30 / 40

第30話 6月28日 10:00 二周目 スケープ『ゴート』

 この日は朝から酷い雨が降っていた。  いつものように朝早く出発する日辻に俺は告げる。 「今日はやることがあるから、後から行く」 「……分かった」  日辻は不満そうだったが、すぐに一人で出発した。  俺は身支度を済ませると、居ても経ってもいられず9時過ぎにはアパートを出る。  劇場を通り過ぎ、電車に乗ると響のマンションの最寄駅で降りた。  まだ、9時半。  響がここに来て事故に遭うのは、10時頃だ。  交差点に出ると、相変わらず車が多く走っていた。  響を止めるなら、ここを渡る前。  道路を渡り、響のマンションへの道を落ち着かなくうろうろと歩き回った。  そして――その時はやって来た。  通りの向こうから、響の姿が見えた。  どこか決意した表情で、一心にこちらに向かって歩いてくる。 「響!」  声をかけた。  だが響は俺の声に気付かないのか、そのまま通り過ぎようとする。  駄目だ!  響はそのまま交差点に近づいて行く。 「おい、響!」  俺は強引に響の手を取ると、引き寄せようとする。 「えっ、文さん――駄目だ!」  響ははっと俺を見ると、酷く動揺した様子でその手を払おうとする。  俺は必死でその手に取り縋る。 「待てよ、響!」  一瞬、揉み合うような形になった。  そのまま俺たちはふらふらと道路の方に向かう。 「危ない!」  交差点に体がはみ出しそうになった響を、俺は思いきり引っ張った。  その反動でよろけた俺は、道路側に一歩踏み出した。 「あ……」 「――文!」  その時、声が聞こえた。  それと同時に、俺の身体に衝撃がかかった。  背筋が凍えるような轟音を耳にした。  俺がついさっきまで居た場所を、信号無視のトラックが通り過ぎた。  そして俺の代わりにそこに居たのは―― 「出流!?」  何時の間に、そこにいたんだろう。  挽かれそうになった俺を庇ったのは、出流だった。  出流は道路から押し出した俺を見て、ほっとした表情を浮かべた。  次の瞬間、いつか見た光景そのままに、トラックが出流をかき消した。  急ブレーキの音、スリップする音。  そして、出流の欠片がいくつにも千切れて四散する音―― 「出流……!」  その時、俺は全てを理解した。  俺は何故、出流と一緒にいたのかを。  これは全て――3ヶ月前の俺が仕組んだことだったんだ。 (必ず一人が、死ぬ)  あの時、響が跳ねられる時に聞いた声。 (俺の欠片がいくつにも千切れて四散した) (背筋が凍えるような轟音を耳にした)  いつも何処かで聞こえるその声が、あの時もう一つ増えていた。  必ず一人、死ぬ。  3ヶ月前の俺はそれを聞いて、理解した。  何度やっても、響を助けられない理由を。  あそこで、あの時点で必ず一人が死ぬんだ。  だから響は死んでしまう。  だったら響ではなく、別の人物が死ねば――  雨に打たれながらぎゅっと両手を握り締めた。  だから、出流を選んだのか?  響の代わりに、あいつが死ぬようにと。  俺を庇って、死ぬようにと――  雨が、出流の血を洗い流していくのを呆然と見つめていた。  これで、いいのか?  本当に、これでいいのか?  響は、死ななかった。  出流が死んで、これでもう時間は巻き戻らない。  このまま、時は進む。  だけど…… 「……駄目だ」  俺は必死で首を振る。  涙なのか雨なのか分からないものが顔全体に広がっていた。  これは、駄目だ。  絶対に、駄目だ。  俺にはまだやれることがあった。  俺は、まだ全力を尽くしていない。  響のことも、出流のことも……そして芝居のことも。  なのにこんな形で終わりにしちゃ、いけない。  出流を死なせてはいけない。  頼むから、終わらせないでくれ。  次で最後にしてもいいから――!  頭の中に、あの音楽が響き渡った。  くにゃりと、世界が歪む気配がした。 「駄目です!」  同時に誰かの声が聞こえた。 「駄目です! 止め――!」  聞き覚えのあるその声を残し、世界は歪んでいく。   (俺の欠片がいくつにも千切れて四散した) (背筋が凍えるような轟音を耳にした) (必ず一人が、死ぬ)  ああ、分かってる。  何度も耳にしたその声に、しっかりと頷く。  俺は、もう迷わない。  今度こそ、全てに全力を尽くす。  絶対に。  いつ、最後の時が来ても構わないように。 「あ……!」  目の前に、響の背中があった。  その向こうには、見覚えのある桜並木。 「響!」  必死で手を伸ばし、響と共に転倒する。  信号無視のトラックが通り過ぎて行くのを見送る。 「え、ええと……貴方は……そうだ、信良木先輩?」 「あ、あ……」  良かった……  驚く響を前に、俺は心から安堵を噛みしめていた。  またこの時に戻れたんだ。  響は、死んでない。  おそらく出流も。  今度こそ……今度こそ、俺は、間違えない。 「血が出てるじゃないですか! 信良木先輩、大丈夫ですか?」  慌てる響を見ながら、俺はひとつの決意を噛みしめていた。  まず、俺がやるべきことは……  ぐるりと、周囲を見渡してみる。  予想通り、転倒した俺たちを遠巻きに見ている人垣の中に見知った顔を見つけた。 「いず……いや、日辻、悪いけど、響と一緒に病院まで付き添ってくれないか?」   驚いた表情の出流にそのまま声をかけた。

ともだちにシェアしよう!