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焼け石に肉 1

「ご注文はお決まりですか?」  やりすぎない笑顔を浮かべてメニューから顔を上げたお客様へと向かう。  最近やっと営業時代の癖が抜けて普通の笑顔が浮かべられるようになってきた。もしこの店に戻ってきていなかったら、回復には今しばらく時間を要したかもしれない。  そんな愛すべき現在の職場、レストラン「アラカルト」は、俺の大事な居場所でもある。  高校、大学時代とバイトをしていて、社会人になった後に色々挫折した俺を再び受け入れてくれた温かいお店。  そんなアラカルトは、店内の無国籍で無節操な内装からわかるかもしれないが、なんの料理がメインかと聞かれると大変困る店だったりする。  むしろ雰囲気だけで言えば下町の定食屋が一番近いかもしれない。  どれかといえば若干アジアっぽい店内は照明はやや暗め。あまり嗅ぎ慣れないスパイスの香りが少々。  そんなお店の店長兼コックの大守(おおもり)さんは、髪をバンダナで留めたガキ大将という印象のお兄さん。身長は控えめだけど目つきが悪いので初対面だと怖い人に見られることが多い。とてもそうは見えないけど凄腕のコックだ。  なんでも昔色んな国を渡り歩いて料理を覚えたらしく、あまり一般的ではない国の民族料理や、一度じゃ聞き取れない聞いたことのない料理、はたまた「母の味」なんて無茶ぶりも再現してくれる。メニューはあってないようなもの。  だからこそ駅から遠く少し奥まった場所にある、一見なんのお店かわからない場所にも足繁く通ってくれる常連さんたちがいて、口コミで新規さんも増えてくれている。繁盛しているからおかげで働いている側のお給料もいいのは本当にありがたい話だ。 「絶対あの人河童の化身だと思うんだよなぁ」  ただそのせいで、働く俺たちからしても謎の注文をする人も多々いる。  この場合、疑問の持ち方が特殊なのはその本人のせいなのだけど。 「だから。真面目な顔でお客様を河童にたとえるのやめましょうよ(やなぎ)さん」  柳さんは昔からのバイト仲間。俺よりもひょろりと背が高く、長めの髪を後ろで結んでいて、店長の大守さんからは「柳の木じゃなくてその下にいる幽霊みたいだ」と言われている。確かに柳さんが暗闇の中木の下になにも言わずに立っていたら俺でも悲鳴を上げるかもしれない。いい人なだけに風貌で損している気もする。  ちなみに俺が高校生でバイトを始めた頃も大学生だったし、今もまだ大学生だ。  民俗学を専攻しているというけれど、主たる興味は妖怪だそうで、そのフィールドワークのために休学を繰り返し留年を繰り返し、いつもギリギリの生活をしている。  吸血鬼と暮らしている俺が言うのもなんだけど、結構変わり者だ。 「まあ確かに水をかける皿がないもんな」 「その納得の仕方もどうかと思います」  その柳さんからすれば、来るたびキュウリを使った新しいメニューを頼む常連さんは河童だし、オリーブオイルにこだわるお姉さんは化け猫疑惑があるそうだ。  裏でお客さんに聞こえないように言われるそれはいつものことだし、つっこみが雑になるのも許してほしい。  独特なスタイルの店だからランチタイムやディナータイムに限って混むわけでもなく、お客さんの入りには波がある。  だから息つく間もなく忙しい時があると同時に、こうやって二人で手持無沙汰な時間ができてしまうこともあるんだ。  そんな時、ドアにつけられたベルがちりんと軽やかに音を立て、見慣れた人を迎え入れた。  多くいる常連さんの中でも、特に目立つお客様。

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