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第36話 6月28日 10:00 終点
ゆっくりと戻って行く意識の隅で、雨の音が聞こえた。
そうだ、この日は朝から酷い雨が降っていた。
響は……?
「え……っ!?」
上半身を起こそうとして、愕然とする。
身体が、動かない。
訳が分からず必死でもがくと、俺の両手両足はロープのようなもので縛られていることに気付いた。
「な、何だ、これ……」
一瞬、出流にやられたのかと思った。
以前、奴には縛られたことがあるから。
けれども違う。
ここは、響のベッド。
そうだ、響は?
時間は!?
必死で周囲を確認するが、響の姿はなかった。
部屋の中は荒れた様子はない。
強盗でも入ったのかとも思ったが、どうやら縛られているのは俺だけのようだ。
ということは、響がこれをやったのか……?
「いや、それより、今何時だ!?」
必死で身を捩って時計を確認してみると、既に9時30分を過ぎようとしていた。
「……何やってんだよ、俺!」
9時には家を出るって言ったのに。
たしかに昨日の夜も激しく愛し合ったけれども、目覚ましだってしっかりセットしておいた筈なのに。
いや……今は何を言ってももう遅い。
それより、まだ間に合う。
一刻も早く、響を追いかけなければ。
そう考えもがいてみるが、なかなかロープは外れない。
焦れば焦る程、腕に食い込んで絡みつく。
なんで……どうして俺は縛られているんだ。
響のせい?
あいつ、一体何を考えてるんだ!
いや……もし、俺の考えていることが本当だったとするなら……
俺の背筋に冷たいものがぞわりと走る。
響はどこにいるんだろう。
一刻も早く、響に会わないと!
「その前に、このロープ……なんでこんなモノが……」
(以前、演劇用の講習で習った)
ロープと格闘中、ふと出流の言葉を思い出した。
「あ……っ!」
(両手で解こうとするから無理なんだ。右手は固定したまま左手をねじって、そこから抜けろ)
「あ、そ、そうか……」
なんとか冷静さを取り戻し、出流から教わった言葉通りに縄を抜ける。
縄はするりと俺の手から落ちた。
そのまま足の縄も解く。
時計を見ると、9時55分。
「まだ……間に合う!」
パジャマのまま、雨の中を飛び出した。
まだ間に合う。
まだ大丈夫。
呪文のようにその言葉を繰り返しながら、ただ走る。
頭の中には、響が作った芝居用のBGMが流れていた。
(俺の欠片がいくつにも千切れて四散した)
(背筋が凍えるような轟音を耳にした)
同時に、あの時の声も。
そして……
(必ず一人が、死ぬ)
そうだ、俺はやっと気づいた。
いや、もう気付いていたのかもしれない。
“必ず一人が、死ぬ”んだ。
それは、響だけじゃない。
出流や、そして俺だって例外じゃない――
だからこそ、何度も繰り返された。
この3カ月間が。
でもだからこそ、俺は全力を尽くす。
何度繰り返そうと、これが最後だろうと。
「響……!」
雨の向こう側に、響の背中を見つけた。
響は振り向き俺の姿を見つけると、はっと表情を変える。
しかしすぐに前を向いて、足早に駅へと向かった。
そうはさせない。
“何度”も、お前の思う通りにはさせない――!
交差点へと差し掛かった。
響の背中に俺は――その身ごと飛び込んで行った。
そこに避けようもないタイミングで、信号無視のトラックが向かってくる。
「響!」
「文さん……!」
背筋が凍えるような轟音を耳にした。
俺たちの欠片がいくつにも千切れて四散した。
(必ず一人が、死ぬ)
ここではないどこかで、声が聞こえた。
同時に、どこかで何度も聞いたことのある音が……響の音楽が聞こえた。
※※※
俺と響は、ひとつになった。
欠片になって混ざり合った身体から、響の意識が、心が伝わってくる。
――文さんは、俺が必ず守る。
何度も聞いた、あの声が。
文さんは、俺が必ず守り通す。
たとえ、どんな手を使っても――
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