも。
だけど、俺はどうしても別の懸念が頭から離れなかった。
もしも俺の予想が当たっていたら。
最悪の事態になるのだとしたら。
今から1時間ほど経つと、俺は今の俺ではなくなる――
「響……愛してる」
「……急に、どうしたんですか?」
俺の言葉に意外そうな返事が耳元で返ってきた。
いつも、愛の言葉を囁くのは圧倒的にこいつの方だったから。
「いや……その、ちょっと聞いて欲しいんだけど……」
急に羞恥で身体が熱くなるのを感じながら、それでも、どうしても伝えなければいけない言葉を響に告げる。
「響が事故に遭う夢を見たんだ。千秋楽の日に。だから……その日は、駅前の交差点では絶対に気を付けてくれよ」
「え……あ、はい……」
腑に落ちない表情をしている響に、俺は続ける。
「それで、俺は……その、事故がきっかけで今お前とこんな関係になってるけど……もし、違う場所で違う時に出会ってたとしても、必ずお前のことを好きになる、から……」
ああ、なんだか妙に予言じみた変な言葉になってしまった。
でも、聞いてくれ。
「俺のこと、信じて……」
「信じてますよ。ずっと」
その言葉に答えるように、響は俺の身体を抱き締めた。
「……でも、その言葉が聞けて嬉しかったです」
「……」
「……ねえ、文さん」
「え……う、わっ」
響はそのまま立ち上がった。
腕の中には、俺。
俗に言うお姫様抱っこのまま、響は部屋に向かって歩き出す。
「文さんのせいですから……覚悟しておいてください」
「な、何を……」
「あそこまで言われて俺が我慢できると思いますか?」
響は熱のこもった声で囁く。
「何度でも……愛してあげます」
「……っ」
響のこの言葉に、俺はいつも絶句させられていた。
だけど今日は違う。
「ああ……何度でも、愛して」
そう告げると、響の首に腕を回した。
※※※
「ん……あっ、響……」
「文さん……」
最早何度も愛し合ったことのあるベッドの中で、俺は響と絡み合う。
響は手早く俺の服を脱がせ、そのまま俺を翻弄した。
俺は響と彼が与える快感に惑いながら――その時を待っていた。
今から、俺は“何時”に行くんだろう。
もしも響が事故に遭う直後なら……あの場面を見てしまったら、どうしよう。
いや、まだ間に合うかもしれない。
手を伸ばせば響に届くかもしれない。
響を、助けなければ。
たとえ俺が何時何処に行くのだとしても。
「ぅ……あぁっ、響……っ」
熱に浮かされるように響の名前を呼びながら、決意した。
「お前は……俺が必ず守る……っ」
その時、世界は歪んだ。
(俺の欠片がいくつにも千切れて四散した――)
(背筋が凍えるような轟音を耳にした――)
(か……死ぬ……)
あ。
来た!
どこか覚えのある音楽が聞こえてきた瞬間、俺は身構える。
いつの間にか俺の側にいたはずの響の姿はいない。
「あ……!」
いや、あった。
目の前に、響の背中があった。
今にも道路を渡ろうとする、響の背中。
「響!」
無我夢中で手を伸ばし、そのまま響と共に転倒する。
そのすぐ前を、信号無視のトラックが通り過ぎていった。
やった……!
成功だ!
響は、助かった!
茫然とする響に大丈夫かと声をかけながら、俺ははっと気づく。
色が……違った。
周囲は桜色に染まっていた。
雨ではなく、桜吹雪の色。
「え、ええと……貴方は……そうだ、信良木先輩?」
「え……!」
驚いて俺に声をかける響に、俺は愕然としていた。
今は……6月じゃない。
3月だ。
俺が、以前に戻って響を助けた3月20日。
何故?
どうして?
6月の響は結局どうなったんだ?
「血が出てるじゃないですか! 信良木先輩、大丈夫ですか?」
響の言葉を聞きながら、俺は茫然と舞い散る桜を眺めていた――
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