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基点~終点 繰り返す繰り返す響

 俺の欠片がいくつにも千切れて四散した――  その時、背筋が凍えるような轟音を耳にした―― 「響!」  背中に衝撃を受け転倒した直後、俺のすぐ目の前を信号無視のトラックが走り抜けた。  唖然としている俺に、その人は必死で大丈夫かと話しかけた。  驚きと困惑の中、俺は記憶の中からその人物の情報を探る。  この人はたしか、劇団の先輩だった……そうだ、信良木 文。  最初に受け取った脚本の制作者で、その内容に酷く感銘を受けたのを覚えている。  俺を助けたはずみに頭を怪我していたのと、住む場所がないというので暫くの間俺のマンションに一緒に住むことになった。  あの脚本を書く人間がどんな人なのか、少し興味もあった。  ――それに、音楽が聞こえたから。  子供の頃から、世界には音楽が聞こえた。  その場その場に、時には人間の関係性に添った曲が。  だけどこの人から聞こえてくる世界の曲は、まるで違っていた。  どこか胸が弾む、けれども何かを必死で訴えかけるような音楽。  だからこの人についてもっと知りたいと思った。  知れば知る程、興味が湧いてきた。  最初に気が付いたのは、文さんの行動原理。  文さんは常に俺のことを気にしていて、俺のためになるようにと行動していた。  だけどそれを疑問に思うことはなかった。  生まれてから今まで、それが当然だと思っていたから。  俺は、外見が良い。  おまけに実家は金を持っている。  物心ついた時からそれが備わっていた俺には、男女を問わず近づいてくる人間が多かった。  だから、そんな好意にはいい加減慣れていた。  慣れ過ぎて、次第にそれを特別なものだと感じることはなくなっていた。  音楽を聞いてさえいれば、この世の中の大体の流れは分かる。  周囲からの好意や感情なんて、どうでも良い。  だけど……文さんだけはどこか違うような気がしていた。  それが何なのか分からないままに、酔ったある日、告白された。  一体、どういうつもりなんだろう。  様子を見ようと思っていた次の日、また別の音楽が聞こえてきた。  演出家の出流先輩と話している文さんの姿を見ていた時のことだった。  音楽は危機感を煽るようで、聞いていると無性に腹が立ってくる。  いや、文さんが他人と話をしているという事実だけで、許せなかった。  勢いに任せて文さんを凌辱し、だけど文さんはそんな汚い行為ごと俺の気持ちを受け入れてくれた。  互いに気持ちと身体を合わせ確かめ合い、恋人になった。  ――けれども劇団の千秋楽の日の朝、文さんは死んだ。  車に跳ねられそうになった俺を庇って。  ありえなかった。  そんな筈なかった。  全てを否定した時、世界が歪んで音楽が聞こえてきた。  そして気づけば、俺は事故の1日前戻っていた。  28日になった直後の、文さんを抱いている最中。  文さんの無事を確認し、今度こそ助けようと誓った。  だけどそれは何度も失敗し、その度に1日前に戻る。  そしてとうとう自分が身代わりになって文さんを助けることに成功したと思った次の瞬間――俺は、3月20日に戻っていた。  文さんと初めて出会ったその時に。  それからも俺は、文さんを助けるために何度もその日を繰り返した。  だけど、何度やっても上手くいかない。  その度に、1日前に戻って繰り返す。  助けることに成功したと思った瞬間、3月20日に戻ってしまう。  あまりにも何度も同じ日を繰り返した俺の心が受け入れられなくなったのだろうか。  いつしか3月20日に戻った俺は、繰り返した時の記憶を失うようになっていた。  ただ、音楽だけが聞こえた。  文さんに出会った瞬間から、胸が弾む、けれども何かを訴えかける音楽が。  聞いているうちに、心だけが焦る。  何かをしなければいけない。  文さんのために、何かを。  そんな気持ちを常に抱えながら、文さんと親交を深め、そして恋人になっていった。  そして俺は繰り返す。  この3ヶ月を、たった一夜を、数えきれないほど。  文さんの事故を目の当たりにし、ループの記憶を失って3月20日に戻る俺。  ループの記憶を持ったまま、事故の前夜に戻る俺。  次第にどちらが本当の俺なのかも分からなくなってくる。  信じられるものは、たったひとつだけ。  ――文さん。  文さんだけは、本物だった。  どんな形で出会っても、必ず俺を助けに来てくれた。  俺を愛してくれた。  周囲に流れる音楽だけを聞いていた俺は、初めて人の言う事を聞いた。  料理も始めたし、片付けだってした。  ホームベーカリーも買って、既製品のパンを買うのを止めた。  そして文さんは、俺に――信頼をくれた。  信じさせてくれた。  この人の言葉は、信じられる。  この人の存在は、信頼できる。  だからこそ、この人を守らなければと毎回心に誓った。  たとえ俺はどうなってもいい。  文さんだけは、絶対に助ける。  ある時俺は自ら事故に遭い、文さんと距離を取ることにした。  すると気付けば、文さんの隣には出流先輩がいた。  自分で選んだこととはいえ、出流先輩のことを気にかける文さんを見るのはただただ辛かった。  あの二人が一緒に居る時に聞こえた音楽の理由が分かったような気がした。  それでも、文さんが無事ならそれでいい。  そう覚悟して千秋楽の朝に臨んだのだけれども――それなのに、文さんは助けに来てくれた。  そして死んだのは――  次第に、音楽の意味が分かってきた。 (必ず一人が、死ぬ)  音楽は、この世界の(ことわり)だった。  繰り返す世界の仕組みを、理を俺に告げていた。  どれだけ繰り返してもいい。  何度やり直してもいい。  けれども、必ず一人は死ぬ。  音楽は足掻く俺を包み込み笑う。  何度も繰り返す。  何度でも、繰り返す。  それでも、この想いだけは変わらない。  理よりも強い気持ちを、胸に抱いて。  ――何度でも、愛してる。

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