37 / 40

第37話 6月28日 10:00 どんな手を使っても

 ゆっくりと戻って行く意識の隅で、雨の音が聞こえた。  そうだ、この日は朝から酷い雨が降っていた。  響は……? 「え……っ!?」  上半身を起こそうとして、愕然とする。  身体が、動かない。  訳が分からず必死でもがくと、俺の両手両足はロープのようなもので縛られていることに気付いた。 「な、何だ、これ……」  一瞬、出流にやられたのかと思った。  以前、奴には縛られたことがあるから。  けれども違う。  ここは、響のベッド。  そうだ、響は?  時間は!?  必死で周囲を確認するが、響の姿はなかった。  部屋の中は荒れた様子はない。  強盗でも入ったのかとも思ったが、どうやら縛られているのは俺だけのようだ。  ということは、響がこれをやったのか……? 「いや、それより、今何時だ!?」  必死で身を捩って時計を確認してみると、既に9時30分を過ぎようとしていた。 「……何やってんだよ、俺!」  9時には家を出るって言ったのに。  たしかに昨日の夜も激しく愛し合ったけれども、目覚ましだってしっかりセットしておいた筈なのに。  いや……今は何を言ってももう遅い。  それより、まだ間に合う。  一刻も早く、響を追いかけなければ。  そう考えもがいてみるが、なかなかロープは外れない。  焦れば焦る程、腕に食い込んで絡みつく。  なんで……どうして俺は縛られているんだ。  響のせい?  あいつ、一体何を考えてるんだ!  いや……もし、俺の考えていることが本当だったとするなら……  俺の背筋に冷たいものがぞわりと走る。  響はどこにいるんだろう。  一刻も早く、響に会わないと! 「その前に、このロープ……なんでこんなモノが……」 (以前、演劇用の講習で習った)  ロープと格闘中、ふと出流の言葉を思い出した。 「あ……っ!」 (両手で解こうとするから無理なんだ。右手は固定したまま左手をねじって、そこから抜けろ) 「あ、そ、そうか……」  なんとか冷静さを取り戻し、出流から教わった言葉通りに縄を抜ける。  縄はするりと俺の手から落ちた。  そのまま足の縄も解く。  時計を見ると、9時55分。 「まだ……間に合う!」  パジャマのまま、雨の中を飛び出した。  まだ間に合う。  まだ大丈夫。  呪文のようにその言葉を繰り返しながら、ただ走る。  頭の中には、響が作った芝居用のBGMが流れていた。 (俺の欠片がいくつにも千切れて四散した) (背筋が凍えるような轟音を耳にした)  同時に、あの時の声も。  そして…… (必ず一人が、死ぬ)  そうだ、俺はやっと気づいた。  いや、もう気付いていたのかもしれない。 “必ず一人が、死ぬ”んだ。  それは、響だけじゃない。  出流や、そして俺だって例外じゃない――  だからこそ、何度も繰り返された。  この3カ月間が。  でもだからこそ、俺は全力を尽くす。  何度繰り返そうと、これが最後だろうと。 「響……!」  雨の向こう側に、響の背中を見つけた。  響は振り向き俺の姿を見つけると、はっと表情を変える。  しかしすぐに前を向いて、足早に駅へと向かった。  そうはさせない。  “何度”も、お前の思う通りにはさせない――!  交差点へと差し掛かった。  響の背中に俺は――その身ごと飛び込んで行った。  そこに避けようもないタイミングで、信号無視のトラックが向かってくる。 「響!」 「文さん……!」  背筋が凍えるような轟音を耳にした。  俺たちの欠片がいくつにも千切れて四散した。 (必ず一人が、死ぬ)  ここではないどこかで、声が聞こえた。  同時に、どこかで何度も聞いたことのある音が……響の音楽が聞こえた。    ※※※  俺と響は、ひとつになった。  欠片になって混ざり合った身体から、響の意識が、心が伝わってくる。  ――文さんは、俺が必ず守る。  何度も聞いた、あの声が。  文さんは、俺が必ず守り通す。  たとえ、どんな手を使っても――

ともだちにシェアしよう!