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焼け石に肉 3

「あ、そうだ、睦月くん」 「はい、なんでしょ……っ」  あまり見ていても食べにくいだろうからと立ち去ろうとして、呼び止められたクライスさんを振り返る。そして目を合わせて応えようとした瞬間くらりと周りの景色が揺らいだ。 「おっと」  一瞬、すべてにもやがかかったような視界に代わって、それと同時にパリン、とグラスが割れる音がした。  ああ、やってしまった。  ヒバリさんに注意されたのに、やっぱり血を吸われすぎたらしい。こんなところで貧血を起こすなんて、自己管理がなっていない。 「大丈夫かい、睦月くん」 「すみません、ちょっと……それよりクライスさん、お怪我は」 「僕は大丈夫だよ。睦月くん、少し座った方がいい」 「大丈夫です。今、片付けますからそのままに」  耳元で声がして、どうやらクライスさんが倒れるより前に支えてくれたらしいことに気づいた。  体を預ける厚い胸板。背中を支える男らしい手。そして鼻をくすぐる甘い匂いはコロンだろうか。  ……じゃなくて。  お客様に対して思うことはそれじゃないだろうと、なんとか目を開けてもやを振り払う。 「申し訳ありませんでした。支えていただいてありがとうございます」 「いや、とりあえず倒れなくて良かったよ。……あっと、すまない、グラスに手が当たってしまったらしい」  落ちる時にテーブルの脚にでも当たったのか、水の入っていたグラスが砕けて床に散らばっている。  とりあえずホウキを持ってきて、の前に席を移ってもらった方がいいか。  「あっ」 「おっと、すまない!」  その時、クライスさんがグラスの破片を拾おうとしているのを見て、とっさに手を伸ばした。その指が尖った破片に触れたのだろう。ちりっとした痛みが走って、思わず指を引く。  そしてそんな仕草を見て、クライスさんも慌てたらしい。 「だ、ダメですよクライスさん!」  切れた僕の指を取ってそのまま口の中へ含む。というか、舐めた。  確かに紙やカッターで手を切った時に反射的に口に含むけど、それは自分の指限定だ。新婚さんじゃないんだから。 「失礼。ドラマの見過ぎだった」  慌てた俺の指摘に、クライスさんははっとしたように手を離してくれた。それからハンカチを出して指を包んでくれる。 「あ、汚れてしまうので……!」 「いいから」  その仕草がどこか恥ずかしそうで、なんだか妙に愛らしい。 「すみません、ありがとうございます……クライスさんって、そういうドラマも見るんですね」 「やってしまった僕も僕だけど、引っかかるところはそこかい?」  思わず気になって呟いた言葉に、クライスさんが困ったように笑ってみせる。  そんな場合じゃないのはわかっているんだけど、常にスタイリッシュな感じのクライスさんがそういうドラマを見るイメージがなかったから気になってしまった。 「マヨくん、あとは俺がやるから」 「あ、はい、すみません」  ホウキを持って来てくれた柳さんにお礼を言って、もう一度クライスさんに謝ってから裏へ引っ込む。  そっとハンカチを外すと、ほんの少しだけ血が滲んでしまっている。洗って返すより新しく買った方がいいかもしれない。 「マヨ、具合悪いなら今日帰っていいよ。ヤナいるし、今日はこれ以上人来ないだろ」 「……すみません」  キッチンから大守さんの声が届き、お言葉に甘えて早退することにした。  これ以上迷惑かけないように、帰って反省しよう。

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