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第26話 6月25日 0:00 二周目 ○○ルート

「ぅんん……えっ?」  身体の中に籠った熱を堪えきれず吐き出し、ふと気付く。 「え……あ、ひ、響!」  脳裏に浮かんだのは、四散した響。  そして、歪んだ世界。  俺は、何時にやって来たんだ?  今はあの続きじゃない。  いつもの3月20日でもない。  ここは――ベッドの中?  身体には誰かの温もりがあった。  響?  もしかするとここは、“3ヶ月後”の直後――6月25日?  響と愛し合っている最中だった、最初の時? 「ひ、びき……?」  混乱と安堵の中、恋人の名前を呼ぶ。  けれども返ってきたのは、全く予想外の言葉だった。 「――最中に、別の男の名前を呼ぶとは……覚悟しておけよ?」 「え――?」  声も、言葉も、違っていた。  響じゃ、なかった。  響とは違う、でも聞き覚えのある声。  そいつが、俺の上で腕を押さえつけていた。 「え、え……」  誰だ?  どうして、俺はここにいる?  気付けばその場所は響のマンションじゃなかった。  ふわりとした柔らかいベッドではなく、畳の上の薄い布団。  ベッドの脇には小さな照明すらもなく、入ってくるのはカーテンの隙間からの細い灯り。  そいつは、俺の顎に手を伸ばした。  逃げないように固定すると、顔を近づけてくる。 「あ――ん、んっ」  長い長い口づけ。  薄く熱い唇から舌が伸び、俺の咥内へと侵入していく。  俺の言葉を、思考を奪うように。  響……!  それどころではないのに。  その筈なのに。  既に身体には熱い炎が点っていて、その舌は更に俺を煽っていく。 「ん……んんっ」  唇が離れた時には、息が荒くなっていた。 「少しは、素直になったか?」 「え……あっ!」  間近でその声を聴き、漸く俺は気づいた。  その声が、誰のものなのか。 「ひ……日辻!」 「……何だ、今更」  そう。  俺を押し倒し今口づけを交わした相手は、劇団の演出家、日辻 出流だった。  暗い中でも分かる程の、いつもの日辻の渦巻くような瞳が俺を見ていた。  なんで……なんで、日辻がここにいる?  いや、俺がここにいるのか?  響は?  そうだ、響は……!  全ての疑問はそれを確認してからだった。 「あの……響は?」 「……は?」  日辻の声が不満そうに歪む。  それでも俺は構わず質問を続けた。 「響はどうなったんだ? 事故は?」 「――だから、最中に他の男の名前を呼ぶなと」 「……悪い! でも、それだけは確認させてくれ……!」  今がどんな状況なのか、薄々は分かっていた。  およそ想像したくはないが、以前の響とのこともあったから、納得はしがたいがひとまず理解はできる。  それでも響の状況だけは、今すぐに知りたかった。 「……」  日辻は呆れたようなため息を吐くと、俺に告げる。 「――知ってるだろ? 明日の本番には普通に来る」 「だとすると、事故は……」  響は車に跳ねられてはいないのか? 「事故? 3ヶ月前のは大したものじゃなかっただろ」 「あ……」  その言葉に、俺の全身は弛緩した。  大したことなかった。  それはつまり、響は事故に遭ったが、問題なかったということ。  響は、今の時点では生きている! 「そう、か……」  安堵のあまり全身が弛緩していくのが分かった。  そして漸く、今の状況に思いを巡らせる。  俺は、何一つ身に着けてはいなかった。  俺に覆いかぶさっている、日辻も。  そしてここは見知らぬ……響の物ではない小さな部屋で、ひとつの布団に入っている。  それはつまり……そういう事? 「え……ちょっと待って! それでなんで……俺、日辻とこうしてるんだ?」 「なんでって……何を今更。お前の方から誘ったんだろ?」 「さそ……っ!?」  日辻の言葉にパニックを起こしそうになるが、必死で自分を取り戻す。  いや、冷静に考えろ、俺!  もう何度もこんな状況には陥っただろ?  そんな時、どうしたのか。  まずは情報を集めなくては……  混乱の渦に陥りそうになった俺は、なんとか自分を取り戻し今できることをやってみる。  即ち――目の前の相手から情報を収集すること。 「い……今って、何月何日だ?」 「……は?」  俺の質問に日辻は不機嫌そうな声をあげる。 「あの……本当に悪い! けど、俺は今この状況が何なのか理解できないんだ!」  日辻の様子に、これ以上何か言っても協力を得るのは難しいと判断した俺は、正直に話をしてみることにする。  信じてくれないまでも、俺の様子がおかしいことだけは伝わる筈だ。 「俺……本当に、なんでお前とこうなってるのか理解できないんだ。俺と日辻との接点は劇団で会話したことくらいしかない筈だろ? だったら、何で……」 「――それは、本気で言ってるのか?」  俺の言葉を信じてくれたのかそうでないのかは分からない。  けれども日辻は、調子の変わらない声でそう答えてくれた。 「ああ!」 「お前と俺とが同棲してることは?」 「へ!? なんで? どういう状況!?」  今度こそ理解できず、俺は必死で日辻を問い詰める。  しかし日辻は少し考えた後、こう告げた。 「――今日は6月24日。いや、もう日付が変わって25日か」 「……そう、か。明日から公演って言ってたもんな……」  つまり、俺と響が最初に接近した“3ヶ月後”の1日目だ。  情報を纏めるように俺はそう呟いた。  それが、大きな失言だったとは全く気付かずに。  その言葉に反応するように、日辻は鋭い声で指摘する。 「――俺とのことは覚えていないのに、公演の日付は理解してるのか」 「あ……」  続く日辻の言葉にはっと視線を移すと、相変わらず無表情なまま俺を見下ろしている。  だがその渦巻く瞳はいつもより熱を孕んでいるようだった。 「いや、本当に! 分からないんだ! 俺は、お前とどんな仲だって言うんだ? 何があったんだ?」 「……安心しろ」  全く安心できない声で、日辻は宣言した。 「すぐに、思い出させてやる」 「あ……ぁ、ぐっ」  日辻の手が伸びた。  俺の、首に。  締めるかのように片手で首を押さえ動きを止める。  苦しさはない。  だが、僅かでも身じろぎしようものならすぐに締め上げられそうな、圧迫感があった。  そのまま日辻は俺に顔を近づける。  再び唇が重なるかと思った次の瞬間、それは逸れて俺の耳元へと落ちた。 「ぅ……あっ!」  しかし、その刺激は俺の身体にぞくりとした冷たい炎を灯した。 「……」 「……う、んっ」  日辻は無言のまま俺の耳に何度も口付ける。  口を開け甘噛みし、僅かに歯を立てる。 「あ……ぅっ」  そこから今まで感じたことのない熱が俺の中へ広がっていく。  響との間に身体に刻み込まれた記憶とは、まるで違っていた。  これは、日辻と俺の間に刻み込まれた身体の記憶?  日辻によって起こされた熱は、既に身体の中にあった熱を更に煽る。  それは、俺がこの時間に来る前に既に日辻と俺との間に何かがあった証。  理解はしたけれども納得はできなかった身体の昂りに、為す術もなく翻弄されつつあった。 「ふぁ……あっ、やだ……っ」  日辻は耳のヒダひとつひとつを舌でなぞり、ゆっくりと愛撫する。  その舌の動きに思わず声を漏らし、奥へと突き入れられた舌にびくりと身体が仰け反る。 「こんなにも、欲しがっているのに?」 「ひ……あぁっ!」  俺の情けないほど興奮してしまった部分に、日辻は膝で刺激する。  まだ耳を嬲られ僅かに触れられただけなのに、その動きに思わず腰をくねらせる。 「身体の方は素直だな……だが、まだまだだ」  日辻は空いている方の手で俺の腰を押さえつける。  耳を解放すると首を押さえている手を少し緩め、間近で俺の顔を見つめた。  日辻の顔がごく近くで見える。  こいつの顔を、こんなにも近くで見たことはなかった。  日辻は、眼鏡を外していた。  何も遮る物の無い日辻の顔は意外にも整っていて、その中で、いつも鋭く俺を見つめる渦巻くような瞳だけが異質なものに感じられた。  じっと見ていると、その瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚える。 「ひ……つじ、俺、は……んっ」  なんとか状況を説明しようとしたが、失敗した。  俺の唇は日辻に塞がれてしまったから。  慌ててきゅっと閉じた唇の上を、日辻の舌が這う。  それはぞくぞくと俺の中の快感を高め、思わず声が漏れそうになる。  それを、歯を食いしばって堪える。  俺は……今は、響の時みたいに、ここで流されるわけにはいかないんだ!  だって俺は、響を…… 「口を開けろ」  そんな俺に日辻の命令が飛んだ。  勿論、従う義理はないので唇を閉じたまま無視する。 「なら、仕方ないな」 「……っ!?」  ふいに俺に与えられた刺激に、俺は声にならない悲鳴をあげる。  日辻が、俺の局部に当てていた膝を動かしたのだ。  唇にばかり意識を集中していたので、ついそこは無防備なままになっていた。  腰を押さえつけたまま、ゆっくりと膝を上下させ刺激を与えていく。 「……っ、ん……っ、ぅ……んっ」  直接与えられたその感覚に、なんとか声をあげまいと必死で歯を食いしばって耐える。  しかし下半身の方はいつしかその動きに応えるように、素直に腰を揺らし快感を受け止め始めていた。 「ふ……ぅんっ、ん……んんっ」  それが分かっても尚、俺は意地を張り続けるように唇を閉じる。 「強情な奴だな……」  日辻の声が聞こえた。  それは、言葉とは裏腹にどこか楽しんでいるかのような感情を孕んでいた。 「練習なら許さない所だが……本番ならそんなアドリブもアリだな」 「……ん、んぅ……っ!」  俺の腰を押さえていた日辻の手が動いた。  腰の上を這うように蠢き、腹を撫でる。  臍の周囲を指の腹で擦り、穴に指を立てる。  軽い愛撫の後日辻の指はその上へと向かった。  今までの刺激で俺の目にも明らかに反応している、胸の突起へ。 「んん……っ!」  瞬間、電流が走ったように身体が震えた。  おそらくそれは、俺が知らない間日辻に与えられ身体に染みついてしまった反応。  散々刺激され触れただけで感じるようになってしまったこの身体と、そして、俺の記憶だけに残る響に触れられた快感。  それらがない交ぜになって、俺に襲い掛かってきた。  日辻は指で胸を、膝で下半身を、ゆっくりと煽っていく。 「ん……んん、んんっ!」  俺の中に湧き上がる快感を、それ以上の感覚を逃すように首を振ろうとするが、日辻の手が、そして唇がそれを許さない。  非難も、快楽の声を発する事すら日辻の唇に阻まれて叶わない。  そして日辻にとってその反抗はこれからの行為をより盛り上げるための演出でしかなかった。  首から上ばかりに意識を取られていたために、身体の方はいつの間にか日辻の思い通りになっているのに気付かなかった。  いつの間にか日辻の身体はより俺の方に接近していた。  その熱を、直に感じる程。  だらしなく力の抜けた俺の足を持つと、ぐいと開かせる。  それによって、日辻の身体の尤も熱い部分が俺に密着した。 「……っ!」  ひくりと、身体が反応する。  避けるため?  それとも、受け入れるため?  密着したまま、日辻は腰を動かした。 「ん……っ」  俺の身体もそれに合わせて揺れる。  押され、退かれ。  そしてその度に密着は増し、次第に俺の身体は日辻を受け入れ始めていた。 「ん……やっ、あっ、あぁあああ……っ!」  俺の身体が日辻を僅かに飲み込んだその次の瞬間、日辻が俺の中に強引に割り入ってきた。 「あぁ……ふぁ……ん、ぐぅ……っ」  衝撃に思わず声をあげると、開いた唇から日辻の舌が侵入する。 「ん……っ、んぅ……っ、ん……んっ!」  首を振ってそれを拒絶しようとするが、抑え込んだ日辻の手が、唇が、それを許さない。  身体と共に言葉すら奪われ、全身が日辻に支配されてしまったような感覚でいっぱいになる。 「ん……」  口の中に入った日辻の舌が、俺にだけ分かるように動いた。 (動く、ぞ) 「ん……んん!」  駄目……駄目、だ!  俺は何とか否定しようとするが、日辻を受け入れたことでじりじりとした痺れるような感覚と圧迫感を伴った下半身に、新たな刺激が生み出された。  言葉通り、日辻が動き始めたのだ。 「ん……っ、う……んんんっ!」  最初は挿入時同様緩やかな動きを繰り返し、それに身体が慣れたと見るや次の瞬間更に奥深くに突き入れる。 「ん……はっ、あ……っ、んむ……んっ!」  いつの間にか、身体は日辻を完全に受け入れていた。  その動きが与える感覚と共に。  身体の奥で感じ始めていたのは、快感だった。 「ん……っ、ぁん……っ、んん……っ!」  熱いモノが奥に当たる度、思わず悲鳴のような息が喉の奥から漏れる。  しかしそれは日辻の舌に絡め取られ、声になる前に飲み込まれてしまった。  やがて日辻は俺の咥内を完全に犯し終わったとでも言うように舌でひと舐めすると、最後に口付けを残して俺の唇を解放した。  上半身を離すと、更に結合を深めるように俺の足を肩に乗せ下半身を持ち上げる。 「随分、素直になったな……ご褒美をやるよ」 「あ……やっ、あぁあぁぁっ!」  そのまま、俺の腰を持つと、俺のより深い部分を穿つ。  何度も、何度も、叩きつけるように。  部屋の中に、肉と肉がぶつかる音が充満した。 「は……んっ! ぁぅ……っ、ひぁ……っ、あ……っ!」  やっと自由になった唇からは、情けない程に快楽に惑う俺の声が漏れるだけ。  全身をくねらせ、ひくひくと腰を振る俺は完全に日辻のされるがままに……いや、それ以上に求めていた。 「あ……っ、い、ぁあんっ、そこ、は……っ!」 「ああ……此処が、良いんだろ」 「い、ひぁ……、ぁ、あああああああっ!」  最後には身体中の良い部分を全て日辻に攻めあげられ、声をあげながら快楽に溺れ続けていた。 「あ、あ――」  吐き出した快楽の渦の中、必死で俺は自分を取り戻そうとしていた。  駄目だ……違う、違うんだ!  俺の身体は日辻を求めていた。  だけど違う。  俺は―― 「ち……がう!」  互いに欲望を吐き出し体中に倦怠感が襲ってきた瞬間に、俺は必死で日辻から身体を離した。 「……違う……何が?」  日辻の視線に今まで与えられた熱を思い出しふと怯みそうになるが、気持ちを奮い立たせて言葉を紡いだ。 「さっきも言っただろ? あれは、本当なんだ! 俺は、お前に関わったあたりの記憶がすっぽり抜けてるんだ!」 「そんな話を信じると思うか?」 「思わない……だけど、頼む。信じる信じないは別にして……どうして俺とお前がこうなってるのか、教えて貰えないだろうか?」  仏頂面のままの日辻に、拝むようにして頼み込む。 「でないと……俺はずっとこのまま日辻に話を聞きまくる。もしくはここを出て響とか、団員の誰かに事情を聴きに行く。それよりは、今ここで説明してくれた方が互いに話が早いだろ?」  何度も繰り返された脚本の打ち合わせを経て、日辻との交渉方法は掴んでいた。  メリットデメリットをはっきりさせること。  日辻は大きく息を吐くと、その場に座り直した。  傍らに置いてある眼鏡を取ると、それをかけた。 「――説明する義理はないが、お前の要求は分かった。それ位の手間でこの状況が治まるなら、話した方が早いだろう」  日辻の言葉にほっと息を吐く。 「じゃあ……」 「その前に、汗を流した方がいい。風呂を使え」  日辻は俺を見つめながら静かに提案した。  風呂がどこにあるのか分からず困惑している俺に日辻は部屋の片隅を指差した。  見ると、そこが脱衣所兼風呂場になっているようだ。  シャワーはなく、溜まっている風呂の湯で身体を流した。  風呂から出ると、見覚えのないスウェットの上下が置いてあった。  ――この状況、なんか前にも経験したような気がする。  奇妙なデジャブを感じながら、それを身に纏った。  しかし俺を待っていた日辻の話は、ある意味予期された――そして予想外のものだった。 「……お前があの時、奴を助けられなくて悔やんでいるのは知っていた。それで、酷く動揺していたのも……」  淡々と、日辻は説明を始めた。 「奴って……響?」  事故の話を思い出し、俺は確認する。 「それって3月20日の? 俺、そこまでは覚えてる! たしか響が車に退かれそうになって……」 「接触した」 「え……!?」  俺が助けたんじゃないのか?  俺、ここでも間に合わなかったのか?  青くなる俺に構わず日辻は説明を続ける。 「大した怪我ではなさそうだったが、お前があまりにも混乱していたのでたまたまそこに居合わせた俺も、病院に付き添った」 「え……」  日辻が?  あの場所に、こいつもいたのか? 「結果、軽い打ち身で様子を見ることになった――それは、一緒に付き添っていたお前も知っているだろう?」 「そ、うなのか……」  日辻の言葉に混乱は置いておいて大きく息を吐く。  良かった……  事故には遭った。  けれども本当に、ここの響に大きな怪我はないようだ……  ほっとしている俺を、日辻は厳しい表情で見つめる。 「万が一何かあった時のために、響は俺に連絡を寄越すことを約束した。――一応、俺が劇団の代表ということで」 「な、るほど……」  たしかに、あの場に居合わせた俺よりも日辻の方が立場的には頼りになるだろう。 「奴を心配していたお前も、その連絡に備え暫くの間俺の家に来ることになった」 「え?」 「といっても、すぐに帰る筈だったんだが――」 「だ、よな……」  いきなりこいつの家に上がり込むなんて、ハードルが高すぎる。 「――そのまま、俺がお前を押し倒し……同棲することになった」 「いやちょっと待てよ!?」  急展開に思わず声を上げる。 「何がどうしてそうなった! ってか話を聞く限りじゃ全部お前が悪いんじゃないか!」  訳が分からないままに日辻に文句を言う。  落ち込んでる俺を押し倒したと言う、諸悪の根源と思われるこいつに。  けれども日辻はいつもの様に涼しい顔をしたまま話を続ける。 「本当に嫌なら、抵抗しただろう。けれどもお前は本気で嫌がってはいなかった」 「なんでお前にそれが分かるんだよ!」 「つい先程も、そうだっただろ?」 「……!」  日辻の言葉に先刻までの自分の痴態を思い出し、思わず言葉を失う。  喰いしばった歯さえ抵抗を忘れ、情けない声をあげ続けた自分のことを。 「全く、このアパートは壁が薄いから音が筒抜けだと言うのに……」 「お、お前のせいだろ!?」  日辻も同様のことを思い出したのか小さく肩を竦めて見せる。  俺は思わず抗議するが、この件に深入りしたくないのでそれ以上の追及は止めた。  そんな事よりも、今は少しでも早くこの状況を確認することが先だ。 「で……俺はどうしたんだよ?」 「3ヶ月経った今も、お前がここにいるんだから……分かるよな?」 「……」  そのまま俺は、日辻と共にここで暮らしているということなんだろうか。  何故?  どうして?  相変わらず分からないことだらけだった。  話を聞くと、俺は響が事故に遭ったのを見て酷く動揺していたようだ。  ということは、3ヶ月前の俺は、この未来を体験し、響のことを想っているはずの俺なんだろう。  だったら何故俺はこうして日辻と共にいるんだろう。  響からの連絡を待って?  それとも単純に住む場所がないから?  けれども日辻とこんな関係になっているということは……それ以外にも、何か理由があってのことなんだろう。  何を考えてるんだよ、3ヶ月前の俺……!  久しぶりにそんな事を考えながら言葉を無くしている俺に、日辻は何を思ったのかすっと布団に潜りこんだ。 「――もう寝る。明日からは公演だ」 「あ、そ、そうだな……」  色々思う所はあるけれど、休まなければいけないことには同意する。  特に日辻は、明日は劇団の取り纏めで忙しいのだから。  けれども……  狭いこの部屋に、布団は一つしかない。  響のマンションのようにソファーなどの他人が休めるような家具は一切無かった。 「どうした? 早くお前も――」 「い、いや……、俺、は……」  平然と声をかける日辻に、返事を濁す。  このままだと、日辻と同じ布団で眠る選択肢しかないのか?  いや、それだけは有り得ない。 「俺は、別に……眠くない」 「そうか」  日辻は一つの布団に入りたくないと言う意味を込めた俺の言葉をそのまま素直に受け取ると、俺に背を向けた。 「……」  譲るつもりは微塵もないらしい。  日辻らしいといえばらしいのだけれど……  俺はため息をつくが、それはそれで好都合だった。  まだ俺には確認しなければいけないことがあったからだ。  部屋の中を見渡すと、すぐに目当てのものが見つかった。  俺の、スマホ。  電源を入れてみると、案の定ロックがかかっていた。 「――もう、その手は通用しねぇよ」  即座にパスワードを入れてみる。 『HACHIOUJI HIBIKI』  しかし出てきたのは、Password Error。 「……じゃあ、こっちか」  少し考えてパスワードを入れ直す。 『HITUJI IZURU』  すぐにロックは解除された。  どうやら今回は、日辻ルートとでも言うのだろうか。  俺は文章アプリも同様にロックを解除し開けてみる。  案の定、そこには新しいファイルが入っていた。  それは、たった一つだけ。 『【新】重要確認事項』  今までのファイルとは違う、3ヶ月前の俺から今の俺へのメッセージ。  これを読めば、多少は今の状況がはっきりする筈だ。  俺は僅かに緊張しながら、そのファイルを開いた。  そこには、ほんの数文字だけのメッセージが置いてあった。 『6月28日のその時まで、なるべく出流の側にいろ』 「は……?」  何度読んでもどこを探しても、それ以上の言葉は見つからなかった。  日辻の側にいろ?  6月28日と言えば、響が事故に遭う日。  その時までと言うのは、その瞬間を指しているんだろうか?  いずれにしても、響が事故に遭うその時には、俺はあいつを止めに行くつもりだ。  そうだ……色々混乱や分からないことは多いが、今は最大の好機なんだ。  やっと、事故の記憶のある俺がこの時間に居ることができたんだ。  響が事故に遭う前に止める……それだけは、決めていた。  けれどもこれはどういう意味なんだ?  3ヶ月前の俺が言うことなんだから、きっと何か意味があるんだろう。  だけど……さっぱり意味が分からない。 「何考えてんだよ……3ヶ月前の俺……」  頭を抱えている俺の中に、重苦しい靄が立ち込め始める。  気付けば俺は、畳の上でうとうとと眠りにつき始めていた。

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